旅行最終日は、思いもよらぬ記憶に残る日になりました。


「治療に専念する生活をしている中ですが、

職場に出勤する旅程の最終日に

礼拝にご一緒させてください」

と、お世話になっていたキリスト教会にハガキで連絡したのが1週間前。


キリスト教会の一番後ろの席にいつものようにこっそり座らせてもらって、ちょこっと礼拝に参加したらそっと帰ろうと思ってました。


そうしたら、キリスト教会のみなさん、お菓子やお茶を用意して待ち受けてくださってました。


日本のキリスト教会って、どこの地域の教会をのぞいても高齢化が進んでいて健康の問題や福祉の問題をみなさん抱えています。


そういう雰囲気、こんな時代なので、わたしのような闘病生活をしている者も珍しくありません。


わたしの日々のことなど、たくさん話をして、つらかったこと、これからの治療がきついことなど皆さん共有してくださって話を聞いてくださりました。


久しぶり。


たくさん、しゃべりました。


「いまのわたし」がどんなのであるか。


しゃべるというのは、良いですね。

ただ、聴いてもらえるというのは、ありがたいですね。


時間にして、30分間。

たった30分でしたが、とても気持ちがすっきりしました。


話をして、自分の中にあるものに改めて気がつきました。


話をすると、自分の中のものがたくさん見えてきますね。


話をしたのは、

この病気にならなかったら、気が付かなかったものがたくさんあること。

そう、病気になって闘病しているからこそ見えているものがたくさんあるということ。


たくさんの人たちとつながることが、できるようになりました。


好きな旅行でも、1分1秒を大切にするようになったこと。


自分の仕事や日常的な付き合いの中で、少しだけ、ほんのちょっとだけでも近くの人の役に立てるようになったこと。


そんなことに気が付かされたので、病気になったことはけっして悪いことばかりではない。

そんな話をしました。


知り合いの曹洞宗の高僧から聞いた話も、自分の中の体験と結びつくようになった。そんな話もしました。


外国から来た同僚から聞いたそれぞれの文化背景など日々感じていることを受け止めたい、そんな話もしました。


本当に無我夢中で、話をしました。



こんなふうにして、旅行最終日の今日、たくさん話を聞いてくださった方々に見送られて関東を後にしました。



東京からは、岡山行きのひかり号。


7号車「S Work P」の少し広い席に身を沈めて、コトコトと帰って参りました。


ただいま!です。