バーチャル講座販売開始!【マインド・ボディ・コーディネーションシリーズ第5弾】内部表現を根幹から書き換えるセルフエスティーム瞑想の導入~母性剥奪が生み出す悪夢と希望~
DK WORKSでは、2022年には「愛着」について触れ、愛着三部作という伝説となった3講座を通じて、徹底的に我々の内部表現に書き込まれた情報と向き合ってきました。
そして昨年、2023年には、内部表現書き換えの最大のテーマと言ってもいい「セルフエスティーム」に切り込んでいきました。
我々の実践する内部表現書き換え技術において、最も難解で、最も闇深い「セルフエスティーム」
内部表現書き換えにおいて、決して避けることのできない領域。
逃げることのできない、最大のテーマ。
一方で、ある一定の抽象度を持ち合わせないと、闇に堕ちてしまう、危険な領域。
それがセルフエスティームです。
ある一定以上の抽象度に到達できなければ、このセルフエスティームに関しては例えば「毒親」などと威勢よく叫んでみたものの、そのまま流行りが終われば終わり・・・というような悪夢を見ることになります。
結局多くの人々がこのセルフエスティームという未知の領域を、深く時間をかけて吟味することができません。
結局、内部表現の最もコアな部分の書き換えに失敗してしまい、その上から、ありとあらゆる「それらしいもの」を塗りたくって、いつまでも人生を変えられずにいる・・・そんな悲惨な結果を生みます。
「心身」とは何かを考えるときに、その深淵に潜む、最もコアな部分と向き合わざる得ないのです。(当然、ここに向き合うことを辞めた人は大勢いますし、大勢知っています)
そんな、凄まじく過酷であり、凄まじく闇深いセルフエスティームというテーマに対して、2023年は7講座に渡って一歩一歩、クライアントさんたちと共に歩みを進めていきました。
そして、大成功を収めてきました。(控えめに言っても大成功でしたね笑)
多くのクライアントさんが闇から這い上がり(というか、自分が闇深い領域に沈んでいたことに気づき)凄まじいレベルでの書き換えが実現していきました。
メンタリングパーソナルスクール生や、セッション生もまた、この辺りの大きな大きな山を、一つずつ超えてきてくれました。
そして、次なるGoalへ向けて歩み始めたのが2024年。
マインド・ボディ・コーディネーションシリーズですね。
「アファメーション呼吸法」
「臨場感」
「Rich脳」
「縁起的体感」
セルフエスティームというテーマを踏ま得たからこそ、ここまで、かなりレベルの高いことができているように思いますし、受講生の皆さんも、かなり高いレベルで、これらの知識や技術を、体得し始めてくれています。
良い感じです^^
本当に、2024年に入ってからは、クライアントさんそれぞれの書き換えの深度、密度、スピードが、着実に上がっています。
実際に、物理空間にわかりやすい結果として出始めている方も多いです。
そうしてマインド・ボディ・コーディネーションシリーズも、それぞれの講座が大成功を収めつつ、さまざまな形で、自分自身の心身が観えるようになりつつ、いよいよ第5弾を迎えました。
ここらへんで、クライアントさんたち全体を観て感じるのは、今一度、DK WORKSの根幹を成すテーマである「セルフエスティーム」に回帰するタイミングが来た…という感覚です。
回帰というよりは、一段上の抽象度に上がった上で、全く新たな「目」で、セルフエスティームに向き合うという感覚です。
テーマとしては回帰ですが、現象としては、抽象度上昇による、レベルアップです。
2023年の7講座(セルフエスティームシリーズ)そして2024年の4講座(マインド・ボディ・コーディネーションシリーズ)を経て、いよいよこの、難関であるセルフエスティームに対する介入を、大幅にレベルアップさせる時が来たという感じです。
はっきり言って、凄まじく面白いと思います^^
特に、セルフエスティームシリーズ、マインド・ボディ・コーディネーションシリーズで、一緒に駆け抜けてきたメンバーは、本当に「このレベルまで来てしまった」と感じてくれると思いますし、逆に言えば「2023年に学んだセルフエスティームに対する理解は、まだ表層でしかなかったのか・・・」と、良い意味で絶望してくれることでしょう。
抽象度が上がる体験というのはそういうものです。
内部表現書き換えとはこうして段階的であり、レベルがあり、階層があります。
抽象度が上がった先でしか、見えない世界があるのです。
ということで今回は、マインド・ボディ・コーディネーションシリーズとして、これまでとは一つ上の抽象度から、セルフエスティームというテーマに挑みます。
そうすることによって、あなたの心の奥の、そのさらに奥・・・
これまで観測することが困難だった領域・・・
そこに眠る、我々のGoal達成を邪魔する、忘れ去られたアルゴリズム、無意識的に隠蔽されているアルゴリズムに対する介入が、可能になるのです。
これまでとは全く違う解像度での介入が可能になることによって、受講生たちの人生は、根源からごっそりと、変わることになるでしょう。
いよいよ、そのコアのコアに、これまでとは違った階層から、メスを入れていくということ。
もちろん、セルフエスティームシリーズやマインド・ボディ・コーディネーションシリーズをまだ受けたことのない方も、ぜひ、興味があればお越しください。
凄まじい内容です。
