7月末に母親と弟が相次いで亡くなったあと、最初の1週間目は思考力ゼロのまま妻に連れられて役所などの手続きだけこなしました。


2週間目は、実家の片付けは進まないまま、母親のやっていた商店をたたむための準備。


そして、3週間目に入って世の中は盆休みということもあり少しずついろいろ考えられるようになってきました。

一番良かったのは、日常を感じる通院生活があったこと。


火曜日には人間ドック検診のため病院に行って、水曜日にはストーマ外来のため大学病院へ通院。そして昨日の木曜日がバベンチオによる治療のための通院。ほぼ毎日の通院で、日常の思考を取り戻せた気がきます。


もっとも、ワイパックスやデパスといった安定剤のお世話にはまだなってるのですけどね。


まず、母のこと。緩和ケア病棟で亡くなるというのは患者としては良い死に方だとは思えました。医療用麻薬の使い方も、あれなら良いなと。

でも、家族からするといつ旅立つのかわからない心配しても仕方ない気持ちが続く中、会話ができなくなっていく感覚。


正直言って、きついですね。


家族には家族それぞれの日常があって、看取るための時間配分や気持ちの配分が難しい。


死んでいく母の希望として家族には日常生活を続けてほしいというものがあって、私自身も自分の治療と身体が動けるうちに仕事など精一杯やりたい気持ちがありました。


母も緩和ケア病棟に入院した後には、家族に余計な心配をかけずに済むような安楽死ができないものかと看護師に話をしたりしてたくらいです。


まぁ、結局、言いたいことをすべて遺して亡くなることができたわけですけどね。



そんなことに思考を回せるようになって、今度は自分の問題としてあれこれネガティブな考えが浮かんできます。


これは、いけない兆候です。


どんな死に方をすることは、どうしても考えちゃうわけですが、そればかり考えるようになると思考の出口がなくなります。


そこで、こういった思考を断ち切るにも、日常生活を取り戻すために職場へリアルな出勤をする計画を立て始めました。


目的としては、職場に2日くらいだけでも顔を出していつものように仕事をする。

当たり前な日常を取り戻すにはこれが一番なはず。


ついでに、職場に置きっぱなしにしている自家用車を運転して持ち帰る。実家の片付けなどにクルマがないのは不便だから。


そして、この計画には妻が付き添うというより関東圏で待機(具体的には、東京都内に宿泊して別行動で遊びながら待機)という、何かあった時にも妻に助けて対応してもらえるようなプランにすることにしました。


うん、来週は少しだけ北関東の職場に顔を出してくる!メンタルのために、日常を取り戻すぞ!