【FBお返事メールセッションNo.50】自由とは何か?自由とはどこにあるのか?なぜ、奪われる人生 | 野球選手、指導者のための心と身体の書き換え「DK WORKS Brain Development~脳と心の開発~」

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【FBお返事メールセッションNo.50】自由とは何か?自由とはどこにあるのか?なぜ、奪われる人生なのか?

 

 

FBお返事メールセッションNo.49でお返事をさせていただいたクライアントさんから、引き続き、フィードバックをいただきました。

 

 

このクライアントさんはまさに今、静かに、人生を変える岐路に、立っていらっしゃいます。

 

 

GWに帰省し、お母さまとの時間を過ごされたことで、自分の内側に「母親をバカにしている」という強烈なRゆらぎが起こりました。

 

 

これはまさに、自分のこれまでの認識を根底から覆す、チャンスが到来しているということです。

 

 

このチャンスをさらにモノにするために、またお返事させていただきますね。

 

 

小出先生

 

 

メルマガでのお返事、大変ありがとうございました。

 

 

一番身近な母を見下していたこと、それによって自分はそうはりたくない、自分はそうではない、と思っていたかもしれないこと、色んな内部表現が確かに見えてきました。

 

 

私はあまり結婚願望が強くないのですが、(1人で死にたくないから誰かそばにいて欲しいとは思うのですが、それは、本当に相手と一緒にいたいというより多分打算なのだろうな、とどこかで感じています)

 

 

それもきっと、自分の全能感や自由さを感じていたいからだろうなと思います。

 

 

結婚すると、子供を授かる可能性があるので、自分の自由な時間や、仕事で稼げるはずのお金も全て奪われるという感覚がずっと怖いです。

 

 

子供は可愛いなと思いつつも、自分が産むことを想像すると、身動きできなくなる感じ、責任を負わなければいけない感じが、今の私には引き受けられません、、

 

 

お付き合いしている彼氏とは、結婚を意識した話題が自然と出てくることがありますが、何度も話し合った結果、

借りているお金をまず返さなければ先には進めない、という結論になりました。

 

 

しかし、私自身が真にそこに誠実になれない、肚から動こうと思えない、身体が動かない怠慢な自分がどこかにへばりついているなと感じていました。

 

 

彼氏は自分の人生の時間を犠牲にしてでも私を待ってくれているのに、なぜお金を貯めることを優先しないのか、節約の工夫をしたいと肚から思えないのか、動けないのか、理由がわかった気がします。

 

 

一番身近な母という存在をひどく見下していたから、より自由になりたいという傲慢な気持ちが強化されてしまったのですね。

 

 

母は自分の楽しみを制限しながらも工夫して、私たちを育ててくれたこと、親として愛情をたっぷり注いでくれたのだと、今までより深く実感しています。

 

 

瞑想では、母に真摯に謝りたいと思います。

 

 

ご指導、本当にありがとうございます。

 

 

(30代 女性 Brain Development受講生)

 

 

いいですね。

 

 

一つずつ、お答えしてみましょう。

 

 

「私はあまり結婚願望が強くないのですが、(1人で死にたくないから誰かそばにいて欲しいとは思うのですが、それは、本当に相手と一緒にいたいというより多分打算なのだろうな、とどこかで感じています)」

 

 

非常に良い気づきだと思います。

 

 

「1人では死にたくないから、誰かにそばにいてほしい」

 

 

というのは、相手を愛しているというよりも、結局、自分の都合の話ですね。

 

 

このクライアントさんも「多分打算なのだろうな」と、薄々と自分の幼さに、気づいていらっしゃいます。

 

 

自分一人では、自分の精神的な面倒を、見ることができない。

 

 

いわゆる「寂しい」から、誰かそばにいてほしい。

 

 

誰か自分の機嫌をとってほしい。

 

 

誰か自分を価値ある人間と思わせてほしい。

 

 

これは、結婚ではなく、むしろ親代わりをしてくれる人、自分にとって都合の良い人が欲しいということなのです。

 

 

こうした願望が今、彼氏がいらっしゃることで、実現しているということは、自分が都合よく「奪えている」ということになります。

 

 

他者を利用することに、成功しているのですね。

 

 

しかし、こうした関係性の構築は、全人間関係に影響が及んできます。

 

