予定通りの日程で引き渡しが完了。売買代金も全額が入金され、実家は信託口座の“残高”へと姿を変えた。

 

すぐに面会予約を取り、母へ報告しに行った。

 

やはり家の売却にあたり、母自身が不安になったり混乱したりしないようにすることを最優先にした。絶対に後戻りができない手続きゆえ、かつて疎遠だった親子関係とて丁寧で密な対応を心掛けてきた。

 

 

母の居室を訪れる。

 

母からの最初の一言

 

「ありがとう、お疲れ様。」

 

だいたいの状況は理解したまま維持できている母。思いがけず労いの言葉を掛けてもらった。

 

 

実家の引き渡しが完了したことを改めて言葉にして報告する。退去時に撮った最後の写真をパソコンの画面に映して見せた。

 

そして売却代金が入金された信託用口座の通帳を母に見せて説明する。

 

「え?いくらだっけ?えー!こんな金額になったの!?えー…」

 

キツネにつままれたよう。想像を超える高値で売れたので、なかなか信じられないようだ。たしかに母も自分もこんな金額を扱ったことがないので、実感がわかないのも無理はない。

 

嬉しい誤算をなかなか飲み込めない母と、このようなやり取りを何度も繰り返した。

 

高く売れたと言っても、バブル期での購入価格と比べればだいぶ安くなってしまったのだが。

 

 

家を処分したことに対して大きな混乱は見られない。だいたいの事実は理解を維持できているようなので、これからも丁寧に説明を続けて記憶に定着させたいと思う。

 

 

実家を売却したことにより、使う当てのなかった不動産=“負動産”を流動性の高い現金に置き換えることができた。

 

インフレが再開した日本経済においては不動産のまま持っていたほうが良かったという見方もあるが、実家は築30年超。すぐにでも修繕すべき箇所があちこちに発生しているところだった。今ここで何百万もかけて修繕したところで、使う当てが全くない。かと言って修繕すべき箇所をそのまま放置していたら家としての価値を急激に失い、インフレ率の上昇を上回る速さで資産価値が減るのは明白だった。

 

今このタイミングで売却できたことは、本当に良かったと思っている。

 

全て終わってしまうと寂しい気持ちが出てくることもある。しかし当初の思い通りの結果を手にした今、くよくよと後ろを向くべき理由はどこにもない。

 

寂しさがこみ上げるたびに、自分にそう言い聞かせる。

 

大丈夫、この気持ちはすぐに消えるはず。

 

 

まともに向き合えるようになった母と同じ目標に向かって突き進み、みごと達成した。今までにない達成感だった。

 

過去の嫌な思い出は忘れることができないし、それを許せることは無いかも知れない。ただ、これからの母との新たな親子関係は、健全に、より一層前向きに築いていけそうな気がしている。