ブログをご覧いただいている皆様、平素より同志社大学体育会ラクロス部に多大なるご支援ご声援をいただき、本当にありがとうございます。皆様のご支援のおかげで、素晴らしい環境で全国制覇を目指し、応援してくださる皆様がいたおかげで全力で楽しんでラクロスすることができました。悔しくも関西制覇を果たせず、結果でお返しすることが出来ず申し訳ない気持ちでいっぱいです。来年以降、後輩たちがもっと強い同志社を創り上げ、いつか必ず日本一の景色を見せてくれる日が来ることを信じ、同志社ラクロス部を愛していただき、今後ともご支援ご声援いただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

 

改めまして、今年度主将を務めました、4回生の篠原詩歩(しのはらうたほ)です。

遂に引退ブログを書くときになってしまい、時の流れの早さに驚きでいっぱいですが、記憶力が本当に乏しく微かな記憶をたどりながら私のラクロス人生を振り返りと伝えたいことを書いていこうと思います。お時間ある時に読んでいただければ幸いです。

 

正直ラストイヤーが濃すぎて、高校時代から3回生も色々あったのに、今思い返せばただ漠然と楽しかった記憶しか残っていません。よくよく振り返れば、辛かった時やしんどかったこともありましたが、引退してしまえば過去のキラキラした青春でしか過ぎないものでとなってしまうのだと感じました。後輩たちは、今悩める幸せを感じることは難しいだろうけど、いつか必ず楽しい思い出になって、笑い話になるだろうから、逃げずに向き合い続けて頑張ってね。

 

 

【7年のラクロス人生 振り返り】

 まずは、高校時代。私は運良くラクロス部がある高校に入ったおかげで、高校からラクロスを始めることになりました。高校時代のラクロスも仲間と環境に恵まれ、最高の青春時代でした。高校から一緒の大学BB組には今の私の性格や言動は高校時代の私とは全然違ったと言われます。自分でも間違いなくそうだなと思います笑

多分今みたいにうるさいって言われることもなかったし、自己開示をして自分が出来ないことに対して助けを求める人間でもなかったと思います。高校時代もキャプテンを務めましたが、ただミスなく仕事をこなすこと、完璧でなけばならないと思い続けていたし、堅い人間だったと思います。だから当時の自分にとっては負担も大きく、かつ全国大会もコロナでなくなり、ある程度自分の中で区切りがついてて未練もなかったから、大学で自分が続けるとは1ミリも思ってもいませんでした。

 

 大学入学後、自分自身を成長できる環境におかなければいけないという思いから結局ラクロス部に入ることになりました。当初他の同期ほど、日本一になりたいという夢や強い思いがあった訳でもなく、過去やり切れなかった思いを晴らす為に入ったわけでもなく、ただ体育会なのに午前練という素晴らしい時間の使い方と知ってる友達が入るからという単純な理由で入部しました。だから、高校時代とは完全に別で考え、大学では絶対に幹部にはならない。楽しくラクロスするんだと心に誓って、入部しました。

 

 ラクロス部に入った選択は間違いなく正解だった。多忙な中で精神をすり減らしながらも、最高に楽しい1、2回生でした。多少の雑用や理不尽はあったけど、それすらどうでもいいと思えるほど、先輩たちとするラクロスが楽しくて、新しい発見と成長しかないラクロスの日々は、超気楽だったし、あっという間でした。

 1回生の頃は、Bチームで大学ラクロスの面白さを学び、同期でウィンターあたりからあかつき優勝まで熱く語り合った日々は最高でした。あかつき準決勝、関学戦の試合前アップで左足首を怪我して、出れないと悟った時は絶望でしかなかったけど、みんなが優勝してくれて本当に嬉しかったし私ら最強ムーブでした。優勝後の広島旅行で、怪我で歩けなくて皆におんぶされて旅行したことが私のあかつきでの最大の思い出です笑

 2回生は、リーグ戦のスタメンで出させてもらうことになったけど、毎日楽しいだけのマインドで、かつ自分が良ければなんでも良くて組織に対しての意見や主体性は乏しかったと思います。今思えばラストイヤーのラクロス人生をかけて頑張っている先輩に超失礼だし、もっと勝つ為にどうすればいいのか、自分がチームを勝たせる為には何ができるのか、考えるべきだったと思います。でも下級生の頃は総じて偉大な先輩達にチヤホヤされ、のびのびと出来た良き時代でした。

