「人生最大のわがまま」
 
平素より同志社大学体育会ラクロス部に多大なるご支援ご声援をいただき、誠にありがとうございます。皆様のご支援のおかげで「学生日本一」という目標に向かって全力でラクロスを楽しむことができました。思い描いていた結果からはかけ離れた形で終わってしまい、結果として皆様に恩返しする事ができず申し訳ない気持ちでいっぱいです。来年以降、私の自慢の頼もしい後輩たちがさらに強い同志社を創り上げ、必ず日本一という最高の景色を見せてくれると信じています。今後とも同志社大学体育会ラクロス部を愛し、信じ、ご支援ご声援いただけますと幸いです。
また、日常的に恵まれた練習環境が整っていること、そして雨の日や夏の厳しい暑さの中でも安全に試合が運営されていることは、ひとえに大学関係者の皆様や執行部の皆様のご尽力のおかげであると、改めて実感いたしました。心より感謝申し上げます。
 
 
 
まずは、ぺありん紹介ありがとう!ぺあは4年間みんなの憧れるカリスマ的存在でした。もちろん私もめちゃくちゃ憧れる存在です。ぺあの引退ブログを読んでもらったら分かると思うんですけど、能天気に見えてめちゃくちゃ考えていて、広い視野から見て素早い状況判断ができる力を持つ人です。Final3のぺあのドローは絶対に相手に取らせない、何が何でも取ってやると意地で取りました。一生忘れません。最高の瞬間をありがとう。
 
改めまして、#76吉岡小夏(こなつ)です。
私は他の4回生の引退ブログを読んで毎晩ぼろぼろ泣いてます。もう涙もろいおばさんです。数か月前までオレンジのボールを追いかけまわしていたのが信じられません。なんか結構みんなに私の引退ブログをすごく期待していると言ってもらったのですが、私は文章書くのも言語化するのも下手くそなのでうまく伝えられるか不安です。でも少しでも私の気持ちが読んでくださっている方々に届くといいなと思って書きます。帰り道の電車や寝る前のベッドでさらっと気楽に読んでくれると嬉しいです。
 
私はこの4年間、自分自身を理解することに悩み、苦しみ続けました。
みんなにとって私はどんな存在なのか、どう見えているのか、自分は何がしたいのか、何になりたいのか。本当に分からなくてしんどかったです。
 
4年間についてたくさん語りたいのですが、ラストイヤーについてがっつり書きたいので初めの3年間は特に印象に残っている出来事だけお話しします。
1回生のオータムと2回生のBLUE活動です。
 
私は1年間の浪人を経て、やっとの思いで同志社大学に入学しました。キラキラ大学生になれたと思い、夢と希望に溢れていました。私にとって兄はとても大きな存在で、永遠のライバルであり、憧れです。今までも兄がやってきたことは全て真似して、兄がやってきたこと、言ったことが全て正解だと思ってきた、そんな人生でした。(同志社に来たのもその理由です笑)
そんな兄が「ラクロス部面白そうやで。」その一言から私のラクロス部生活は始まりました。
1回生の間は本当に上手くできないことだらけでしたが、同期のみんなと空きコマに鴨川の壁でノルマ達成するまで半泣きで壁打ちし続けて、部荷物や朝ペア確認、文章確認に終われる毎日が苦しくも、楽しくてしかたありませんでした。
私の初めての挫折は、サマー決勝が中止になって開催された代替試合であるオータムの試合でした。私は1秒も試合に出ることができませんでした。オータムでは因縁の相手である関学に勝利し、同志社は優勝しました。同期や学生コーチのあいさん、ひなりおさん、先輩方はとても喜んでくださっていました。みんなが満面の笑みで、人差し指を立てて写真を撮っていました。もちろん私も同じように笑顔でポーズしていました。でも私は正直、この日の嬉しさや感動を全く覚えていません。その素敵な写真だけが残っているという感じです。