 

端的に言えば、人間関係の全てが「利用するか」「利用されるか」になってしまうのです。

 

 

信頼と尊敬と敬愛の関係ではなく、打算的で収奪的で抑圧的な関係でしか、他者と付き合えなくなる。

 

 

例えば、友達だと自分では思っている人にも「この友達にはこうやって共感してあげたほうが後々有利に働く」とか「こういう接し方をすれば優越感を得られる」などといった、打算的にしか関係できなくなる。

 

 

この生き方に、喜びや幸せは、なさそうですよね。

 

 

友人であれ、尊敬があり、敬意があり、誠意があり、礼儀礼節がある。

 

 

そんな関係性であるからこそ、育めるものがあります。

 

 

現在お付き合いされている男性のことも、実は都合よく、利用していらっしゃるというのは、ご自身が薄々感じていますよね。

 

 

「打算的」と、おっしゃっていますからね。

 

 

自分は寂しいから、そばにいてほしい。

 

 

でも、自分は何も、差し出したくないのです。

 

 

まるでわがままで、身勝手で、性格が悪いのです。

 

 

そんな傲慢で身勝手でわがままで幼い自分を、言い訳せず認めることから、スタートです。

 

 

「結婚すると、子供を授かる可能性があるので、自分の自由な時間や、仕事で稼げるはずのお金も全て奪われるという感覚がずっと怖い」

 

 

物事を、奪うか、奪われるかでしか、考えられない「爬虫類脳」ということですね。(いや爬虫類だって自分の子供のために命をかけますから、爬虫類に失礼ですよね)

 

 

自分が、まるで息を吸うように、自然に、当たり前のように他者を都合よく利用し、奪っているから、翻って自分も「奪われる」のが、怖いのです。

 

 

「子供は可愛いなと思いつつも、自分が産むことを想像すると、身動きできなくなる感じ、責任を負わなければいけない感じが、今の私には引き受けられません、、」

 

 

だから、身動きが取れないのです。

 

 

いや、動きを取りたくないのを、身動きが取れないと言って、何かのせいでがんじがらめになっていると言いたいだけなのです。

 

 

本音で言えば、自分が動きたくないだけ。

 

 

幼年脳のまま、居たいだけ。

 

 

まだまだ、奪い続ける立場にいたい。

 

 

身勝手に都合よく人を利用したい。

 

 

そうやって、生きていきたい。

 

 

それが、幼年脳です。

 

 

子供がほしいと思いつつも、身動きが取れない。

 

 

これは本質的には、子供に対する恐怖があるということです。

 

 

なぜ、恐怖があるか?

 

 

それはまさに、子供を連想するときに脳が真っ先に思い描くのが、自分の姿だからです。

 

 

自分がこれだけお世話になった母親を、未だに心の底でバカにして、蔑んでいる…

 

 

自分が母親になるということは次は、自分がそんなふうに、蔑まれて、バカにされる番なのです。

 

 

それが怖いのです。

 

 

どれだけ可愛がっても、献身的に子供を育てても、全てを投げ打って家族に尽くしても、バカにされて、奪われる。

 

 

自分が損をする。

 

 

そんなふうにしか思えない。

 

 

それはまさに、自分がそういう醜悪な、収奪的な存在だから、自分が次は奪われる立場になるのが怖いのです。

 

 

それなら、自分はまだ、幼いままでいるほうがマシ。

 

 

いつまでも、奪い続けて、利用し続けて、人を小馬鹿にしている人生のほうが楽。

 

 

内部表現では、そのような演算結果になっているのです。

 

 

それがこのクライアントさんの、身動きが取れない感覚です。

 

 

彼氏さんは、全てを差し出してくれているのに、自分は何もしたくない。

 

 

「私自身が真にそこに誠実になれない、肚から動こうと思えない、身体が動かない怠慢な自分がどこかにへばりついているなと感じていました。」

 

 

この怠慢を、怠惰を、身勝手を、傲慢を、徹底的に排除しない限り、今後の人生は、次は、奪われる人生が待っています。

 

 

いつまでも、収奪できる人生は長続きしません。

 

 

自分が誰かから奪い続けているから、折に触れて「この機会を奪われる…」と、恐怖するのです。

 

 

