こんにちは 阿山寛江です。

 

先日、夢の中で「諏訪湖と諏訪へ行け」と言われた話をブログに書きました。

 

これをきっかけにその日のうちに諏訪湖界隈に住む方と繋がって、フィールドワークをご一緒することになったというミラクル発生w

 

そこまでは笑っていられたのですが、昨日大きな進展を迎えました。

 

諏訪大社の見どころを紹介!ご利益やアクセス、四社のめぐり方も<長野> |じゃらんニュース

 

 

 

私はオーストリア在住の作家で芸術家の佐藤シュー・ちひろさん率いる「意識で世界を変える、封印解きクラブ」にて日々世界各国の土地や人の封印を解くという活動を世界中の日本人が参加して行っているのですが、昨夜も「諏訪の封印を解くよ!」との連絡を受け、ワークに参加しました。

 

諏訪にご実家の有る方で、そこのご親族、諏訪の土地を代々秘密裏にご神事で守って継承してこられてる霊的能力者のご一族でした。

 

女性陣はみな未来が見通せる特別なお力があるのだとか。

 

全国各地の霊場、霊山にてその土地を守り継承し、秘密裏に御神事が執り行われていると聞いてはいましたが、いわゆる今回のケースはそれ。

 

まさにガチのやつでした^^;

 

しかし当事者さんのお話を聞いていくにつれ分かってきたのはその地を守るためとはいえ封印を掛けていた側のご親族だとわかった。

 

その為、相当な負荷が末裔の方々に実害として及んでいるとのこと(詳細は下記のちひろさんレポにて)

 

そこでみんなで瞑想に入り、何が起きているかをみに行った。

 

すると視えてきたのはこのご家系で起こっていた凄惨なこと。

その土地の守り神とそのお山の場所や御祭神の姿や(調べたらそのまんまの形で本当に存在していた滝汗)実家の階段下の倉庫の中で(実際そのままのものがあったのこと)怯えている当事者さんの幼いころの姿とか御神事に纏わる古代の祭りの経緯までも(調べたけどネットにも載ってない情報なのになぜか確信している)いつになく詳細に鮮明に視えてしまった。。。滝汗

 

もちろん私が知るはずもないことばかりで、自分でも驚きました。

 

 今度私が諏訪にいくのが6月11日なんだけど、なんと、その日はその当事者さんの誕生日なのだそう!!

 

 えーえーえーー、驚いたあー。 

 

これって一体何が起こってるのかー。

 

 なんでこんなに急激に諏訪にかかわってるのかー?! 

 

あまりに意味深でびっくり!

 

その日の封印解きは本当に大仕事でした。

 

しかし最後にはこちらの御家系にも平穏な時間が訪れ、文字通り憑き物が落ちたみたいにキョトンっとしていて、アニメの落ちのワンシーンみたいになったのを見届けました笑い泣き

 

あと手前勝手ながら、私にも新たな能力の扉が開いたのか?はたまた入り込みすぎたのかっ!?w

 

いずれにしても6月11日、諏訪には行ってこの目で確かめてみます。

 

またご報告します飛び出すハート

 

以下詳細の佐藤シューちひろさんの記事を転載します*****

 

【諏訪の封印のこと】

諏訪は、物部の痕跡が深く残る土地だけれど、物部の名が残るところには、必ず古い封印がある。諏訪大社は、御柱という皮をむいただけの木の幹を、まるで結界のように四方に立てている。社殿とその奥の庭は、高い細かい木の柵で囲ってある。

水脈などのネガティブな波動エネルギーを遮断するのには、金網などを使ったりするけれど、それは、網目状になったものは、波動エネルギーを拡散してしまうので、遮断することができるからだ。細かい木の柵も、金網と同様な機能を持っている。玉垣などもそうなのだけれど、内側と外側では、波動が違っているのがわかる。こうした柵も、やはり波動エネルギーを遮断しているのだ。

そうしたやり方を見ていると、物部氏は、波動エネルギーを繋いでレイラインを通すことや、それを遮断することを、よく知っていたように思える。物部はニギハヤヒの系統で、国譲りをしてから、物部とか忌部とか呼ばれるようになったというのだけれど、それからあちこちでレイラインを封じ込めて回っていたようだ。

