体調不良が続いている一方で、今月末に仕事と旅行の計画を入れたので、いまは何としても回復させにゃ!と今日は無理せずベッドの中に仕事と娯楽を持ち込んでいます。


ブログのコメントでもあたたかく指摘を受けましたが私はどうやら働きすぎらしいので、無理にでも休もうと職場のグループウェアに「静養」と書き込んでタイムカードを押して仕事を切り離すことにしました。


そして、娯楽の時間。


私にとって手軽な娯楽といえば、まずは読書です。Amazon Echoにリクエストしてバロック音楽でもかけてもらいながらベッドの中で本をだらだら読むと、いろんなストレスが消えていく気がします。


どうやら私のような人種を「活字中毒者」というそうで、本がなければ広告のチラシの文字でも読み耽ることができます。広告のチラシの文字がなければ薬の説明書に書かれた化学式などが読めれば結構満足だったり。

実は病院で検査のたびにサインする検査内容の説明書も、大好物だったりします。


文字がたくさんあって嬉しい(ハート)。


明治以降の活字になった書籍であれば、旧仮名、旧漢字の本などを子供の頃から当たり前に読んでいたする一方で、それより古いのは活字でないので読めなかったりします。

変態仮名などはまったく読めません。私にとっての娯楽になるかどうかの線引きは、たぶんそのあたり。


そんなわけで、活字中毒と呼ばれれば、多分そうだろうなという自覚はあります。


さて、そんな活字中毒者だという自覚を持ったきっかけは何かというと、ラノベ「R.O.D.」(倉田英之)。実際はオリジナルアニメの方が入り口だったか。





超能力をもつ主人公の日常が、まぁ、そういった活字中毒なわけで、これが極端に描かれています。


こんなやつ、いるのかな?と思うくらい極端。


でも、振り返ってみれば、自分自身もかなりそれに近い部類にいるんじゃないかという気もしてきました。


旅行先で古書店を見つけたら、とりあえず店に入ってみる。基本ですよね。


海外に出た際に立ち寄ったいろいろな街の古書店は良かった。特にヨーロッパの本って、装丁が本体とは別なので触れた時の感動は日本の出版物とは違ったものがあったなぁとか思い出します。


話が逸れました。


R.O.D.の主人公は、取手のついたキャリーケースに本をたくさん詰めて持ち歩く人物として描かれています。

私はそこまで「本」という媒体に執着はないのですが、印刷した紙切れや雑誌の切り抜きなどは気がついたらカバンの中に詰め込んでいます。


電子書籍はスマホの中に、山ほど詰め込まれているのにね。ちなみにKindleをいま確認したら、Kindle本だけで4,980冊(12冊+3,981冊+987冊)ありました。




いやー、Amazonだけでもたくさん貢いでますねー、わたし。


それだけ手元に電子版の読み物があっても紙の本と印刷した紙切れは手元に溜まっていくわけで、やっぱり自分は活字中毒者なんだろうなと、思うわけです。


最後に病室に持ち込むとしたら、どれを選ぼうか。

そんなことを考えたりもします。