 

⭐️ あかつき優勝

 

 そんな、楽しいだけで乗り越えられる時代はいつしか終わりを迎えました。

22チームが終盤に差し掛かり、来年の春幹部決めをする際、これまでの同期の関係性や自分自身もどこかチームを引っ張り組織に貢献したいという想いもあって、薄々「え自分春主将をやる感じなのか?やるしかないか、、。」くらいの気持ちで春主将になりました。

もっと主将のような立場になる人は、やりたいってゆう強い意思や覚悟を持つべきだと本当に思うし、そんな奴が本当にやってよかったのか今でも思いますが、決まったものは仕方ない。(というか大学では幹部は絶対にもうやらないと心に誓って入った入部当初の気持ちはどこいった?と当時の自分に言ってやりたいです笑)

 そして2年生の冬、23チームがキックオフを迎えると、春期間が始まりました。同期ミーティングも沢山して、みんなで23チームだけど3回生で乗っ取ってやろう!くらいの気合いで始まった春期間だったけど、やっぱりすぐにはチームを引っ張れる技術も行動も伴ってなくて、そんな口だけが一丁前で、いざ練習になると思い通りにいかない自分にも、同期にも、チームにも、嫌気がさして、初めて部活が嫌になった時期だと思います。ラクロスすることは大好きだし、みんなの事も好きだけど、練習前の時間や終わってからの振り返る時間も憂鬱で、そんな組織をどう変えればいいんだろうかと悩む時間が1番精神的にきつかったんだろうと今振り返れば思います。別に当時みんなに大丈夫?って聞かれたら、全然大丈夫だし自分としてもそんなに精神的にきてるつもりはなかったのに、3月くらいのOG戦で、すうさんに声をかけられた瞬間急に泣けてきて自分って結構いっぱいいっぱいだったんだなとそこで気付きました。

 

 そんなこんなもありながら、春期間を忙しなく終えました。その後のシーズン中は、偉大な先輩とするラクロスが好きだったし、同期とバカ話をする時間が大好きで、あっという間に3回生が過ぎました。一年を通して副将という立場だったにも関わらず、役職で何かが大きく変わることもなく、ただ自分が出来ることをチームに還元することをしながらも、かりんさんの後ろをついていくだけで、一瞬でシーズンが終わりました。ラストイヤーでようやく、どんな相手だろうと負けるかもしれない、圧倒的な結果を残さないといけない怖さとそんな試合でも皆と戦って勝つ瞬間を求めて、毎試合噛み締めながらやってたけど、それまでの3年間は、自分たちが予選で負けるかも知れない怖さなど1ミリもなく、気付けば開幕、気付けばばファイナル、そして結局関学には勝てなかったなとあっさり終わってしまったように感じます。

 

⭐️3回生の夏合宿

 

 遂に4回生、ラストイヤーに突入します。再び幹部決めをする時期になったけど正直春幹部もしたし、基本的にはこのままいくか、変えるかの話なるだろうとは理解していて、そのまま行くとなると自分が主将になることくらいわかっていたけれど、実際のところ、そこまで気持ちが追いついていなかったと思います。というかそもそも自分が主将をするんじゃないか、大丈夫かな、でも自分がやらなきゃ誰がやるんだってゆう気持ちが先行して、本当にやりたいのかなんて後からの理由付けで一度立ち止まって決め直したいという判断すらできなかったし、言い出す勇気もありませんでした。春主将とはやっぱ全然違うし、桁違いの覚悟がいるし、マジで誰よりも日本一に執着し、部員全員で日本一になりたい、みんなを勝たせてやりたいという強い想いがなければいけないことは分かっていながらも、そんなことを大声で私についてこいと宣言できるまで気持ちが作り切れないまま主将が決まりました。私を支持してくれた同期にも嬉しく思ったし、支持をくれるみんなの期待に応えないとと思ってました。だからあんまり自分が主将することに関してのマイナスな考えや当時の気持ちを伝えることはほぼ無かったと思います。(一度主将と決まった後、あっさり決まり過ぎて本当に私でいいのか、もしするとなった際に何か思うことはないのかなんでもいいから聞いておきたいと思って自らわざわざ設けた回生mtgでは、みんなに褒められるだけの会で自分が設定しておいて自分が褒められるmtgみたいになって“なんだこのミーティングは?こんな事言われる為に開いたんじゃない“と思ったことをよく覚えています笑)

