先日のワークショプの第3部で
ある人の離婚を扱うケースがあった
私は離婚という言葉にものすごく抵抗がある
離婚する気も全然ないにしろ
合ってきたかも知れない歯車も
意識を起こしておくのを怠れば
どこでかではずれてきてしまうだろうし
で、一番の抵抗は
見捨てられる恐れと、見捨てる恐れの
両方からくると、WSで発見した
今日のJoeさんのメルマガはタイムリーで!!
なんとなく怖いが一番怖い
何がどれくらい怖いか明確ならば、対処ができるけど
なんとなく全部が怖いだと、対処ができないって
くう〜、
こんな文章読むと、生きてて良かったと思うよ
(大袈裟?! 許して♡ADHD&大仰型入ってるから)
話を戻して
私の、見捨てられる恐れと、見捨てる恐れの両方ともが
ホント、バリバリ過去生なんだなと思う
(いきなり、ワークショプ的話しに飛んだ)
連れ合いは過去生とかは、ただの概念という考え方だけど
私は、証明はできない、過去生というものをあるとすると
本当に腑に落ちる
たぶん、連れ合いが、過去生を概念とだけ捉えるのは
感覚が起きないからだ
連れ合いが、ポイントを外してなかったのは良かった
つまり、(あるワークで)
号泣によって、感情が解放されたのは、良かったね
そこが、ポイントでしょ、と言っていて
うん、確かに
ただ、それを過去生と視るこの感覚の部分も共有できると
広がりや厚みが、楽しめるんだよねえ
要は、そういう感覚での話しを共有できる友達が欲しいんだな、私
別にそれは、連れ合いでなくてもいいんだよね
連れ合いは
グラウンディングが私よりしっかりした部分があるので
ポイントはバッチリだし、連れ合いはそれで十分なんだし
でも、この感覚のところの話しを共有して
ふだん、話しができるようになりたいなあ
ってことなんだなあ、と
そう、意識の広がりと厚みを共有して楽しみたいんだな、私
ここ、パラレルワールドのポイントかも
やってみよ
(パラレルワールド:WSで教えてもらった手法)