今回の便秘はマジできつかった。

でも、今日の朝の時点で苦しい時間を抜けることができました。やったね。


つらかったのは、ずっと便意が継続している一方で、肝心の腸は運動をサボっていて便が出ないという状況がえんえんと続いたため。

医療用麻薬だけでないのですが、便秘が副作用と書かれている複数のお薬を同時に服用したことによるその効果はつらく拷問のようでした。


これはこれで考えものです。

次回の治療日とその翌日くらいまでの食べ物の内容を、苦しまないで済むものに変更するなど工夫が必要だと思いました。


いざという時に、浣腸薬などが有効かどうかも主治医に確認しておこうとメモもしました。


さて、そんな便秘に悩まされた昨日と打って変わって、今日のほとんどベッドの中にいることは変わらないのですが、痛みとか苦しいのとかがないのでウトウトしながら過ごせました。


ウトウトしながら考えることは、

「次に何をしようか?」

です。


本格的に闘病している意識が強くなってきた今日この頃、できないことも増えてきました。

たとえば、自動車でドライブにでかけることもできなくなっちゃった。

でも、できなくなったことを考えるよりも、できることを考えるようにしたいと思うのです。


子供の頃に、キリスト教会で見た紙芝居で「タラントの教え」というものがあります。

聖書に載っている割には、資本主義の基本みたいな話なので、わたしはこの話が大好きだったりします。


簡単に内容を説明すると、

主人から、5タラントの資金を預けられた使用人と、2タラントの資金を預けられた使用人、そして1タラントの資金を預けられた使用人の3人が登場します。

このうち、5タラントを預けられた使用人と、2タラントを預けられた使用人はそれぞれその資金を元手にして財産を増やします。

ところが、1タラントの使用人は、その額が少ないという理由で商売はできないとあきらめ、その1タラントを地面に埋めて保管したのち、そのまま主人に1タラントを返すというストーリー。


この話の面白いのは、主人から叱られるのはどこか?で、3人目の使用人はできないことを理由に資金を眠らせたことだったりすることです。


銀行に預けていれば利子がついただろうと、叱られるわけです。


このたとえ話が言おうとしてるのは、たぶんこんな感じ。

たくさんの時間、資金、体力があると、たくさんのことができますが、きっと少ない時間や体力となったとしてもできることがあるだろう。


いろいろ納得できます。


今、こうして病気で少しずつできることが減っていく時にこそ、この教えがわかってきた気がします。


できないことを考えるより、できることをひとつでも多く考えたい。


そして、今のわたしもできることを考えて少し手をつけて、その日の終わりに、たとえばアニメ「こうペンちゃん」を見て、できた自分をほめてやりたい。そう思ったりしました。