 

初めの方でも話したように、私はおそらく珍しいタイプで私のもともとの入部の理由が日本一に惹かれて入った訳でもなかったし、結果に固執してまで努力できる人間でもありませんでした。ただの負けず嫌いで、嫌なことはやりたくない主義の人間でした。だから当初の私の気持ちとしては、もちろん日本一になりたいし、最高の景色を見たい。けどその為にまずこのラクロス部で四六時中ラクロスすることになるのだから、誰もがラクロスを好きなまま全力で楽しむこと、その上で目標に挑むチームにしたいなという気持ちが大きかったです。そんな大した覚悟も決まらず、でも断りたいとも思わなかったから、時間と共にどんどん話が決まっていきました。

 

 結局、私が覚悟のようなものを決めたのは、役職が決まってからキックオフまでの1ヶ月程かかりました。当初は、自分がやらないといけないという責任感やキックオフが迫る焦りから、新チームに対してのワクワクなど感じる余裕もなかったし、目標やスローガンから、チーム方針やコーチ体制など話し合わないといけない内容が山積みの中で予定が全く合わない、話し合いが進まないし進め方がわからない、などなどキックオフ前の期間はもう2度と戻りたくないほどに追い詰められてた期間でした。でも、その膨大な話し合いを踏まえて、同期の全カテゴリー全国制覇に対する想いを毎日聞いて、次第にこの学生生活の4年間を捧げて死ぬ気で勝ちたい。部のトップに立つ人間として、ただ楽しくラクロスをすることだけではダメだ。その上でこの人たちと全国制覇をするんだ。みんなの為に、そしてそれが自分の為になるのだから。その為なら自分は身を捧げて、全てを犠牲ににしてまで頑張るんだと次第に思うようになっていきました。私は、こんな感じで覚悟を持つのに人一倍時間がかかったし、もともと強い意志があったわけじゃないけど、みんなと同じように本気で全国制覇したいと思っていたし、その気持ちは誰にも負けないくらい強いと思えるようになりました。こんな主将でごめんね。でもここまでみんなついてきてくれて本当にありがとう。

 

この1年間は、四六時中ラクロス部のことを考え、朝から晩まで部員と一緒にいて、かつてないほど濃すぎる1年でした。練習中の部員の態度や雰囲気一つひとつが気になり、そのストレスに耐え、練習が終われば部活のタスクや問題に頭を抱え、また問題解決していないまま憂鬱な練習に早朝から向かう日々の繰り返しでした。それでも、いざラクロスをしてしまえばみんなとラクロスしてワーキャーして、どうでもいいような話でバカ騒ぎする日常があったから、それが息抜きになってたし、頑張る活力になってました。精神を擦り減らされるのも女ラク、でもそれを忘れさせてくれるのも女ラクで、長い1日が刻一刻と過ぎていきました。

 どの年よりも濃かったからこそ1番長く感じた1年でした。結局KGには勝てなくて、呆気なく私のラクロス人生は終わってしまったけど、最後の最後までみんなとするラクロスが1番楽しかったし、しんどかった日々が私を成長させてくれた一年でした。結局同志社が最高で最強だったと過信しながら青春の思い出にしようと思います。

 

⭐️閉会式

 

【後輩たちへ】

次に、後輩たちへ今私が思う伝えたい事を2つ伝えようと思います。

 

