私自身も教師のイジメは経験したことがあります。その当時、手の甲に疾患があったのでクラスメイトからは「こいつ、手が腐ってる!」と一時は教室に入る事すら嫌がられたりもしました。その様子を見た担任は、「しっかり手を洗ってから入れよ!(笑)」と、生徒のノリにしっかり乗って受けを狙うような輩でした。幸いにして道徳の先生が問題視してくれて、その後解決しましたが、当時、道徳の先生と担任の間でどの様なやり取りがあったのか?ぜひ教えてほしかったと思ってます。
別のパターンとして、高校では成績上位に常にいたからこそだとは思ってますが、担任より
「いいか、◯◯(私)を倒さないと大学合格も叶わないぞ!あいつを引きずり下ろせ!」私もあなたの生徒なんですが、、、と突っ込みたいくらいクラスメイト全員より成績面では敵視され、それを担任が煽るという愚策。
性格がねじ曲がったのはこれらの経験に拠るところがあったと思ってます。
私は数人からのイジメというよりも組織的にクラスや学年全員といったかなりの多数もイジメかつ担任が半ば扇動するような境遇でしたので、一般的なイジメとはやや違うのかもしれません。しかしながら、担任自身が楽しんでいたのか?それともクラスの多数寄りの意見や行動に乗っかっただけなのか?イジメ被害者を庇う行為は担任自身の被害に繋がるとでも思ったのか?定かではありませんが、所詮は社会に出たことのない大人なので、判断力にせよ、正義感にせよ、人間力次第ではイジメの空気感であったりマジョリティの力に屈したりするものなのでしょう。或いは事なかれ主義で臭いものには蓋をして見なかったことにする現実逃避主義なのかもしれません。
教師に期待を全くしていないので、どれだけプロ意識を持ち、子ども達の心身の発達と成長に寄与しているかなんて考えられないのだと割り切ってます。
しかしながら生徒側も事なかれ主義で教師への報告や相談を控えたり、教師も報告や相談がないので見て見ぬ振りが出来たりと、相互不可侵のような関係性のタイトロープを渡りながら卒業迄過ごすのでしょう。
教師に何処まで依存するかですが、明らかな指導不足や管理不足は怠慢であり、イジメの見て見ぬ振りは犯罪ほう助と同類との認識は無いでしょうね。
教師の労働環境やら過重労働問題と言われていますが、それがイジメという犯罪の黙認や黙殺の免罪符とはならないことを祈るばかりです。
以前にも書きましたが、何故か校内の犯罪は刑事罰に触れない様処理処分されがちです。ここは是非とも警察の介入がもっとスムーズになるよう、生徒が気軽に報告連絡出来る第三者機関が警察側からのアプローチでできて欲しいです。どうせ教育委員会や文科省側だと揉み消しに加担するだけかもしれませんし。それだけ教育畑しか歩んでこなかった大人達で、しかも保身やらプライベートやら宣う輩に「教育」教え育む意識等欠片も見受けられないのですからバシバシ断罪していくべきでしょう!そもそも人材不足で慢性的なのですから今更気にする必要もありません。
別に、道徳や生活育成のプロ教師を育て配置するのはどうでしょう?生活指導の専門家です。教師の免状では無く別の採用条件で社会人経験した有る、実際に社会人になれば当然求められる礼儀やマナー、法令遵守や道徳観や分別を生徒、教師双方を指導監視する役割が居ても悪くはないのではないでしょうか?
教育という狭い利権社会に公権力の介入は決して良しとは思われないでしょうが、それだけ腐敗しているという自覚と改善していく覚悟さえあれば、進む問題だとは思います。また自浄能力の欠如ももはや皆無であることの認識も必要不可欠でしょう。