子供は、生まれる、それだけだ。
と、母との関係で受け入れた。
要するに、親が子供に育む愛を注ぐのは、
義務ではないということ。
少なくとも、私の場合に限っては、
それを受け入れたということ。
愛を注ぐことを、義務にしても、
義務にした時点で、愛ではなくなるし。
本当に、子供は生まれるだけだなと。
子供は生まれたら、その子供の運命を、生きていくだけなのだ。
私なら、なぜだか、初老のこの年まで、生かされていて、
それで、自分は何でできているのか、どんな思考に凝り固まっているのか、
その探求を、やらざるを得なくて、それに生きていて、
この探求も、私が私の運命を生きていると言うことなんだろうし。
私の親の世代までは、結婚して子供を持つという以外、
選択肢は、ほとんどなかったような気がする。
私の世代でも、ほんとんどの人は、それが自然なこと思っていたと思う。
無理なところで、子供を産むものだなあと、
思わずにはいられない、友人知人もいたけれども、
親の世代の繰り返しをしているように、私の小さな頭では思えたとしても、
その命が、与えられた命を、命として生きていくことに、
今は、何か、すごさを感じる。
人間が頭で考えた抑制が、良いのか、どうか。
私自身は、子供ができにくかったというのもあるけど、
発達障害の特質的なことはわかっていなかったにしろ、
この私では、持っても、うまく育てられないだろうという
意識の方が大きかったかもしれない。
ただ、言えることは、
抑制という外側だけを、いじってもダメなんだろうなあと。
内側に、愛がなければ。
内側が、コントロールであれば、ダメなんじゃあないかなと。
外側を見て、ただ外側をコントロールするのでは、ダメなのだと。
愛がなければ。
愛は、全てをよしとすること。
人口も、これでよしなのだ。
ということは、抑制しようということも、よしか。
・・・いったい、どうして、
子供は生まれるものだ、から、人口のことまでに、いってしまうのか・・・
話しが、広がり過ぎて、まとめようがない・・・
ADHD脳だから、しょうがないわということで、
今日は、ここで、書きどめ。