まず一つ目は、リーダーシップは性格の問題ではなく、努力して身につけるものであるということ。リーダーシップは優秀な人に兼ね備えるられた特性だと思っていませんか。そして自分はリーダーになるような人じゃないと決めつけ、自分は幹部じゃないから、まだ下級生だから、と言われたことに従順に従うことが全てだと思っていませんか。でも、人に言われたことに忠順になり、敷かれたレールの上をただ歩くことは決して優等生なのではなく、ただ楽な道を選んで責任を放棄してるだけかもしれません。もちろん、組織に所属する以上、団体行動は必要で、フォロワーとしての自覚と最大限の行動は必要です。でも、そのフォロワーがリーダーシップを発揮し、周りを巻き込むことこそ、チームを爆発的に成長させる手段であると思います。みんな仲良しこよしだけがしたくてこの部活に入ったわけじゃない。全国制覇を目指すこの組織にいる限り、こんな大所帯の組織入ったからには、誰かについて行こう、誰かに殻を破ってもらおうと思わず、自分で自分を変える必要があります。それを大学生のうちに経験出来ることがラクロス部のいいところだと私は思います。全員が優秀なフォロワーにもリーダーにもなれる組織になれれば、同志社はもっと強くなれると思います。ただ言われたことを受け入れるだけでなく、その輪を周りへ普及させる影響力を持ってください。

私が3回生までただ優秀なフォロワーであることに現を抜かしリーダーシップを取ろうとしなかったことの反省と、この1年主将をしてリーダーシップを発揮して貢献くれる同期や後輩を見て感じたことです。

 

二つ目は、自分が全てだと思わないこと。そんなの分かってるわって思うんだけど、ついついガチになればなるほど忘れちゃうんだと思います、私もそうでした、。この1年、シーズンが佳境になるほど、各自の強い思いから齟齬が生じ、ピリついた空気感が漂い、最終章に向けて全員でギアを上げてより団結していきたい時期こそ、組織に亀裂が入りそうですごく怖かったです。でもそれぞれの立場から組織に貢献してくれる下級生の熱気や同期の真剣な姿があったから、頑張ることができました。

それぞれの立場でしかどうしても感じ取れない情報の中で、一人一人考えたなりの意見があるし、幹部や学年、選手とスタッフ関係なくそれぞれが意外と組織や人に対して思ってることはいっぱいあります。何も言わない人が悪いんじゃなくて、言い合える環境や関係性がないだけなんだと思います。自分が見たものだけで、決めつけるのではなく、互いを信頼し自己開示することや周りの意見を聞くことを忘れないで欲しいなと思います。自分の気持ちや意見を伝える勇気とどんな意見でも受け止める寛大な心を全員が持てば、より多角的な視点で組織を見つめ直すことができ、より曇りのない強い絆を持った組織になるはずです。

 

そして、自分が全てだと思わないことに関しては部内だけではありません。特にこの一年、主将として部を運営する中で今まで自分が思っていたよりもはるかに多くの方がこの部活を支えてくださり、応援していただいていたことに気付かされました。我々学生だけでは無力で、本当に多くの人に支えられてラクロスをすることが出来ています。正直毎日つらい、しんどい、なんで自分たちだけこんな苦しい思いしてんだっけってなるけど、それは自分で決めた道。愛し愛される同志社を作り上げてくれたのはかつての先輩達で、別に自分たち一から作ったわけじゃない。学校に通えてるのも、素晴らしい環境でラクロスできるのも、素晴らしい道具が揃っているのも、元を辿れば全て周りの人のおかげです。そんな人達の存在に感謝し、これからも全力で楽しくラクロスしてください!そしてみんながラクロスを楽しく全力ですることが1番の恩返しとなるはずです。

 

【メッセージ】

ここまで長くなりましたが、ラストにお世話になった人へのメッセージで締め括ろう思います。全員は書けませんでしたが、この4年間、関わってくださった全ての人のお陰で、最高の青春時代を過ごし、これからの人生の糧となる素晴らしい経験と財産を得ることができました。

本当にありがとうございました。

 

肥田監督

24チームキックオフ前から、引退する最後の最後まで、個人としてもチームとしても本当に肥田監督の考え方や言葉に救われました。そしてその言葉一つ一つが自分を見つめ直すきっかけになり、少しは人として成長できたかなと思います。本当にお世話になりました。またご飯連れてってください!

 

横井先生

毎試合、足を運んでいただきありがとうございました。そして我々の見えないところで、私達が楽しくラクロスできる環境を整えてくださりありがとうございました。こんなにもラクロス部を愛してくださる横井先生に優勝という結果で恩返しすることができず無念ですが、いつか必ず優勝するのでその時までラクロス部を見捨てず、ご指導よろしくお願いします!