 

 

今まで割と勉強も運動も上手くこなせてきた自分を過信しすぎていました。この状況になって、自分は何ができるのかも何のためにここにいるのかも分かりませんでした。でも私は生粋の負けず嫌いです。負けてたまるか精神で練習していました。すると少しはプレーもマシになってウィンターではATとして出場させてもらいました。

ここでやっと自分のポジションが見つかってとにかく嬉しかったのを覚えています。(ゆうこがきついこと言ってごめんねっていつも言ってるけど私全然気にしてないよ^ ^)

 

2回生になって初めてBチームでプレーさせていただくようになりました。私は本当に下手くそで、ギブゴでもゴール前でもポロポロ落とすし、ワンワンは抜けないしでラクロスをそこまで楽しいと思えていませんでした。

そんな中で迎えたのが、BLUE(関西ユース)です。

私は関西のユース選抜の練習会に招集していただきました。当時の私は実力も無いのになぜ私がその練習会に参加できているのかも分かりませんでしたが、関西のハイレベルな同期と一緒にプレーすることはとても楽しかったし、学ぶことだらけでした。今までは「経験者と比較すると下手くそ。そりゃ経験者は3年も長いんだから上手いよね。」とBBがたくさんいる同志社に属する未経験者の悪い部分、甘い部分が自分の中にあったことを自覚しました。他校はほとんど未経験者なのにめちゃくちゃ上手い。下手くそなのは同志社内での相対評価ではなくて、ただただ自分の練習不足による結果による絶対評価なのだとここでやっと気づきました。ユースの練習会はとても楽しかったし、たくさんの他校との繋がりが生まれて幸せでしたが、毎度毎度訪れる選考会が本当に苦しかったです。選考会の前日は必ず泣いていました。それくらい自分を評価されることが怖かったです。合計6回ほどの選考会を通してユースメンバーとして選出していただきましたが、もちろん同志社の中ではずっとBチームの補欠。実力で同志社に貢献できている気は全くしていませんでした。

それでも最強で最高な23チームの先輩方の為に応援団長として応援に徹していました。それでなんか私も貢献できている気になっていました笑。

 

 

ここまでの経験は本当にいろんな人が経験することだと思います。今苦しんでいる後輩たちが、1人でもこのブログを読んで「自分だけじゃないんだな」「みんないろんな経験をしてきてるんだな」と少しでも楽な気持ちになってくれると嬉しいなと思います。

 

さて、ラスト1年間は激動でした。

まず、25チームの本幹部を決める時に新たに副将を置くことが決まりました。副将を決めるときはとんでもないくらい苦しかったです。何度も何度も同じような内容の回生mtgを繰り返し、自分の短所をただひたすらに同期から言われ続けるmtgもありました。自覚していたことや、全く知らなかったこといろんなことを言われて、ここまでしてなんで副将をやらなくちゃいけないんだと思ったこともありましたが、1人でも私を求めてくれている人がいるなら、その人の期待を私から裏切ることはしたくありませんでした。私は自分を求めてくれる人がいることに感謝と責任を感じ、自分はその期待に応える義務があると思っていたので、自分は副将を務める覚悟はしていたし、自分から副将候補から外れるという選択肢はありませんでした。

 

そして副将という役職を身につけて始まった25チーム。今思い返すと、私はこの時から何もできていなかったんだと思ってしまいます。副将という役職についた自分に助けを求められていたはずなのに、自分が1番気づくべきだったのに、なぜ何もできなかったんだろうと今でも何度も自分を責めます。正直25チームの春は自分の技術力に不安しかありませんでした。4回生として、幹部として、人の上に立つ者として情けないプレーばかりしていた私は下から追い上げてくる後輩たちに圧倒されそうで、自分たちの代のはずなのに下級生に全て飲み込まれてしまいそうで怖かったです。りぃも言っていたように圧倒的な技術力がない私にとって4回生での練習は毎日選考会でした。

