先日の日中…  私用があって、新今宮駅でJRから南海に乗り換えた。


そう言えば、昔は巨大ターミナル駅ではないにせよ、新今宮クラスの駅だとホームでも係員が安全監視をしていたが、今日のJRのホームにはその姿は無かった。






と言うことは、南海も同じ…


いや!

南海は4面あるホームのうち、高野線の下り1番ホームだけは、終日係員が居るのだ!


なぜなら、ホームがカーブしていて先が見えないため…?


しかし、このような構造の駅にはそれを補うために 監視カメラ が設置されているはずで、このホームにもそれは有る。






では、なぜ今でも係員が居るのだろうか?


それには深い理由があるのである…






(かつての新今宮駅1番ホーム)





昭和49年当時の南海電鉄は、ご多分にもれず他社と同じく合理化のため新今宮駅には日中係員が居なかった。、


そして、その年の8月8日…


一歳八ヶ月の女の子が、祖母に抱かれたまま1番ホームから電車(各停)に乗ろうとしたした時、一瞬早く閉じたドアーが女の子の足だけを挟んだまま発車…


祖母は、 「とめて~」 と叫んだがホームに係員の姿は無く、これに気づいた車掌が非常ブレーキをかけたものの、女の子はホームの端から線路に落ち、両足を轢かれてしまった。







現在の新今宮駅1番ホームである。



CA381970.JPG


上の写真と見比べてみればわかるのだが、かつてはホームの後ろ一杯まで停車していたものの、この事故を機にホームを南へ43m(2両分)延長し、カーブのキツイ後ろの方には電車が停まらなくなってしまった。


ところで、それを知る私は、いつもこのホームに立つとその女の子のことが気がかりで心が痛んでいたのだが、先日パソコンで調べてみるとご健在であることが判明した。






鹿児島県出身の彼女は故郷に戻り、その後は琉球大学に入学されて教員免許を取得し、1997年に卒業されたようである。


そして、両足を失ったハンディがあるものの、障害者スポーツをさまざまな角度から研究され、将来はレクやスポーツを通して障害者の機能を高め、心を癒す レクリエーション・セラピスト を目指されているそうである。


ひょっとして、今頃は先生になられて活躍されているのだろうか?






歴史にイフはないけれど…


あの女の子が事故を克服され、ご健在で活躍されていることを嬉しく思いました。


(注/ご本人の許可をいただいておりませんので、名前は伏せています。)