十年前に、守屋山が諏訪のエネルギーの中心だろうと見当をつけて、頂上まで登ってみたことがある。山の斜面のあちこちには、磐座のような磐がたくさんあり、どれも眠っているようだった。山頂には石の社があり、それがまるで檻のような高い鉄柵で囲ってあった。ここも、鉄柵によって、波動エネルギーが外に出ないようになっていた。それによって、山のレイラインを遮断して封じ込めていたのかもしれない。それを見たときに、何故だか「お父さんが檻に閉じ込められている」という思いが襲ってきて、私は号泣した。それは、守屋山が封じ込められたときの古代の記憶と繋がったからだったのかもしれない。

物部氏は、国譲りをするまでは、縄文民族と統合して見事な磐座文化を作り上げていたのだと思う。日本のあちこちの磐座を見て回っていると、とても高度な文化があったことが感じ取れる。大和朝廷に敗れて国譲りをしたときに、物部氏はこうした見事な磐座を封じ込める役をやらされたのだ。その役を引き受けるまでには、閉じ込められたり拷問にかけられたりがさんざんあったのかもしれない。守屋山の山頂で、檻のような鉄柵に囲われた社を見たとき、私は何だかその記憶を見たような気がしたのだ。

それから2年前に、「封印解きの魔法」というセミナーで、諏訪大社の封印を解こうということになり、遠隔でアクセスした。諏訪の本当の神はミシャグジだと言われているけれど、巨大な白い蛇のような存在が、諏訪湖を中心にして八方の山にいくつにも分かれた尻尾を伸ばしているようなイメージが現れた。それは、御柱の男性的なイメージとは裏腹に、艶っぽい女性的な存在だった。

ミシャグジとは、湖と山とを繋ぐレイラインのネットワークなのだろう。龍脈。それが巨大なトーラス状のエネルギーのフィールドを作り、その地方一帯を守っていたのだと思う。こうしたエネルギー装置は世界各地にあり、イギリスのストーンサークルなどもそうだ。

そうした山の聖地を、古代には巫女たちが守っていたらしい。沖縄の神女たちは、第2チャクラの子宮の力で、祖霊との繋がりを保って聖地を守り、その力で海に出る男たちを守っている。子宮の力なのだ。母親としての女性の力。野生動物でも、仔を守ろうとするときの母獣ほど強いものはない。まさにその力が、人々を守り、土地を守る力になっていた。

その女性の力を封じ込めるために、女性に残虐なことをして、その記憶が聖地に残るようにしたのかもしれない。諏訪でも熊野でも出雲や阿蘇でも、男が女を虐待したり、男尊女卑が強かったりといったことがある。国譲りをして支配されたときに、土地を守っていた聖地を封じ込め、神女たちは殺されて、身体をバラバラに切り刻まれて埋葬されたりした。こうすることで、力が復活しないようにしたというのだけれど、それはまた、残虐な記憶をいくつもの場所に残すことになった。そうした残虐な記憶によって、人々が権力に隷属するように力を封じ込めたのだ。

諏訪には、御頭祭という奇妙な祭りがあり、そこでは75頭もの鹿の頭を供え、兎などの動物を串刺しにする。鹿は縄文人の象徴だという話もあるけれど、だとしたら、鹿の頭を切って供えるとは、諏訪が大和朝廷に降伏したときに、戦った男たちの首を斬ってさらしたことを表しているのではないかという気がする。こうした祭りによって、その残虐な記憶をつねに新たにして、それによって諏訪の人々を服属させたということなのかもしれない。画像を見た限りでは、御頭祭はおごそかに行われているようだけれど、身が凍りつくような不気味さ、生々しさを感じないではいられない。

兎などの動物を串刺しにしたものは、性器から頭頂まで太い串が刺し通してあり、これは巫女たちが祖霊と繋がるときにルートチャクラから頭頂まで上がっていくクンダリーニのようなエネルギーの流れを表していると同時に、それを封じ込めているようだ。

巫女たちの霊的な力を封じ込めるために、性的に虐待するようなことを、かつてしていたのかもしれない。その記憶を留めるために、動物をこんな風に串刺しにしたりするのかという気がした。性的に屈辱感を与えることで、女性の霊的な力を卑しめ、封じ込めるのは最も容易で効果的なやり方だろう。