 

そんな中でスーパーカップに行きました。地獄でした。その日ATの主力メンバーが怪我や授業で参加できていなくてサブメンバーばかりでの試合でした。もちろん他校にも主力がいないことはバレバレで自分が出場したときには明らかにウィーク扱い。自分たちATがいるにもかかわらず、下級生のMFがATとして出場したりもしました。自分の存在価値なんて本当に無くて、そこに居場所はありませんでした。でもどれもこれも自分のせいでしかなくて、コーチさんやリーダー陣の評価に対する文句は全くありませんでした。自分基準で自分を評価してはいけません。自分がいくら頑張っていると思っていても人の評価基準に達していなければ、それは自分の努力不足です。そういう世界です。(ゆうこの引退ブログに書いてある事とは多分真逆のこと書いていますが、ゆうこはもうこれ以上できることは無いと言い切れるくらい全てを全力でやり切ったからこその言葉です。私はただの努力不足です笑)遅すぎますが、スーパーカップ以降特に私は今まで以上にラクロスに費やしました。

その後から、永島さん、さちよさん、あっきゃんさん、虎之助さん、もとなりさん、くろかずさんなどたくさんのコーチさん方が指導してくださり、急にATとしての動きを理解できた気がします。相変わらず毎日の練習が選考会でしたが、それさえも楽しく感じるように変わっていきました。4回生になって久しぶりに成長していることを実感できて、とにかく楽しい練習になっていました。

また、開幕戦に向けて集客責任者としての仕事も忙しくしていましたが、開幕がとにかく楽しみでわくわくでした。たくさんの観客に私たちの試合を見てもらいたい、楽しませたいという気持ちに溢れていました。

 

開幕戦前日。いよいよ明日に迫ってきた開幕戦に向けて緊張感と高揚感でいっぱいの練習をしていました。でも練習後、幹部陣の中に亀裂が入りました。私はなぜこうなるまで気づかなかったのか、何もできなかったのか分かりません。ですが、もうその日は正直あれこれ考えている時間は無くて、とにかく明日の開幕戦を無事終えるために必死でした。

そんなこんなで迎えた開幕戦。メンバーに不備はないか、観客席の案内は大丈夫だろうか、パンフレットは足りただろうか、と試合以外の不安要素が大きすぎて、初めてヤンマースタジアムのフィールドに立つことができたのにずっとそわそわしていました。気づいたらもう試合開始。この日のみんなは何かが違って、絶対に勝てると確信していました。ですがいざ試合が終わってしまえば試合には負けていました。でもみんなはすごく笑顔でキラキラしていました。この日の試合のおかげで未来が明るく思えました。この時にこのチームを終わらせたくないと心の底から思いました。私はこの日を境に覚悟を決めました。

 

 

この後の1、2ヶ月はしんどいというか、訳もわからずとにかく前に進めることに必死でした。何度幹部陣で話したか分かりません。新体制について考えるようになって本当にいろんな案が出ました。普通に考えると4回生副将の私がそのまま組織を率いたらいいはずでしたが、私には今までの主将のように圧倒的な技術力がありませんでした。みんながそこに大きな不安を抱えているのは分かっていたし、そんなことは私が1番よく分かっていました。幹部陣や4回生で新体制に関するmtgをしていても、私がリーグ戦の全部に出る実力が無いことが大きな懸念点だったなと思います。新体制mtgをすればするほど、「自分に実力があれば」「自分はなんのために幹部として存在しているのか」と何度も何度も思いました。そして、私は主将になりました。フィールドキャプテンという新しいポジションを置いて、試合や練習などはゆうことぺあに助けてもらうことになり、この2人には余計な負担をかけてしまいました。1番技術に集中したい時期にその環境を作るどころか、私が2人に負担をかけることになってしまって本当に申し訳なかったです。でも私には絶対に2人が必要でした。3回生幹部のひいろ、ゆりな、かほの3人には、例年とは比べものにならないくらい組織のことを一緒に考えさせてしまって、この時期は自分たちの技術とかを磨き上げていきたかったはずなのにごめんね。私が背中で引っ張っていけるほど強くなくて、ほんとにごめんね。でも3人が4回生を見捨てず、粘り強く関わり続けてくれて何度も救われました。ありがとう。

