子供の頃を思い返すと、少しの雨だと嫌気がさしたが、台風が来るとなると妙にワクワクと興奮したりしていた!
特に、夜中に関西を通過した時などは、何度か停電したことがあって、そんな時に限って 懐中電灯 の電池が切れていたりするので 「間にもクソも合わない」 ため、我が家では ろうそく を常備していた。
ただ、その「ろうそく」はクリスマスケーキの余りだったのですぐに消えてしまい、結局はほとんど役にたっていなかったと記憶している…
ところで、大きく話しは変わるのだが、歴史と伝統があって今も「老若男女」から絶大な人気を誇る 宝塚歌劇 は、かの「小林一三」氏の発案によるものであるのは周知の事実である。
では、彼がなぜこれを作ろうと思ったのか…?
実は、彼は当時「三井銀行」の銀行員で、大阪支店に赴任してきた時のデスクがちょうど「三越 北浜店」の向かいにあった。
そして、その当時の三越には 少年音楽隊 と言うのがあって、毎日毎日その清々しい演奏に魅了されたことから、「これを少女に変えて歌劇にしてみよう…」と思ったと言われている。
そして、娯楽が少なかった当時は、「雨後の筍」のごとく全国各地に歌劇団が結成されはじめた時期でもあって、宝塚だけではなく、ここ大阪の堺にも 大浜少女歌劇 というのが存在していた。
つまり、今の堺市「大浜公園」の辺りが一大レジャーランドだったようで、温泉や水族館に歌劇の施設はもちろん、大浜飛行場があって四国や九州の航路があったことから、「浪速の摩天楼」のごとく終日賑わいをみせていた…
しかし、順風満帆に見えたものの、昭和9年に大阪を直撃した 室戸台風 で付近が壊滅したことにより、歌劇も解散されたと言われているが、もし被害が無くそのまま今日まで盛業していれば、ひょっとして 宝塚歌劇 と双璧の人気を誇ったであろうか?
そう考えると、 台風が奪った財産 かも知れない…?