私のように発達障害を持つ人々が、生きやすくなるためには、
まず、何をおいても、発達障害の自覚を持つことであり、
自覚を持ったら、その特質を、充分に認識していくことだと、
私的には思っている。
だけれども、特質を知って、短絡に、ただ対処だけすれば、
万々歳、全てことも無し、というわけにも、いかないようにも感じている。
人間というものは、誰しも、
思考を超えたところの存在とでもいったらいいのか、
思考を超えたところへ繋がっているというような、
自覚のようなものも、必要ではないかと。
いや、そんなのはどうでも良いという人々がいるのも、
それは、それで、そうだろうとは思っているし、
土台、非二元的には、そういうのは、恩寵によるもので、
自覚しようにも、しようがないという視点もあるわけで。
それでも、私には、それが、どうにも、必須な感じがしている。
でも、それは、私個人が、というよりも、時代が変換しているから、
私という個人も、その流れの中にいるゆえではないかとも思っている。
発達障害が知られていなかった時代の、生きづらさのために、
色々探求もしてきたけれども、
発達障害の特質を知って、なおも、
意識のあり方の探求は、上限がないような・・・
まだまだ、よわいを重ねていても、
対処も追いついていないと思っていることも、
ままある状態だけれども、
でも、たぶん、対処する諸々のことも、
意識の在り方と、綿密に結びついているとも思うし。
もちろん、意識を意識していくのは、個人でやる以外にないので、
個人のことなのだけれども。
時代は、物を意識していた時代から、
意識を意識していく時代に、流れているそうで。
いわゆる、風の時代というやつ。
ああ、今日は、お腹が空いていて、もう、書けない。
風の時代ということに、なんとなく寄せる想いがあって、
書き始めたのだけれども。
ここのところ、食べ過ぎていたので、
今日は食べる量を減らしたら、
お腹が、空きすぎて。
極端に減らしたつもりもないんだけどなあ。
やっぱり、加減が、むずい、発達障害は。
特質がらみも、まだまだ、てか、一生だろうし。
ふぅ。
今日も、話しが、あっちゃこっちゃして、
書き終わるなあ。