 

チームがとにかくぐらぐらで不安定。あらゆるところからいろんな噂や不満が降りかかってくる日々でした。何のために、誰のために私は主将をやっているのか分かりませんでした。それでも一度みんなの意見を直接聞きたいと思い、私とゆうこ、ぺあの3人で各回生に今思っていることを正直に話してほしいと伝え、話を聞きました。良いことも悪いことも、技術的なことも組織的なこともたくさん聞きました。聞けば聞くほど、私は組織リーダーとしてここまで何をやってきたんだろうと絶望しました。練習前の円陣ではみんなが私の方を見て話を聞いてくれるけど、「あ、みんな何か思っていないかな」「間違ってないかな大丈夫かな」ととにかくこれ以上不満が出ないように、と怖くて不安でした。練習して帰ったら組織のことを考え続けて、mtgして、また明日4時に起きないと、と思いながら3時間程度の睡眠を取り、また明日が始まる。朝起きたらまた1日が始まると考えると、拒否反応で体が起き上がらないことだってありました。この時期が1番辛かったかもしれません。「こなつさん大丈夫ですか」と後輩からも心配の声を掛けられて、気遣ってくれている事への感謝もありましたが何より情けなくなりました。こんなことでどうする、シャキッとしろと自分に言い聞かせてもう一度立ち上がりました。組織の上に立つ立場の私がブレたら終わりだと思い、みんなにどう見えてたか分かりませんが、凛々しく振る舞い続けようと思ってやってきました。

一度、練習前の掛け声の後に「こなつさん今日元気ないですよね」「なんか今日テンション低ない?」と言われました。自分の行動、表情、声のボリューム、トーン全てがこのチーム全体の雰囲気を創り出し、影響を与えるのだと実感しました。朝の集合を終えてカレッジソングを歌って、掛け声をする。みんなにとってはこの流れはただの流れ作業になっていたかもしれないけど、本当にここを大切にしていました。(新しくつくったカレッジソング斉唱タイムは4回生がでっかい声で歌ってくれて本当に心強かったよ、ありがとう笑。)自分の影響力が大きいからこそ、自分の発する一言や行動に意識を向けてきました。

 

技術面ではやはり安定した立ち位置ではなく、ATのあと1枠を3、4人で競い合っていました。

 

そして、8月31日の関大戦。ベンチ外でした。25チームで一度も勝つことができていなかった関西大学との試合は私たちにとってとても大きなものでした。みんなこの一戦はどの試合よりもこだわっていたと思います。もちろん私もこの一戦に懸けていました。ですが、前日に送られてきた関大戦のメンバーに私の名前はありませんでした。とはいっても「25チームとして1番思いを懸けていた試合に自分は必要無いのか」「主将なのにスタンドにいるなんて情けない」と思って、とにかく悔しくて情けなくてどうしようもありませんでした。ウェルカムマッチということもあり、家族や友人もたくさん呼んでいました。私は来てくれると言っていた人全員に電話をし、ただただ謝り、来ないでくれと言いました。結局自分のことしか考えれていない最低な主将だと思ったし、何より知らないうちに自分はおごっていたことに気づき、恥ずかしくなりました。この時から私は全てにおける立ち位置を自覚し、その時その場所で自分ができる事をやり切ることだけを考えました。関大戦ではスタンドでも出来ること、やるべき事があるということをメンバー外のみんなに伝える為に、私はスタンドから誰よりも声を出しました。今までの主将はもちろんチームのエースで頼もしい存在。レジェンドのような人でみんなの憧れでした。私はその人たちとは全く違う。でも、だからこそできることって山ほどあると思いました。私はこの4年間、応援には特にこだわってきました。歴代の主将の中でもこの4年間で最もスタンドにいる期間は長かったのではないかと思います笑。でもだからこそ自分がフィールドに立った時に応援の力の大きさを実感していたし、シュートを決めた時、チームが勝利した時は勝手にスタンドの方を見て応援メンバーに感謝を伝えたい一心ですぐにスタンドを見ていたと思います。スタンドからは声を出すことしかできないけど、逆に誰でも声を出すことはできます。25チームの4回生は史上最弱の代とか色々言われてきましたが、応援だけはどの代よりも頑張ってきた自信があります。後輩のみんなにはなかなか技術的にすごい姿を見せることはできなかったかもしれないけど、応援の姿だけは見習ってほしいなと思います笑。

