身体がへとへとです。


薬の副作用で身体中が倦怠感でいっぱいな日常な中で、リアルに自動車で通勤した1週間が過ぎで肉体的物理的な疲労感でいっぱいになっています。


筋肉痛もひどいしね。


でも、心地の良い疲労感と達成感。


ベッドで寝たり起きたりしながら、冬物を片端から洗濯機にかけては干しています。

関東地方の今日の最高気温は30℃に届くかという暑さだったので、洗濯物は干す端から乾きます。

毛布やシーツなどもまとめて洗えて、これはこれでなかなかの達成感。


さて、少し前から読み始めた坂本龍一「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は平日に読むのが精神的につらくて、こんな週末のゆったりした時にしか開く気になりません。


彼のいろいろな悩みや考えたことが書かれていて、本の章立てに沿って読んでいる訳ではなく、つまみ食い敵にパラパラと拾い読みをしてるのですが、それでもわたしの日頃考えていることとシンクロしてしまうことが多くあります。


シンクロ具合がひどい時には、坂本龍一が考えたことなのか、自分が考えていることなのかの区別が曖昧になったりもします。


その中で、彼の母の死についての技術はなかなかにわたしのメンタルを直撃しました。


わたしの母は、昨年の今頃から緩和ケア病棟に入って、ちょうどゴールデンウィークの前あたりには私は呑気に旅先の土産話を持ち帰っては週末に話をしに行っていました。


季節のめぐりについて、四季は冬から始まるのでないかと坂本が書いてるのを見て共感を覚えました。


坂本のこの四季のことを書くくだりと、冬から始まるのではと書いているくだりについては何の説明もなく書き散らしているだけのようにも見えます。


でも、その一方で「母へのレクイエム」の構成が、冬から始まるというところに、坂本が感じていた思いがあったのではと考えざるをえません。


そう、悲しいことも楽しいことも冬から始まると、そんなふうに考え、そこに共感を覚えました。


わたしもわたしの亡母とは仲が良かったつもりで、多大な影響を受けてきました。

その母との別れの始まりは、やはり冬だったと思うのです。


そして、一年が過ぎ、季節がめぐりました。



この春は、冬に続く春。


母のいない春です。

転移先の骨が痛むと言っていた母。

最後は「あんたも忙しいね」と病室から見送って仕事に送り出してくれた母。


わたしはまだ生きていて、治療を受けながら仕事をしています。

そんな生活の中で、ベッドの中にこもりながら、読書して、死んだ母のことを思い出す、そんな日でした。