 

あっきゃんさん

私達も4年目にして初めてHCが変わりチャレンジの年でしたが、あっきゃんと共に試行錯誤しながらもがけた日々は、大変だったけど、とても貴重でかけがえのない時間でした。技術面だけでなく、組織の面でも相談させてもらう機会が増えて、自分では抱えきれなかった問題や見えなかった部分を伝えてくださったことで、自分の嫌なところを突かれような気がして、主将としての役目を全うしろと背中を叩いてくれたのはあっきゃんさんでした。至らぬ点も多くあったと思いますが一緒に24チームで戦えて良かったです。ありがとうございました。

 

家族

いつも早朝から出て夜遅くにしか帰らない生活が続いた日も、外で体力全て使い果たしてぼろぼろで帰った日も、自己中な私で迷惑しかかけてこなかったけど、それでも優しく見守り、道を正し、飴と鞭で私を支え育ててくれてありがとう。今まで何も返せてなかった分、しっかりと社会人になれるように、残された大学生活で自分磨きと行動で恩返ししていきます。

 

同期へ

本当にみんなが同期でよかった。多分私に対して思うことはいっぱいあったと思う。それでも、何言っても受け入れてくれたし、思うことをしっかりと伝えてくれた。それぞれの意思が強くて正直収集つかず困ることも多かったけど、こんなめんどくさがりな私に毎回火をつけてくれて、背中を押してくれていたのはみんなです。ただの友達では触れることのなかっただろう、それぞれの本性や、良いとこも悪いとこも全てを愛おしく思える同期に出会えてよかった。社会人になっても会おうね〜!

 

あすか、ちひろへ

君たちがいてくれたからラクロスが楽しかったし、私の原動力になってた。ラストイヤーそれぞれの立場で頑張ることが多かったけど、何か見えない絆で繋がれてたような感じがしてたし、権力弱いなりに3人で色々相談する時間が楽しかった!笑

同期ホームが2人でよかったよ、ありがとう🫶

 

かれん、はるかへ

本当にみんなお疲れ様。幹部が2人でよかった。それぞれ抱えてる思いや悩みがあってみんなしんどかった1年だったけど、2人が頑張ってるからやらなきゃと思えた。2人の熱い執念で絶対にみんなを勝たせるってゆう思いを絶対に無駄にさせたくないって思ってたし、だから自分も頑張れた。本当にみんなよく頑張りました。ありがとう。

 

3回生へ

私達って3年間も一緒に苦楽を共にしてきたんだね。正直3回生の全員が全員に良いところも悪いところも言い合える関係性が羨ましかった。君たちの真面目さとユーモア溢れる行動の両方が、確実に24チームの土台を作り、上と下を繋げ合わせてくれた。そしてみんなの同期愛の強さが、来年25チームの鍵になる。これからが踏ん張りどころ、自分の殻をもう一枚破るところ、いっぱいぶつかって、来年こそ私達に全国の景色見せてね!

 

2回生へ

小学生かと思うほど単純で、元気なみんなの存在が、私達上回生の不安な心境を毎回かっさらっていってくれていました。自由奔放で素直なみんなが、もう3年生で上回生かと思うとびっくりだけど、みんなが先輩ズラしてる姿も見てみたい笑

今まで以上に深いところまで考えることが増えて、簡単にはいかないことも増えるだろうけど、その自由奔放さと元気さはだけは忘れずに、君たちのカラーで同志社ラクロスを染めていってね!

 

1回生へ

24人もいる学年って大変だし、それぞれの優しさが上手く連動するのにはまだまだ時間はかかると思う。だからこそもっともっと自分以外の23人のことを知ろうと努力するんだよ。でも関西決勝後からの君たちの変わり様と成長スピードには驚いた。みんなラクロスが好きで、しっかり自分の考えを持ってる良い奴の集まりじゃん。まだまだシャイな学年だけど、それだから君たちの未来が楽しみだよ!最後の最後に私達にウィンター優勝という最高のプレゼントをありがとう!一生の思い出です!

 

最後に、私はこの同志社大学女子ラクロス部に入部して、多くの人に支えられ、みんなと一緒にラクロスができて、最高に幸せな4年間でした。これからも女ラクのことが大好きだし、みんなのことが大好きです。本当にお世話になりました!そして、ありがとうございました!