こんにちは 阿山寛江です。
最近の私は来るべき時の自然災害に恐れを抱き、昨日もとあるワークへの誘いを記事でかいていました。
ワーク中で気づいたことがありました。
ワークでの瞑想中、私の中に現れた恐怖や不安はふと自分のものではないことに気づいた。
世代間伝搬
つまり私の感じている恐怖の根源は私が母のお腹の中にいたころ、母が感じていた恐怖であり不安であった。
それが瞑想中に明確にビジョンとして現れた。
さらにこの恐怖の原因を見ていくと、そこに現れたのは火の粉の舞うまだ炎が立ち上っている野戦場のようなところで、ただ呆然と立ち尽くす6、7歳の1人の少女でした。
そこで初めてハッとした。
母の実家は島根県の山深い田舎町
空襲のときには多くの人が広島から逃げてきたらしい。
親戚も広島に多くいた。
終戦が1945年、昭和20年
母が生まれたのは1938年、昭和13年
確かにこの時、母は6歳だ。
戦火の中で呆然と立ち尽くしていた少女が母にだぶった。。。
でも実際、母は直接被災していないはず。
しかしおそらく母は誰かの話で聞いたか、見たか、その頃に何かの体験をしたとしても不思議ではない。
それ以来、彼女は恐怖と不安に打ちのめされ、凍つき、その時の感覚を体内に抱えたまま、今すでに86歳になろうとしている。。
幼少期の私が母に感じていた無力感、虚無感、所在のなさや、自責から目を背け自立のできなさ加減はそこに繋がると言っても過言ではないのかもしれない。
実際母の身体症状はトラウマ経験者のそれに合致していたことが納得の要因でもありました。
そうだったのかア〜〜〜。
なんで気づかなかたんだろう。。。
私が幼少期から抱いてた母への怒りは”常に現実から目をそらし、直視しないこと””問題解決に向かう意識の無さ”と”自立心のなさ”にあったのだけど、もしも戦争トラウマに囚われていたとしたなら、母には戦争というあまりにも巨大な問題に立ち向かうどころか、現状を受け入れることも、自分が恐怖し凍りついてしまったすら理解できていなかったんだろうな。
目を背け、流されるがまま、無力にも巨大な力に従うしかなかったのかもしれないと思うと合点がいった。
こうして私の災害への恐怖や不安が私から切り離された今、目の前がやたらに明るく感じる。
胸の辺りを風が抜けていく
体の中に流れが戻ったきがする。
抜けない風呂の栓がぬけ、使い古して汚れた水を一気に流し切ったような爽快感を、いま味わっています。
そうすると今度は風呂のそこに溜まっていたヘドロの姿をより明確に感じるようになった。
こうなったら底に溜まっていたヘドロも大切に汲み出そう。。。
沢山のエゴや怒りや、恐怖や不安にも愛をおくろう。
こうやって生きてくることができたことが祝福になりますように。
私の解放がみんなの解放につながりますように。
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