私の主治医はいろんな検査結果や治療の選択肢を示してくれたあと、患者である私に選択させてくれるという議論の方法をとってくれます。


最初の頃のように、

「ここが議論になります」

と、選択肢がひとつという単純な状況ではすでになくなり、今ではひとつを選んだら別の選択肢はこの先すべて消え失せるという緊張感をもった複雑な選択を迫られます。


自分の治療について、自分で理解して選ぶことができるようかなり勉強もしてきたつもりですが、それでも選択は緊張します。


自分のいのちがかかっていますからね。


そう、命懸けの選択です。


「さて、どうしますか?」と主治医先生。

診察室には、妻も同席してくれました。

あとで、同席していた妻が言うには

「専門用語が飛び交っていて、ついていけなかったけれど、じゅうぶんに納得いくまで材料を出し切って決めることができたのがわかった」

とのことでした。


そう、私が選んだのは緩和治療の部分はしばらくの間、患者である私が疼痛コントロールして時間を稼ぐ。その代わりに、こじ開けて稼いだ時間で試す治療法を選んでいくと言うやり方です。


そして、主治医先生が整理してくれた検査データと治療の選択肢を比べます。

金銭的には標準治療と治験が入るわけですが、後者の第一相治験は安全性という観点から選択肢には入れません。これは私自身の考えでもありましたし、主治医先生も支持してくれました。


私自身の選ぶ基準として強く意識したのは、残された時間、生活のイメージをどうするかでした。


私のこれからの生活を考えました。

ベッドの上からでも、仕事をして、いろんな人たちとリモートで良いので交流し続けるというイメージです。


そのイメージだと、身体が少々不自由になっても、ベッドの上でパソコンを叩ける時間がたくさんあった方が良いということになります。


そこまで、イメージできるようになったら判断には迷いがなくなりました。


診察室に入って何十分も時間が経ったような感覚になったあとの、選択はほぼ一瞬でした。


(つづく)