昨日の続きである。
世界に冠たる日本の鉄道は、安全であることに加え、何よりも 時間に正確 なので、たった1分でも遅れるとたちまち乗客から苦情が出る様は、今も昔もあまり変っていませんね!
さて、電化する資金は無かったけれど、乗客が急増した「西成線」の輸送を改善するため、真新しい ガソリンカー が投入されました。
しかし、安治川口や桜島周辺に林立する工場への工員さんが激増したため、通勤時間ともなると 乗車率300% を超えていたようでした。
(イメージ)
ただ、そうなるとどうしても乗り降りに時間がかかってしまい、ラッシュ時の西成線は遅れが常習化していました。
さて、早期に決着がつくと思われていた 満州事変 は泥沼化し、たたでさえ資源の乏しい我が国では、あらゆる機会とらえて 資源を大切に使う ように奨励されていました。
欲しがりません勝つまでは!
油の一滴は、血の一滴だ!
特に、今も昔も石油のほぼ全てを輸入に頼っている現状から、ガソリンの使用には厳しい統制が布かれていて、鉄道省にも通達という命令が下ります。
ガソリン、ちびちび使わんかい!
ところで、安治川口という駅は、今も客が乗り降りする旅客ホームと貨物駅が併設されていて、構内には数多くのポイントがあるんですね!
しかし、その切換えは全て手作業の時代で、 信号所 という所に係員が詰めていました。
そして、 列車が通ったのを目で確認しながら、ガチャガチャと手で切り替えていました。
さて、前述のように 国の命令で ガソリンの使用規制 があったため、当時の西成線を走っていたガソリンカーも、できるだけスピードを出さないようにしていました。
しかし、この強い命令を守れば守るほど、すなわち最も大切な 定時運行に支障をきたす というジレンマに、当時の鉄道マンの誰もが悶々とした気持ちだったと想像できます。
そして、昭和15年1月29日早朝6時に時を戻します…
当日は、寒くて乾いた風が強く吹き付けていましたが、安治川口駅の信号所では、朝から通勤や貨物列車をスムーズに出し入れするため、朝から「てんやわんや」でした。
しかし、本来なら6時52分に到着する「大阪発の列車」が、中々やってきません…?
おいおい! 何をモタモタしてるねん!
この列車が遅れると、ポイントを切り換えることができないので反対列車も遅れてしまうし、そうなると「西成線」の列車ダイヤが崩壊してしまい、よしんば定時運行に戻そうとすれば、よけいに大切な燃料を消費してしまう…
この時の信号所係員には、今までにない強いプレッシャーがのしかかりました。
さて、当時の西九条を出発した列車は、ガソリンを節約するため 途中から惰性で走るように! と厳しく規定されていました。
ですから、遅れている列車の運転士も、当然のことをしただけでした。
鉄橋を過ぎた辺りでアクセル(ノッチ)を戻し、いつものように惰性でノロノロ走っていましたが、すぐ後ろには後続のノンストップの列車が猛スピードで迫っていたのでした。
さて、安治川口駅の構内にさしかかったのは、実に 3分半遅れ でしたが、後に迫るノンストップ列車に道を譲るために、早くポイント切り替えなければなりません!
ですから、信号係員は焦りに焦っていました!
そして、そのパニックが引き金となってヒューマンエラーが発生し、とんでもない行動に出てしまったのです…!
つづく