だっくん、妖精さん7年生になりました。

それから更に1ヶ月が、過ぎようとしている。


最初の2年は、ほんとに辛くて、

多分あんな辛いきもちになるのは、

もう二度とないかな。


突然、あのこが目に見えなくなってしまったことに、私の魂が、びっくりして、

心も体も、具合悪くなって、

生活ができなくなってしまって、

他の子たちのお世話はしてるけど、

私の魂は抜けているので、

心ここにあらず。


【ダッフィーがいない。私のダッフィーがいない。なんで?】


そんな辛い日々が、しばらく続き、


年月をかけて一周したら

【ダッフィーが、あたりまえにいる】ようになりました。


ダッフィーが元気だったときと、同じ感覚に戻ってきました。


よく、ペットロスできくのは、

ようやく

お別れを受け入れた


だけど、私は逆で

「いるじゃん。ダッフィーいるじゃん。」

でした。


だから元気なときと同じように、

1日中、ダッフィーに話しかけてるし、

ごはんもふつうにあげるし、

ケーキも一緒に食べるし、

おでかけも一緒にするし、


1度、止まりかけたダッフィーとの生活が、

また出来るようになったら、

少しずつ、元気になれました。




ダッフィーって、ほんと手足長いよねぇ。


どこ行っても、恋人みたいに、ずっと腕組んでくれるんだよね。
お母ちゃんは、「やだー、ダッフィーってば〜」って、ウホウホしてたけど、
今おもえば、ただ、腕が長すぎて場所に困ってただけかもしれないけどさ。
そうゆうのも、かわいいんだよね。



好きな人との別れは、その本人との別れと同時に、
その人と一緒にいた自分、
その人に愛されていた自分という愛しい自分自身との決別になるのです。
自己との別れだからこそ、人はあんなに苦しむのです。

という言葉を
どなたかが紹介しているのを読んで、
そうじゃん😢って
ハっとさせられました。



ダッフィーとの生活は、元に戻ってきたけど、
周りの景色も、歩いているワンコも、うちのメンバーも、変わってしまって、

ダッフィーへの想いと、目に見える時間の流れに、
差が開きすぎて、それを感じた時に落ち込みます。

ダッフィーが外で使ってたオモチャやベッドは、ダッフィーがいつでも遊んだり寝たりできるように、そのままにしてあって、
ダッフィーの鯉のぼりも、ずっと飾ったままで、

「あの日のまま」にしてあるのに、
太陽や雨風で劣化して、
鯉のぼりもベッドもボロボロで、オモチャも割れて、色褪せて、
涙が出てくる。

ダッフィーが元気なら
「新しいの買おうね。おしょごに高いの買ってもらおう!」
って、捨てられた、そんな、ふつうのことが、
今は、ふつうじゃなくて、
すごく悲しくて辛いこと。

はたからみたら、「そんなこと」が、
私にとっては、全然そんなことじゃない。

そんな私のキモチを、
1番大切にしてくれないのは、
他人でもなく誰でもなく

おしょご。

どんどん嫌いになる。

あの人の中では、
私を大切にしているつもり。
みたいだけど、

あの人は、
私の「おもい」を何も考えてくれない。

私の ダッフィーへの想いを、大切にしてくれない。