ちょっと長くなりそうだけど

自分の気持ちの覚書のために書こうと

 

大切なものを大切にしてはいけない気持ち

 

生まれ育った環境で

母が姉のことは、嫌いなのかと思えるような言動なのに

私のことは、とても大切にしているような言動で

(ほとんど私の気持ちが汲まれるということはなかったけれども)

 

 

私は、あまりに胸が痛くて

自分が大切なものを大切にすることは罪になった


 

自分にとって、一番大切なものは自分なわけで


 

でも、少しでも自分を大切と思えば

罪なことをすることになり

たえられなくなり

結局、自分を大切にという思いが湧いたとたんに

逆に、自分を蔑ろにしていってしまうのがクセになり

それは、私の人生を破壊していったわけなんだけれど


 

今ならわかるよ

 

 

母も姉も、ただの発達障害で

自分しか存在していない世界だったから

 

近しい人々(中の人々)は、特に

自分が感じるように、誰もが感じると思っていたし

自分が考えるように、誰もが考えると思っていた故の

激しい軋轢でもあったのだろうと

 

でも、立場的に母の方が上だったし

母も若くて姉とは歳が近かったにしろ

当然、保護され、お世話される立場の子供である姉は

様々な精神不安定を抱えていくことになる

姉に対する私の罪悪感もマックスになっていったし


 

家で唯一の定型は、父方の祖母だけだったと推測できる

 

私は祖母が亡くなるまでは

ほとんど祖母に育てられていたらしいけど

残念なことに祖母の記憶はない

 

母の何気ない思い出話しから推測するに

明治生まれで気骨のあった祖母も

夫(私の祖父)と息子(私の父)に加えて嫁(私の母)とに関わって

相当カサンドラだったと推測できる

 

私が物心がつく頃あたりで、家で唯一の定型で

それまで、何かと懸命にバランスを取ろうとしてくれていた

その祖母が亡くなって

母は父との関係もたいへんで、母と姉の間もすざましくて

 

私は、姉とは歳が離れていたし、幼かったので

主張する観点も持っていなかったし

たぶん、私の元々のADHD傾向は

ソワソワ感も多動もあったけど

それは苦しくても自分でかなり抑えることができたのとは対極に

頭の中の多動は抑えなれなかった

だから、言動には出ないで頭の中が忙しいタイプのADHDだったのだと思う

そのため、すざましい軋轢を目にするたびに

そしてまた、自分に降りかかる、母なり他の家族の言動に

どうしてなんだろうと、悩むことで精神が潰れていって

 

発達障害の情報を得るまで

精神は潰れっぱなしだったわけだけど

 

厄介なことに、薬に対してアレルギー持ちなので、病院にいくことはなく

(今考えれば薬アレルギーに守られたとも言えそう)

代わりに精神性を何とか知る方向に私は向いていったけど

結局、発達障害の情報を得るまで

さして、辛さ、苦しさが変っていくきっかけにはならなかった


 

今なら、ホントに、過去の諸々の出来事の

パズルも解けていく感じがするし

霧が晴れていくようにも感じる


 

発達障害の情報を得るまでは

家系的に統合失調症の家系ではないかと、絶望していたけれど

誰も幻聴も幻覚もないから統失ではなく

バリバリ発達障害な家系なんだと思う

 

発達障害の概念を知って

発達障害なら絶望しなかったのかといえば

当初、不思議な安堵感と共に、しっかり絶望したけれど

 

発達障害なら、パズルは解けるので

特に私の場合は、先の理由により投薬とか大っ嫌いなので

めっちゃ、踏ん張りも必要だけど

探究しながら、取り組んでいくことはできる

 

だからこそ

本当に、発達障害の情報が

広く浸透していくことは

朗報だと思っている


 

追記;

願わくば、姉がもう少し、生きていてくれたなら

良かったなあと、6月の紫陽花の頃になると思う

 

他の兄弟姉妹には

ここ何年も実際にはあってないにしろ

みな存命なこともあって

思いを馳せるということも特に起きないのだけれども

 

今日は紫陽花が満開な道を通って、姉への想いが溢れてきた

 

命日は3月なのだけれど

姉の誕生日が紫陽花の咲く6月で

亡くなった子供の年を数えるようなセンスなのかなあ

ようわからんけど

 

姉は、結局、自律神経失調症をこじらせる形で

10年ほど前に還暦を超えたくらいで

体の衰弱により亡くなった

10年前は、まだまだ、心療系のお医者さんでも

発達障害として扱えないところがほとんどだった

 

今くらいまで、もう少し生きていてくれたなら

なかなか理解はし合えなかったとしても

姉のことも大好きだった私は

もっと理解し合えたに違いないと思うと

残念さが、湧いてくる

 

母は、結婚して遠くに住んでいた姉が亡くなったとき

その数週間前に、相当弱っていた姉と電話で

時々、電話で話そうね、という優しい会話ができたからと言って

姉が亡くなったときは、姉との関係はすっかり完了していた

 

姉が亡くなったときは

母の在り方にやるせなさを感じたものだけれど

 

今なら、わかる

 

点でしか、出来事が存在していないから

一番最後の一点が、都合よく全部に、塗り替えられてしまう


 

いつも親切で愛はいあっぱいある、世話焼きな部分のある母だ

その親切と愛も本当のことだし

そうやって都合よく良いことに塗り替えられるからこそ

大変な苦労の時も、切り抜けてこれたとも思うんだけれども

 

発達障害の仕組みを知らないと

傍目の理不尽さは、どうしてもつきまとう

それは、当人のせいではなくても

子供だったら大目にみられても

大人になってもそのままだったら

免責されないことも当然あるよね

 

含む自分だから、やるせない、はあ