上の写真が元々の街で
下の写真が現在の写真です!
先日、清末商工振興会という地元の企業からなる団体で
年に1回の研修のいっかんとして宮城県の石巻市に被災地視察に行きました。
今回このような運びになったのは、去年の3.11の震災を受けてその後すぐには
支援物資を送ったり、義援金を送ったり被災地の為にと行動しておりましたが
だんだんと震災への関心も薄れる一方で
1年たった今もなお、現地の人達は復興の途中であり
自分達が今するべき出来る事は後世に伝える事ではないかと考え
その状況を自分の目で見て感じるために商工会議所を通して行くことができました。
こちらから、震災の視察を打診すると石巻の商工会議所の方は快く受け入れて頂き
日曜日にも関わらず、朝の9時から被災地の案内をしていただきました。
その方からまず感じたのは
日本全国はもとより世界中の方への感謝とこれからの地元の将来の為にということでした。
そして、より多くの人に地震とは津波とは?という事を実際に体験した物にしか分らない
”感”を伝えなければという事でした。
(こちらか被災地を訪れるのに行く前は色々と迷惑ではないか等、考えましたがこの点が共通認識でとてもありがたかったです。)
自分も感じた事と伝えたい事を書きます。
まず、被災されたほとんどの方は今回の津波の事は想定外の事で
津波に関しての意識が低かった事が多くの犠牲者を出した原因である
と言われていました。
また、3月の東北という事で水に濡れ寒さで凍死した方も多かったそうです。
このような震災にあって学んだのは
災害に強い街造りは大事な事だがそれよりも災害が起こった時にどうやってしのぐか!
という事の方が大事であると言われてました。
確かに相手は自然であり人間が想像もしないような動きであったり
威力であったりします。
そして今回もそうであったように津波は第1波から続けて第2波第3波…
と来るようで今回の地震による津波でも実際に第1波より2波3波で
やられた(さらわれた)人の方が多いと言われてました。
あと、普段から自分の住んでいる地域で地震が起きて津波が来ると言われたら
どのルートで逃げるか考えておく事とドコに逃げようという事を家族で決めておくべきだ
と言われてました。
実際、その案内して下さった方は車で3日過ごして家族に会えたのは1週間後だったそうで
交通も電気も携帯もすべて使えなくなったらパニックになるそうです。
これは、まさに体験した人にしか分らない事だと思います。自分も今こうして家にも帰らず電気の下でPCに向かって書いているのも携帯があり、食事をしているからで、コレはいたって普通なことでコレでは無い事を逆に考えられません。
そうなると、パニックになるのも分ります!
”備えあれば憂いなし”という言葉を思い出します。


変わり果ててなお今も荒れた地を前にして
同じような震災が起こらないことが1番だがもしどこかで同じような震災が起こったならば
絶対に今回の東北沖地震による被害よりもより小さい被害であって欲しい!
と言われてました。
起こってからでは遅いです!
普段から防災や不測の事態に備える考えを持つようにしよう!
そして、出来ることからやっておこう!
また、最後に今回の地震また津波の被害のことが風化して欲しくないと
何回も言われてました。東北はまだ復興の途中で10年20年の計画で街作りを
していくそうです、沿岸部の津波による被害の大きかった住宅地では建物が少し残っていましたが、震災復興基本計画を元に住んでいた人を移住させ公園にする計画等もあるようです!
これからどんどんと新しい住みよい街の石巻を目指して
民官協力して動いていくと意気込まれてました!
是非、皆さんにもどのタイミングでも自分のタイミングで東北に行かれる事をお勧めします!
そして1日1日を感謝して大切に生きよう!
最後にお忙しいにもかかわらず、
ご用意頂いた資料の中から
手前の海側の濃い色の地域が津波20M以上の地域です!
その上の陸側の紫色の地域が津波10M~20Mで
オレンジ色の地域が0.5M~10Mの地域です。
因みに白い地域は山でした。
この様に地図で見ると海から何十メートルもの陸地にまで津波が押し寄せてる
ことが分ります。
自分の住んでる下関も地震は少ないとはいえ、ほぼ海に囲まれているので
本当に注意というか準備が必要だと思った。
右下を見て分るように18ページにも及ぶ資料でした。
石巻の商工会議所の方ありがとうございました。






































