あの日以来、はじめてのドッグラン行きました
バロンとみみこに全然運動させられてなかったから。
なるべくダッフィーのお気に入りじゃない場所、なるべく思いでの少ない場所
そんなとこなんてないんだけど『なるべく』です。
小型犬、中型犬、大型犬にわかれて、きちんと何㎏~何㎏って書いてあるのが素敵。
大型と小型でざっくりわかれてはあっても、あんまり細かく書いてるとこないから
小型に大型入られたら困るってのはみんなが感じることだろうけど、
意外に大型に小型いれられると、すごく困るんです。
『うちのこは大型犬が好きなのよ』って小さいのポイっていれられること、けっこうあるんだけど、そうは言っても、何かあれば大きいほうのせいになるし、チョロチョロされればスイッチ入っちゃう子もいるし、ちょっと当たっただけでも怪我されたら困るし、うちのわんこだけじゃなくて、周りの大きい子や飼い主さんも困ってたり、おもいっきり遊ぶのを我慢してたり、せっかくきたのにプロレスあそびできなかったねってこと、小型犬の飼い主さんには気づいてもらえないけど けっこうあるんで、
ここみたいに わかれてるのって いいなって思う。
ここでは18㎏以上は大型犬らしいので
ダフィバミも大型犬ゾーンだけど
バロミミしかいないのに
『あ、大型犬だ!』
って言われることの
なんともいえない むなしさ。
だっていつもは でっかいダッフィーが隣にいるから
ばろみみなんて そんなに目立たないもんね
ダッフィーがいると
柵の高さ大丈夫かな、猫いないかな、まわりの子と仲良くできるかな、誰かきたらすぐ帰ろうって アンテナはりめぐらせて ハラハラするのがあたりまえなのに、
バロミミは別に心配することもなくて
それが 寂しい
ダッフィーのいない散歩は、あまりにも
楽チンで、あまりにも軽くて、
普通の人って、こうゆう散歩なんだなって思った。
そりゃあみんな景色みたり、お茶したり、だれかと立話する余裕あるんだよね。
ダッフィーがいたらそうはいかない
でもそうは いかないことが良かった。
この楽チンさが ものたりなくて、寂しくて
涙あふれてくる。
何するにも心配するのが あたりまえだったのに。30分もくるくるするウンチだって、ぐいぐいひっぱるリードだって、『はやく帰るよ!』ってすぐ飽きちゃうピーピー声だって
なにもかもが足りないよ。
なんの心の準備もないまま、なんの予兆もない
『突然』の別れは、あまりにもショックが大きくて、自分のきもちもわからない、ダッフィーのほうがもっとわからないはずなのに、どうしていいのかもわからない、息がなんだか苦しい毎日。
手がかかる子ほどかわいいし
手がかかる子ほどいなくなったときのポッカリ感は大きいね
ダッフィーって家の中では全然手がかからないのに精神的に一番心配
でも外では誰よりも手がかかる
へんな子だよね。
ふとガラスケース見たらワイマラナーがいたよ
おしょごがキラキラしてたよ
ダッフィーみたいな40㎏の雑種っていないもん。
よくあるんだよ、新しい子買ったら裏切りになるような気がするって譲渡会でも電話相談でも よくされる話。でもね、いくら天使ちゃんっていっても魂はあるわけだから、その子の性格によると思うんだよね。みんながみんな『飼っていいよ』なんていうわけないし、『だめだよ!』っていうわけないと思う。
ダッフィーの性格上『いいよ』なんて、いうはずがないでしょ?
だから、おしょごにもそう言ってるんだけど
一度大型犬の良さやぬくもりを知っちゃうと
もう他は見えないんだよね。
ダッフィーのおもかげを探してしまう
みみこ大きくならないかな
バロン耳立たないかな
でも、ダッフィーじゃないって我に戻ったとき、また 落ち込んで むなしくなる
犬のこと
なんにも知らないお母ちゃんと
なんにも知らないダッフィーが出会って
一緒に歩んできたから ダッフィーとの関係ができたけど、それは
今のお母ちゃんには、ばろんやみみじろとも
どんな仔犬とも、保護犬とも、2度とできない関係だよね。
いつかお別れくるとはわかってたけど、こんなお別れのしかたいやだったよ。
生きてるものは平等に死がくるなんていうけど、死は平等でも100才と1才では不平等じゃないの?
だってダッフィーは じろの半分しか生きてないんだよ?
お外でほったらかしてたって、長生きしてる子いっぱいいるし、室内でだいじだいじしてたってこんなふうに死んじゃうって思ったら
なんなの しか残らない。
どうみても、誰がみても、健康で元気だったのに、さっきまでドーン!っていつもどうり遊んでたのに
こんなふうに突然死んじゃうなら
なんでも好きもの食べさせればよかった。