そうしたことと関係があるのか、諏訪では、父親や兄から性的暴力を受ける女性の話が少なくないようだ。そして、そうした被害は隠蔽されていく。女の親族も、それを世間体を保つために言わないで黙っているように言ったりする。それは、諏訪が封じ込められるときに、男たちが神女たちを虐待させられ、それを女性たちは黙っていることを強要された過去があり、その記憶が土地に染みついているためなのかもしれない。

家族から性的虐待を受けたことで、インナーチャイルドが封じ込められてしまった場合もある。その背景になっているものは、それぞれだけれど、その人は諏訪の神官と関係の深い家で、親族には女性でおかしくなる人が多いということだった。それで皆でリーディングしてみると、暴力をふるっていた家族は、まるで何かに取り憑かれているように見えた。個人的な欲望みたいなものではなく、女性の霊的な力を抑えなければならないという、過去の歴史から来る強制に、何故なのかもわからないままに従っているように思えた。それがまるで、何か悪魔的なものにでも取り憑かれているかのように見えたのだ。

こうした場合、諏訪のエネルギーを解放してしまうのが、一番簡単で安全なやり方だと思った。それで、諏訪湖の一帯の衛星画像を使って、皆で諏訪湖のエネルギーにアクセスしてみた。そのときに、諏訪湖の中にいる存在に、出てきてください、と言ってもらった。そして、これまで封じ込めをさせられていた人たちには、「封じ込めはもう要らないから。今までどうもありがとう、ご苦労さま!」という感じで軽く言ってもらうことにした。

2年前のときと同様に、白い蛇のような存在が出てくるかと思ったら、そうではなかった。その代わりに、湖に巨大な白い光の柱が立ったのだ。湖全体を覆うくらいに大きくて、まばゆいほどに強い白い光、とても美しい光が上へ向かって流れていた。この光の柱は、銀河とまで繋がっているように思えた。そういう次元なのだ。銀河の次元。

すると、光の中に女性たちの姿が見え、巨大な女神になったかのようだった。封じ込めが始まった当初から今にいたるまで、諏訪の土地で力を封じ込められた女性たち、虐待を受けた女性たちがすべてこの光の柱の中で復活して、女神になったようなのだ。いや、女神というよりも、これはすべての女性が本来持っている霊的な力であり、そのもともとの姿なのかもしれない。頭頂の少し上にある8番目のチャクラまで含めて、すべてのチャクラが開いて、力強い光のエネルギーが下から上まで通っている。

宇宙と繋がって、力を地上に降ろす神女たち。彼女たちの本当の姿こそは、この白い光の柱なのだ。このように銀河と繋がっていたら、どんな状況でも必ず守られるだろう。こんな力を持っている人々を、支配することは不可能だ。

諏訪は、これほどの力があったからこそ、あれほどに残虐な封じ込め方をしなければならなかったのだろう。しかし今、ここまで封じ込めが解けたということは、もう時が来ていたということなのだと思う。これまで、ピラミッド型支配社会の中で、私たちの本来の力が封じ込められ、支配されてきた。しかし今、この力を再び取り戻さなければ、世界が滅びてしまうかもしれないところまで来た。そうした状況も、銀河との繋がりが開けて、多次元的な意識世界が開けていくために、起こっていることなのかもしれない。もはや誰が誰を支配することもなく、それぞれが自立して、宇宙に守られながら、調和していく時が来たのだ。

それから、その人の親族の女性たちを光の柱の中に入れて、その力と繋げた。彼女たちは、こんな力を本当に使ってもいいのかととまどっているようにも思えたけれど、だんだんとその力が普通に使われていた時代があったことを思い出して、自由に使い始めているイメージが出てきた。封じ込めていた男の人たち、女性を虐待していた人たちは、これまでどうしてそんなことにこだわっていたのか、もうわからない、といった様子で、何だか穏やかな顔になっていた。

銀河と繋がった力を使うことも、だんだん普通のことのように思え始めてきたら、誰もが当たり前に使うようになって、特別なことではなくなっていったようだった。すると、諏訪湖のまわりの山々も、何だか軽くなって、陽気な感じになってきたようだ。宇宙と繋がって生きることが、特殊なことではなく、誰でも当たり前にするようなことになったら、きっと実に穏やかで、楽しい世界になるのだろう。一人一人が自立して、まわりの世界、自然界の存在たちなども含めて、つねにバランスを保とうと自然に動いているような世界だ。

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