 

 

そして、この日から私はまた少し変わったような気がします。勝手に変なプレッシャーを背負うことや強がるのをやめて、自分もラクロス部に属する一部員として自分がやるべきことをしっかりとやりきる、ただそれだけを考えていました。それからの練習はまた楽しくなり始めました。

リーグ戦は進んでいきますが、その中で共に戦ってきたメンバーが次々と怪我をしました。一体私たちが何をしたって言うの?と思うくらい試練しかありませんでした。怪我人が増え、技術幹部の2人の不安や焦りがどんどん大きくなっていくのがよく分かりました。私がピンチの時には何度も助けてもらっていたのに、私は大して助けることが出来ていないような気がして、もどかしかったです。でもこの時に私ができることは、自分の技術力を上げることはもちろん、練習中の雰囲気を良くする声掛けや多くの集客を促して試合へのモチベーションを上げるなど少しでも不安がないような環境をつくることだと思っていました。それがどれほど実現できていたかは分かりませんが、そのような気持ちで部活に挑んでいました。

 

そして、迎えた10月18日ファイナル3の関大戦。私はこの日を一生忘れないと思います。人生で初めて経験したスタメンコール、ライドでダウンボール誘ってひいろの1得点目のシュート、劣勢の中粘りの追い上げの4Q、最後のぺあドローからの私ゲット。自分のことにはなりますが、ウィールなのに打ってしまって怒られたあのシュートは無我夢中で打ってしまいましたすみません笑。シュートを決めて、フィールド、ベンチ、スタンドにいるみんなが喜んでいる姿が見えた瞬間、私は全て報われたような気持ちになりました。最高の景色でした。試合には負けました。悔しかったけど後悔はありませんでした。とにかく楽しい1時間でした。なんか私は、変な話ですけど、この楽しい時間が終わってしまった悲しさの方が大きかったように思います。

 

 

11月1日のリーグ戦閉会式。POL獲得を知った時本当に嬉しかったです。本当に色々あった25チーム。私1人では絶対に守りきれなかった。委員会活動や審判活動、班活動に集客活動などみんながそれぞれの仕事を全うしてくれました。POL獲得まで辿り着けたのは紛れもなく70名の部員全員のおかげです。浮かれすぎて代表者挨拶では本当に下手くそなスピーチになってしまったけど、言葉が心に追いついていませんでした。正直、今年POL獲れなかったらもう何もかも自分たちが認められなかったことになるような気がして本当に怖かったです。ぺあとゆうこと、同期のみんなと「私たちは頑張った」って胸を張って言いたかった。家に帰って賞状を見て、ほっと安心して涙が止まりませんでした。

悔しい気持ちをたくさん経験してきたけど、今思い出されるのはやっぱり楽しい幸せな瞬間ばかりです。

私は歴代この同志社ラクロスを率いてきた先輩方と比較しても圧倒的に弱虫で、情けなくて、頼りなかったと思います。でもそれでも私がやるしかないと思ったし、私がやりたいと思って主将の仕事を引き受けました。ここまで何もしてこれなかった副将のわがままな自己満足だったと思います笑笑。それでもこの人生で最大のわがままでした。受け入れてくれたみんな本当にありがとう。