それが例えば、散財などにもつながります。

 

 

こういう場合は、インナーチャイルドを、徹底的に叱りつけて、殴って、躾なければダメです。

 

 

この、奪い続ける人生に完全にインナーチャイルドが、中毒しています。

 

 

ここから自分を救い出すには、インナーチャイルドを、鉄拳制裁で、躾する他ありません。

 

 

それほどまでに、性根が腐っているのです。

 

 

甘えているのです。

 

 

「甘えるな」

 

 

「いい加減にしろ」

 

 

「人から奪うな」

 

 

「人をバカにするな」

 

 

「お前が一番バカだと早く気づけ」

 

 

「借金を今すぐ、最優先で返せ」

 

 

「我慢を覚えろ」

 

 

「与えられてばかりで恥ずかしくないのか」

 

 

そうやって、鉄拳制裁を喰らわせる。

 

 

しかも、何度も何度もです。

 

 

そのくらい厳しく躾けないと、おそらく何も変わりません。

 

 

それができるかどうか。

 

 

これが、勝負の分かれ目だと思います。

 

 

優しく諭しても、図に乗るだけです。

 

 

こういう時は、力を行使しなければダメです。

 

 

「一番身近な母という存在をひどく見下していたから、より自由になりたいという傲慢な気持ちが強化されてしまったのですね。」

 

 

これも、解釈がずれているのです。

 

 

お母さまは、すでに、自由なのです。

 

 

自由意志によって、子供たちのために尽くすことを、自ら選んだのです。

 

 

しかし、幼年脳にとってみればそれは、「バカじゃないの?」というように、見えるのです。

 

 

本当にバカなのはこちら側なのです。

 

 

お母さまは、選択する自由を、敢えて子供たちに、家族に、捧げたのです。

 

 

むしろ、そこに喜びがあり、幸せがあるのです。

 

 

それが、抽象度の高さです。

 

 

そもそも「自由」という概念を、全く履き違えて理解してしまうのが、幼年脳の恐ろしさであり、現代社会の闇です。

 

 

現代というのは、「自由」を獲得するために走れば走るほど、自由を失うシステムになっています。(誰が自由になっているでしょうか?笑)

 

 

真の自由というのを、エゴイズムを暴走させること。幼年脳のまま生きることだと履き違えているのです。(それがいわゆる欧米的な自由主義であり合理主義でありリベラリズムであり、競争社会であり個人主義です)

 

 

それをオルテガは「大衆の反逆」と言いましたね。

 

 

オルテガはそんな、自由主義、近代化、大衆化、技術革新による自意識の肥大化によって、幼年脳のまま生きることのできる人類に対して「野蛮でエゴイスティックな原始人」と称しました。

 

 

人のことを考える必要がない。

 

 

甘えたまま、奪い続けるような人間でも、生きていけてしまう世界になってしまったと。

 

 

サルトルはそんな自意識の肥大化によるエゴイズムの暴走を許した自分の生き方に「嘔吐」しました。(これも極めて優れた洞察を含んだ小説です)

 

 

自由とは、エゴイズムの解放ではないのです。(解放するから借金を背負っても散財が辞められないのです)

 

 

真の自由とは、自分自身を鍛え上げた徹底的な「自制」の中にこそ、生まれるのです。

 

 

自分を型にはめ、自分を教育し、自分を従わせ、自分を律し、エゴを徹底的に駆逐した先にしか「自由」はないのです。

 

 

だからこそ、現代の日本人はコーチングで語られる「エフィカシー」という言葉を、まだ理解できずにいるのです。

 

 

自己を解放し、エゴイズムを解放し、俺は、私は、なんだってできるんだ!という謙虚さを忘れた意味においての「自意識の肥大化」を「エフィカシー」だと思い込んでいるのです。

 

 

煩悩を暴走させ、自意識を暴走させ、エゴイズムを暴走させ、解放し、傍若無人に振る舞うことがまさか、エフィカシーなはずがありません。

 

 

そんな領域に、エフィカシーは存在しません。(なので、エフィカシーにアクセスできず、エフィカシーが上がらないのです)

 

 

ということで、段々と「エフィカシー」を致命的に勘違いし、間違って理解していることに気づき始めた方は、ぜひ第5弾でお待ちしています。

 

 

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