「・・・正しいと、〇〇される。
お前は正し過ぎるから〇〇される。」というセリフを、
映画の中で見たときがある。

 

タイトルも忘れてしまって、シーンもおぼろげでしかないけど、
字幕だったのは覚えているので、外国映画だったと思う。

 

そのシーンとセリフを見ながら、
その頃、友達に諌められたことを思い起こしていたのも覚えている。

 

その友達は、

正しいのはわかるけど、自分を大事にしてないよ。
誤解されて省かれるよ、と。

 

言われたときは、発達障害のことも知らなかったし、
なぜ、正しいことを言って、自分を大切にしていないになるのか、
どうしても、わからなかった。

 

映画を見て、正しいことを主張すると省かれるというのは、
普通にあることなんだなというのは、すごく合点した。

 

それでも、

自分で言うのもなんだけど、純粋なアスピーに、

人を貶めようとか、陥れようというのはなくて。

 

アスピーは、というか、発達障害の基本の特質の一つに、

自分の視点(悪く言えば自分の都合)のみで、
相手の視点や相手の都合は、欠落しているというのがあり、
ゼロ百思考の特質も相まって、

正しいと思ったことをハッキリ言うことになり、
それが相手にとって都合の良くないことならば、省かれる、
というようなことだったんだろうな、と今は思う。

 

いや、その場合、

そもそも都合が良くないというのは、私の視点であって、
相手が同じく発達障害の特質なり傾向なりを無自覚に、
バリ持っていたら、相手にとっては、
最高善だったりすることもあるだろうし。

 

例えば、儲けることのみに、
発達障害の特質であるゼロ百思考で、一旦固まってしまうと、
何をしても良いことになる。

 

その何をしても良いというのも、
全ての人が自分と同じ視点で、自分と同じ都合なわけだから、
悪意無く・・・というのは、
相手の都合は存在しないから、悪意は存在しようもなく。

 

人を陥れるという感覚も、湧きようがない。

 

私は稚拙な発達障害者で、
誤解には使われるばかりだったけれども。


知的な凹凸発達が儲けることのみに固まっていれば、
その誤解をも使って、人の感情や心理を利用し、
巧みに誤解に誘導したり、誤解のまま行動させたりすることは、
相手の都合が存在しない無自覚発達障害にとっては、
最高善なこともあり得るわけで。

 

誤解に誘導し続ける巧みさ自体が、
相手の都合は存在しようがない無自覚発達障害には、
揺るぎなく絶対善だったりする。

 

そして、善悪以前に、誤解には、解こうとすればするほど、
誤解で締まっていく、という性質もある。

 

世界は、今、ほとんど、誤解で成り立っているような。

 

で、無自覚発達障害こそは、
誤解で今の世界が作り上がっている大元のような気がしてならない。

 

発達障害は、知的に優れていることも多々あるので、
(私は、知的に優れていないし、学歴もないしだけど^^;)

もし、社会の中心が無自覚凹凸なら、

世界は、誤解の世界のまま・・・。

 

今一番の誤解は、人の道関係なんだろうなあと。

人の道に見せて、人の道ではなかったり、
人の道ではないように見せて、人の道だったり・・・。

人の道に関して、このまま誤解はどうなっていくのか、と思ったりしている。

 

ああ、それにしても、私も発達障害。

 

とはいえ、自分は知的とは真反対なアホやし、
発達障害の特性の自覚が始まったのだって、人生の遅い段階だし。

 

でも、
植物に成長が組み込まれているように、
自分もアホはアホなりに、0.1ミリでも成長するしかないように、

なっているような気もする。