 

 

みんなはどう思うかは分からないけど、私がこの1年間思っていたことを最後に述べておきたいと思います。

私は今年1年間、副将として活動してきたつもりです。私は自分を必要だと言ってくれた人の1番近くにいたはずなのに、その限界に気づくことが出来ませんでした。みんなが私を心配してくれたり、気遣ってくれたりしたのは本当に嬉しかったし、もちろん私だって不満に思い、人のせいにしたいことは山ほどありました。でも、あの時ああしていれば、なんであの時気づかなかったのか、一言かけれなかったのかと後悔する気持ちが拭いきれませんでした。原点に立ち返ると、私の役割は「主将を支えること」。主将がピンチになった今、副将の私がやるべきことはこのチームを運営し続けること、25チームを終わらせないこと。それが主将を支えることだと思いました。私はこの1年間、心の中ではずっと副将としての仕事を全うしました。あなたを求めている部員はたくさんいたし、あなたには主将として25チームをやり遂げる責任があると思っていたから。やり方や伝え方は間違っていたのかもしれないけど、ずっと副将としてあなたを待ち続けていたことだけは忘れないでほしいです。

 

 

私はいろんな感情を抱えながらも、この1年間大好きな同期と頼もしすぎる後輩達と、心強いコーチ陣、監督、横井先生の多くの方々に支えられてここまでやってきました。本当に感謝しかありません。なので少しですがメッセージを送ります。(同期はもう散々伝えたのでここではやめとく!笑)

 

・1回生

ウィンター優勝本当におめでとう。そして最高の25チームの締めくくりをありがとう。1回生はエネルギッシュで元気な子が多くて、素直にまっすぐラクロスに向き合っているなと、4回生が1回生練にがっつり関わり始めてすごく感じました。なかなか思うようにいかなくて泣いてしまう子も多くて結構心配だったけど、それだけ素直に悔しいとか嬉しいとか感情をむき出しにできるのってすごく素敵だし、上回生になるにつれて、特に同志社は苦手だから羨ましいなとか思ったり笑。サマーではたくさん悔しい思いをしたけど、組織的な動きを学ぼうとする意欲や先輩にアドバイスをもらいに行く姿勢はすごいなと感心していたし、初めての合同チームで難しいこともたくさんあったと思うけど、最高の結果を残すことができたのはみんなが頑張った結果だと思います。最後の1ヶ月くらいかな?一緒に活動できて本当に楽しかった!!みんなのおかげで最後まで頑張ろうって思って楽しく部活できたよ。最高な時間をありがとう。

改めて優勝おめでとう!!あかつきもこの調子で優勝しちゃおう!

 

・2回生

2回生はプレー面でも組織的な仕事の面でも責任を感じる立場になって、すごくしんどくて大変な1年間だったんじゃないかな思います。AB分けや班活動、フレッシュ、ビデオくさみなどなどのせいで、同期の中の関係性や自分のメンタルの維持が難しかったんじゃないかなと。そんな中でも、2回生のみんなは班活動積極的に頑張ってくれていたし、確実にチームを盛り上げてくれていました。本当にありがとう。先輩のことも後輩のことも見なくてはいけない大変な立場の中だけど、特に4回生と仲良くしてくれる子がすごく多くて私的には勝手に親しみを感じてました笑笑。さえがいつも言ってくるけど、みんなが部荷物担当の時に私がボード入れAを忘れてみんなの前で泣きながら謝罪したのもいい思い出です笑。あの時は本当に焦って申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当にごめんね。2回生はポテンシャルの高い、基本的な運動神経が良い子がすごく多くて、みるみるうちにラクロスが上手になっている印象が強いです。この1年間いろんな立場でいろんな気持ちを抱えながらプレーしていた子が多い学年だからこそ、上回生としていろんな子に寄り添う事が出来る学年になってほしいなと思います。今後の活躍が本当に楽しみ!!応援してます!!

