皆様、こんばんは。 いつもペタありがとうございます。


さて、本日は大手看板屋のお手伝いで、JR学研都市線(片町線)の一部の駅と、大和路線(関西線)の、郡山、大和小泉駅にある、構内の小さな看板の交換作業をしました。 もちろん、移動はJRですので、京橋駅からスタートします。


しかし、出発まで少し時間がありましたので、付近を散策…


京橋という地は、大阪を代表するキタやミナミほどの規模はありませんが、JRと京阪が交差していますので、乗降客は常にトップクラスにあります。 ただ、京阪への連絡通路は都会的にお化粧をしていますが、その反対側は歓楽街が密集し、えも言えぬ怪しい雰囲気が充満しているのです。


さて、ここからが本題。 今回は仕事の内容ではなく、鉄道歴史ネタの第1回目です。


現在の、京橋駅はJR大阪環状線の上を、京阪がまたぐように交差していますが、昭和40年頃まではその逆で、京阪が地べたを走っていました。


じゃあ、どこで交差していたかと言いますと、現在の京阪連絡通路からわずか北(国道1号線の方)へ30m… そこに、環状線の下にぽっかり空いたガードがありますが、それが京阪の線路跡なのです。(写真)
大阪 堺・松原の看板屋 スマイルサイン奮戦記-京橋
また、この当時の京阪は、線路が今のように4本ではなく、2本しかありませんでしたので、次から次へと電車がやって来て、この辺りは終日ごった返していたと言われていますが、現在は、歓楽街のメインストーリートとなり、当時の面影は微塵も感じることはありません。


ところで、駅のホームも今より少し東へずれていて、ガードを越え、右手に映っている高いビルの辺りにありましたが、このビルは関西では超有名なのです。


その名は、「グランシャトー」ビル!  では、皆様ご一緒に「京橋は、ええとこだせ…♪」