映画は人生、そして日々はミステリー!!!

映画は人生、そして日々はミステリー!!!

日常の生活の中で感じたことや心に残った映画、ミステリー小説etcをテキトーに掘り下げていきます。

Amebaでブログを始めよう!

10代の頃、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」やオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」と並び、心を惹かれた「華麗なるギャツビー」。

自分の本当の姿や出自を隠して生きる人間の姿に興味を持ったのは、当時、自分自身でも気づかぬうちに学校の教室で、あるいは家庭の中で、内面とはうらはらの仮面を被って生きていた事による一種の連帯感のようなものだったのかも知れない…それから30有余年後、私にとってのギャツビーは全く違った意味合いのものになっていた波


モンテ・クリスト伯 7冊美装ケースセット (岩波文庫)/アレクサンドル デュマ
¥5,586
Amazon.co.jp


ドリアン・グレイの肖像 - The Picture of Drian Gray【講談社英語文庫】/オスカー ワイルド
¥882
Amazon.co.jp




華麗なるギャツビー ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産) [Blu-ray]/レオナルド・ディカプリオ,トビー・マグワイア,キャリー・マリガン

¥3,980
Amazon.co.jp



製作段階でキャスティングを聞いた時「半分は成功だな」と思いました。。ギャツビーにディカプリオ(ハングリーさと野心と少年の心を併せ持つエネルギッシュな男というイメージにぴったり)。

語り部となるニック・キャラウェイ役にはトビー・マグワイア(演技力は問題なし、しかも原作者のF・フィツジェラルドにどことなく似ている)。公開が待たれました。


さて、観に行こう!と思った矢先の友達とのランチ。公開日に本作を観たという彼女に感想は?と聞くと、たった一言「超~つまらない映画だったからやめときな!」というもの。

一瞬観るのを止めようかと思ったもののやはり出かけることに。

結果は…素晴らしかった合格(以下ネタばれ注意)




この映画のあらすじは…複雑なのでウィキあたりで調べてもらうとして、今回は感想だけ。


まず、目を惹かれるのが1920年代のレトロでゴージャスな服装とあふれんばかりのエンターテイメント性が感じられる豪華絢爛なパーティーシーンでしょう。

流れる音楽は現代のラップ調にアレンジしていますが、全く違和感は感じません。


派手な服装と美術が演技の邪魔をしていると批評されたそうですが、そんな声も気になりません。

冒頭のあたりのブキャナン邸でのシーン。開け放たれたフランス窓からまるで風に踊るリボンの様にひらひらと舞うあまたの白いカーテンの底に横たわる二人の女性。ああ、天女のよう。


ギャツビー邸でのパーティーシーン、夜の水面に浮かび上がるように燦然と黄金色に輝くギャツビーの豪壮な大邸宅を遠景から徐々に近づきつつカメラが捉えていくさまと会場の天井から吊られた大ブランコ?で戯れる美女。まるで天国のような別世界を思わせる。


文芸作品だというのにバズ・ラーマン監督がわざわざ3D映像を用意した意味がわかりました。もっとも私は2Dで観ましたが。


灰の町の頭上高くから全てお見通しだといわんばかりに見下ろしてくる巨大な看板の目は非常に印象的。


全体を通しての映像は詩的で、感覚的なものとなっており、五感を刺激します。


バズ・ラーマン監督は冒頭のニックが大都会ニューヨークへ希望で胸をふくらませつつ上京するところから、ギャツビーが非業の死を遂げる終盤まで心を震わせる映像とノリの良い音楽、そしてテンポよく展開してゆくストーリー運びで途中一瞬の淀みもなく、ぐいぐい観客を引っ張ってゆき、その手法は見事というしかありません。





そしてディカプリオ。貫録を備えた大人物ぶりを見せたかと思えば、何年も思い焦がれた最愛のデイジーに再会する時のまるで10代の少年の様なうぶな姿が微笑ましい。

時折見せる裏の仕事用の鋭く険しい表情(原作では人を殺したことのある顔)とは対照的で、メリハリをつけた演技で、ああ、俳優として脂がのってきたのだなあとの実感しきり。


ディカプリオといえば「タイタニック」が有名ですが、彼自身の評価には繋がりませんでした。そもそも「タイタニック」のあの役は誰がやっても評価は同じだったと思っていますが、今回は違う!ギャツビーはディカプリオでなくてはならなかった。私はレオ様ファンではありませんが今度はオスカー取らせてやりたい しょぼん





そんなギャツビーを軽蔑と尊敬と信愛の入り混じった複雑な気持ちで眺めつつ彼に惹かれていくニックをトビー・マグワイアはいつもながらの淡々とした、それでいて温かみが感じられるお得意技の演技。


ギャツビーが長年思い続けるデイジー。

彼女はこの物語の求心力的存在ですが、キャリー・マリガンのデイジーは砂糖菓子のような甘ったるい感じのデイジーになっていました。

1973年版の[ギャツビー」のミア・ファーローのデイジーはもっと強烈で、自己中の塊のような女性像でしたが、今回は少しおとなしめのお嬢様らしいデイジーという感じ。

でも原作にはこちらのデイジーの方がより近いでしょう。


華麗なるギャツビー [DVD]/ロバート・レッドフォード,ミア・ファロー,カレン・ブラック
¥1,500
Amazon.co.jp







ギャツビーの死の意味はアメリカンドリーム(または物質主義)の限界とも言われますが、私は誰もが心のカンバスに描いた夢や野心の消滅と崩壊を表しているのではと思うのです。



そう、それはニックの中にも、そしてトムやデイジー、その他全ての登場人物の中にも存在する。

そして当然のことながら私の中にも、あなたの中にも。


人は誰もが思い通りの人生を歩めるわけではなく、何らかの挫折をして、過去を振り返り、時にはささやかな幸せを享受することで人生に折り合いをつけ生きていける。それが良いことなのか悪いことなのかは抜きにして。




映画の中で幾度となく印象的に使われていたデイジー邸の桟橋に灯る緑色の灯。

(この緑色の灯の使い方、バズ・ラーマン監督、上手いなーと思います)

赤でも黄色でもないこの「緑」というところがミソ。(緑→緑の台地→アメリカを連想させる)その灯に向かって黄金を授かるかのごとくゆっくりと両手を差し出すギャツビーの姿。


どんなに願っても手の届かない夢の象徴のようで、哀しく切ないハートブレイク



残念な点をひとつあげるとしたら、原作ではギャツビーの死後、実父がニックにギャツビーの少年期を語るくだりがあるのですが映像にその場面はありませんでした。
個人的にあのくだりはギャツビーの人となりを語るのに欠かせない重要な部分だと思っているので出来れば入れて欲しかった~しょぼん