 

・3回生

みんながいなければ25チームは確実に終わっていたと思います。本当にあらゆるところで助けられました。でも技術に集中したい時期に不安や不満、不信感を与えてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。組織として理想とは言えない形でのバトンパスをしてしまって本当にごめんね。それでも4回生と一緒に頑張りたいと言ってくれる人もたくさんいて、Aチーム、Bチームどちらにおいても4回生にとって3回生のみんなは心の支えでした。このラクロス部に所属してラクロスをすることを一番楽しんでいる学年だと思うし、そんなみんなの姿がずっと眩しかった。今は26チーム始動に向けて怒涛の日々を過ごしていると思うけど、人生でここまで本気になれるのってこれが最後だと思います。後悔のないような日々を過ごしてください!想像以上に大変なことが降りかかってくると思うけど、同期愛に満ち溢れているみんななら大丈夫。大改革の1年を楽しみにしています。後輩のみんなはこの新4回生を信じてしっかりとついて行っていたらきっと、最高の舞台に連れて行ってくれると思います。

 

・横井先生、肥田監督

もう迷惑や心配をかけすぎた1年だったと思います。本当に感謝の気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいです。1年間本当にありがとうございました。この1年、自分たちが何不自由ない環境でプレーできていることが、どれだけ周囲の方々に助けられて実現しているのかという事を実感しました。70名の部員に正確な情報と考えを共有し、統率する難しさに何度も苦しみましたが、幾度とないmtgでいろんなことを話し合う中で自分の気持ちの整理がついて、冷静になれていたと思います。ご多忙の中ラクロス部に尽力いただき、本当にありがとうございました。

 

・コーチの皆様、プレイングコーチの皆様

今年のコーチさん方は今まで以上にグラウンドや合宿に来てくださり、技術面だけでなく部員の精神面も支えてくださりました。本当にありがとうございました。昨年までは永島さんに全く認知されていない程目立たない存在だった私ですが、少しは成長できましたかね笑?4回生でここまでラクロスが楽しい、もっともっと上手くなりたいと思い、部活が嫌になるような出来事があってもあの坂を上り続けることが出来たのは、コーチの方々が見て下さっていることが嬉しく、コーチの皆様とプレーすることが楽しかったからです。だからこそ結果として恩返しする事が出来なくて申し訳ないです。ですが、それ以上に私は楽しかった思い出ばかりで幸せな4年間だったなと思います。本当にありがとうございました。

 

・家族

私の家族はこういうSNSとかネットが苦手で見ているかは分からないけど、こんな機会はなかなかないので伝えます。

夜中の12時頃に帰宅して、朝4時に起床して急いで出発。そんなあり得ない日常に付き合ってくれて本当にありがとう。家族の前ではひたすらわがまま末っ子な私は、疲れてイライラして文句ばっかり言って、泣いてたかと思えばソファーでほぼ開いている目で寝ていました。うちの家族はお互いにあまり干渉しないタイプで、特に何も言われません笑。でもそれが逆に心地良かった。家は寝る場所というくらい家に居なくて、家の事なんて何もしてこなくて迷惑ばかりかけていたと思うけど、そんな家族のおかげでやりたいことをやりきることができた最高の4年間でした。ありがとう。伝えたいことは本当にこれだけです。本当にありがとう。

 

 

いよいよ最後です。

私が残すことができる最後の機会なのですごく長くなってしまったんですけど、ここまで読んでいただきありがとうございました。この4年間多くの方々に支えられて、愛する同志社大学ラクロス部で楽しく活動することができました。

引き続き同志社大学体育会ラクロス部女子へのご支援ご声援の程、よろしくお願いいたします。

 

#76 吉岡小夏