暑いです。今年の夏は異常です。

9月に入っても猛暑日が続くなんて、とにかく異常です。


そんな中、亡母と亡弟の遺したものたちの中から重要な書類などはおおかた引き上げ完了したので、今日は賃貸していた家を明け渡すために家財などどれくらいの量と内容があるかの確認をしました。


確認の最大の目的は、家の中の写真を撮って片付け業者さんへの相談資料をつくること。

もちろん、現地立ち会いしてもらわないといけないですが概算見積をしてもらうために、どんな作業をお願いしなければならないか、ものの種類や状態と量を確認しなければなりません。


亡母は、緩和ケア病棟に入る前には、余命が長くないことは承知して、知人にはきっちり挨拶連絡して身の回りのものは片付けしたと聞いていました。

見た感じ、確かに日常的な着るものなどの私物はほとんど処分されてありませんでした。


ところが、さらに何年か前に亡くなった父(亡母からは夫)の思い出の品や家族(私を含んでいます)の思い出の品がわんさか遺されていることがわかりました。


自分の使っているものは不要だと割り切れたものの、思い出の品々については捨てることができなかったものと思われます。


全身に転移するがんのため、少しずつ身体が動かなくなっていく中、何を捨てていくのか。

亡母の思いを想像してみようとしてみました。


わたし自身も、全身に転移したがんで、ステージIV。たまたま治療成績が良いので延命できているものの、余命が短いことは自覚しています。あれこれ捨てなければと、捨ててきているつもりです。

そんな自分が捨ててきたものを思い浮かべながら、亡母の遺したものと比較したりなんかして。


「断捨離」という言葉の本来の持つ意味について、あれこれ考えさせられました。


思い出の品は、死ぬ直前まで、いろいろな思い出を保つために必要なのかも。でも、それはキリがないよなぁとか。

実際、亡母にとっての思い出の品のほとんどは、わたしにとっては由来不明で、単なるガラクタです。


そう考えると、わたしの手元にある「思い出の品」もわたしが死んだ後には単なるガラクタになるんだろうなぁ。

いや、必ずそうなるだろうなぁと確信できます。


そーか、手元に置いておくとしても、家族にとってガラクタになるようなやつはいつでも捨てて良いよとわかるようにしておくのが良いかもねと思ったりしました。