前回の続きで、今回が完結編になる。(大阪百貨店戦争10は、 →こちら )
時代は少しさかのぼって大正6年…
当時の大阪のメイン通りであった「堺筋」に面し、華々しく開業したのは 三越大阪店 であり、大阪での本格的なデパートメントストアーとしては、まさにパイオニア的な存在でもあった。
しかし、2005年に閉店。
ただ、完全に撤退したのではなく、再起を賭けてチャンスをうかがっていました…
そんな中、時を前後した2004年に発表された JR西日本 第5代目大阪ステーションシティ計画 では、新たな大阪駅ビルのキーテナントの候補として 三越 が選ばれます。
そして、後に伊勢丹との経営統合があったため、関東最強軍団と言われる「三越」と「伊勢丹」が 大阪のど真ん中にクサビを打つ ことが現実のものとなりました。
さて、応戦する在阪百貨店がこぞって増床に踏み切ったことは、皆様の記憶に新しいと思いますが、晴れて2011年5月4日にオープンし、当初は押すな押すなの人でごった返していたと言われています。
もちろん、勝てるシナリオでした。
いや、少なくともJR西日本の幹部達の心情は、余裕のヨッちゃんだったと思われます。
京都伊勢丹の大成功、そして今回は関東2強百貨店の連合タッグチームが大阪参上!
つまり、関東最強 = 日本最強! 負けるわけがない!
おまけに、在阪私鉄を全く寄せ付けないのダントツの鉄道旅客輸送量を誇るJRの戦術は、阪和線と大和路線に福知山線までもがダイヤ改正をし、大阪直通の列車を倍増させる 援護射撃 も徹底されました。
もちろん、現場のスタッフ達もいっぱい汗をかかれたと思いますし、様々な演出やディスプレイも駆使されたと察します。
しかし、そうしたミクロの面のや客動線が云々ではなく、マクロの面で大きな誤算と言うか 驕りや慢心 がJR西日本の幹部達にあったように思うのです。
こんなに文化が発達し、ネットで様々な情報が瞬時に入る現在でさえも、地域によって訛(なまり)りがあったり、特徴があったります。
これは、昔は山や川があることで人々の交流が絶えたことが起源であって、今をもってしても 大阪のおばちゃんの服はヒョウ柄 と言うように、皆がそうでは無いけれど、地域地域で異なった文化というか土壌があるのです。
そう考えると、当時世界最強の戦艦大和と高速機動部隊を持ちながら、重なる連勝で「勝って当然」という慢心から、意気揚々と攻め込んで惨敗した ミッドウェイ海戦 と全く同じである。
つまり、いくら関東で強かろうが何だろうが、関東流の手法をそのまま関西の土壌に持ってきたところで、全くソッポを向かれて馴染まなかった結果だと思えてなりません。
ですから、今にしてこの結果であって今年に入って 売り場縮小 どころか、屋号の撤廃も視野に入れいると言われています…
しかし、焦ってはならない!
少なくとも、ここは戦場では無く、ごく短時間に勝敗が決まらないだけでなく、少なくともあと50年や100年は百貨店が存在するはずである。
もちろん、最初は惨敗したけれど、これとて阪急や阪神が一朝一夜にして強くなったわけでは無いのである!
長い時間をかけて信者をつくり、そして育てて初めて儲かるのであって、その初期段階に入る以前のたった数年で志を無くしてはならないと思うのだ!
街は常に動き、その姿を刻々と変えていく…
そして、JR三越伊勢丹が縮小を発表した半年後に あべのハルカス が開業し、人々の流れは再びミナミに動きつつあることを考えると、ここ大阪はまさに 百貨店戦争時代 に突入した感がある。
何が流行り、何が売れているのかがわからない世の中であり、人々は敏感になりすぎている…
だからこそ、単に情報だけに左右されてすぐに業態を変えるのではなく、地に足をしっかり付け、長期戦で戦う気構えで営んで行かなければならない業種だと思うのだ!
あと、100年後…
大阪の百貨店の勢力図はどうなっているのであろうか?
追記/古く江戸時代から記した「大阪百貨店戦争」は、この項で終わりです。