ベッドから起き出して日常の生活へと戻ってきたのですが、精神的にはモヤモヤ感でいっぱいです。


昨日の外出時に立ちくらみが酷かったのは外が暑いせいと結論づけ、家の中に引きこもっているせいか余計に精神が閉塞します。


この閉塞感はなんだろう。


ちょっと思い立って、ちょっと昔、読んだ伊藤計劃「ハーモニー」の電子版を購入、ベッドにコロコロしながらKindleで再読し始めました。



伊藤計劃はmixiで活動してると知って、気になり始めて追いかけようとしたら、あっという間に早逝してしまった作家さん。

「ハーモニー」は彼の数少ない著作物のひとつです。


むかし読んだ時に、この異様な作品世界に飲み込まれ、そして読み終わった時には自分の足もとが揺らいでいる状況からなかなか覚めませんでした。


怖かった。


そのため、その後は読んでいなかったりします。その後、映画にもなったのですが観てもいません。


でも、改めて読もうと思ったのはこの作者が癌で肺を切除したあとに、この作品を世の中に出したと思い出したから。


20年前の癌の治療ってどんなだったのかは知らないのですが作者の心理状態、経験が作品に叩きつけられてるとしたらと思うと、いまの私が読むことに意味があるんじゃないかと思えました。


そして、今日、改めて読み返しました。

未来の日本、重要な登場人物であるミァハとの出会いのシーンがあった直後に、WHOが軍隊となって世界の安寧を保っている世界がいきなり描かれこの世界観にびっくりさせられます。

でも、世界の紛争地帯を通じて医療のこと、死ぬこと、生きることについて問いかけられます。

選べることの贅沢さ。最初に問われるのはこれ。

そして、死を選ぶこと、生を求めること、生きている日常をどう捉えるかと、あれこれブワッといろんな概念が押し寄せてきます。


そして、マークアップ言語で記述されたという形式を取ってるこの作品の意味。


そういや、これが映画化された時に観に行ったという亡弟から「観客のほとんどは若い女性だった」という話を聞かされて、映画鑑賞特典の栞をもらったことも思い出しました。


映画も一度くらいなら観てみてもよいかな。



痛みや悩みを取り去ったら、自動機械のような単なる生きているだけの生命体になる。ストートレックのボーグの社会に近い、そんな世界観。

見方によっては「1984」(ジョージ・ウォーエル)のラストと較べても良いかもしれません。


幸せってなんだろう。改めて思います。


やっぱり痛いとか、苦しいとか、悩むことこそが重要だと思いつつ、これらを取り去ってほしいという欲求。

きっと、死んだあとの世界ってそんなハーモニックな調和世界なんだろうなぁ。


この作品の登場人物ミァハたちの憧れた世界は、きっとそんな世界。

そして、それを描いた作者、伊藤計劃の立ち位置は主人公トァンそのものだろうなと思い至ります。


そして、延命のための治療を受けて生きているこの私の心境も主人公トァンを通じて作者、伊藤計劃にシンクロした気がします。


平安な調和の取れた世界への憧れを感じつつ、薬で痛みを抑えて毎日を生きているいまの私。


1日かけて再読した読後感、この作品から受け取ったものは何かというと、そんな甘美な死への憧れ。


そんな自分を見つけて涙が止まりませんでした。

(コミカライズ版もあるようで、ストーリーを追いたい場合はコミカライズ版は手軽で良いかも)