今回の一つの大きなパラダイムシフトは、セルフエスティームの「崩壊」「破壊」という視点ではなく、「未発達」「未成熟」という視点から、介入していくという点です。
我々のセルフエスティームがそれぞれに、破壊させてきたのは事実です。
しかし、破壊されたことによって生み出された現象が「未発達」「未成熟」だという視点から、スタートして行くのです。
こうして視点を少し変えるだけで、広がっている世界は一気に広がり、これまでセルフエスティームに関して言語化できないような「モヤモヤ」した部分が、一挙に晴れ渡っていきます。
そして、その晴れ渡った先に観えるのは・・・
心身の内側で、無尽蔵に生み出される、蠢き続けるGoal達成を阻害するアルゴリズムです。
我々が、分かっていても繰り返してしまう、クリエイティブ・アヴォイダンスを辞められない根本原因。
分かっていても、Goalを設定できない・・・
分かっていても、アファメーションができない・・・
セルフトークを、改善できない・・・
どうしても、頑張り過ぎてしまう・・・
どうしても、本音で人と付き合うことができない・・・
頭では分かっていても、ビジネスになると、力が発揮できない・・・
Goalへ向けて、すべきことは観えているのに、続かない、できない・・・
気がつくと、人と比べてしまっている・・・
人の不幸を、どこかで喜んでいる自分がいる・・・
ダメだと分かっているけれど、暴飲暴食が、止まらない・・・
我々には、頭では分かっているのに、辞められないということが山のようにあります。
理解はしているのです。
しかし、身体が言うことを聞いてくれない。
反射的に、無意識的に、止めることができない。
この背後に走っているアルゴリズムを、根こそぎ捕まえに行くのが、今回の第5弾となります。
相当に面白いと思います。
例えばですが、コーチングにおいて「Goal設定」と言えば「現状の外側」というのは大原則です。
現状の外側にGoalを設定するということは、現在の自分のコンフォートゾーンの人々全員がドリームキラーになるということです。
理解されることは決してありません。
応援されることなんて、絶対にありません。(通常であれば)
しかし、セルフエスティームの未発達、未成熟によって「承認欲求」というアルゴリズムを暴走させていれば、そもそも無意識的に「現状の外側のGoal」という存在そのものを、無意識領域に隠蔽します。
なぜならば、そのGoalを設定してしまえば、周りの人々に愛されなくなり、認められなくなり、狂人呼ばわりされ、承認を得られず、理解されなくなるということに対して、身体が恐怖に慄くからです。
何よりも欲しいものが、奪われるということを無意識的には分かっているからです。
なので、心身は自動的に恐怖を走らせます。
そのようにして「現状の外側」という言葉を知っている人の99.9%が、言葉を知っていながらも(頭ではわかっていながらも)現状にしがみ付いてしまうという結果となってしまうのです。
もちろん、口では言っています。
「私にはGoalがある」と。
しかし、無意識レベルでは「この場所にいたい」「理解されたい」「わかって欲しい」「褒めて欲しい」etc…
愛情欲求が満たされていないが故に、無意識的に、現状にしがみ付いてしまう。
本当は、広い世界に飛び出していきたいのに・・・
恐怖と不安が先行し、その情報に臨場感を乗っ取られ、一歩を踏み出すことができない。
そんなアルゴリズムが心身を暴走し、Goalは次々と、隠蔽されて行くのです。
我々が真にGoalに生きる人生を送りたければ、我々のルーツ(我々を作り上げてきた情報)に触れるしかありません。
早稲田大学名誉教授である加藤先生のお言葉をお借りするならば、今回はセルフエスティームについて、ここまで徹底的に突き進みます。
日本人は、いつまでも母と自分との本当の事実に直面することを避けている。だからさきに進めない。神経過敏で傷つきやすい人、脅迫的に他人からの尊敬を求める人、いつも自分と他人を比較して自分を評価する人、心の底で他人の不幸を喜んでいる人、それらの人は、一度本気になって、自分は、自分と母親との関係の本当の事実から眼を逸らしていないかどうか考えてみる必要があるだろう。
(愛されなかった時どう生きるか?〜甘えと劣等感の心理学〜「加藤諦三」より引用)
今回のテーマは「母性剥奪」という強烈なものです。
セルフエスティームを理解する上で、決して逃げることができない。(いやむしろ、その事実から逃げるからこそ、Goal達成ができないのです)
逆に言えば…
逃げずに徹底的に取り組めば、圧倒的な書き換えが実現します。
これまでどうしてもできなかったことができるようになり、どうしても怖かったものが怖くなくなり、不安でならなかった現実が、嘘のように希望に満ちたものに変わるのです。
しかし、多くの人々はいうでしょう。
「いや、私は母親との仲はいい方だから」
「すごく愛情を注いでもらったと思っているけど!」
「私の母親はとてもいい人だし…」
「私は対象外だな・・・」
しかし、DK WORKSの立場で言えば、全人類的な「母性剥奪」は、時代が進むにつれて、着実に進行しています。
1億総母性剥奪社会です。
そう認識すべきなのです。
もちろん「母性剥奪」というのは極めて強烈な言葉です。
これは間違っても、母親を否定するものでもなければ、母親に責任を転嫁する言葉でもありません。
しかし、そこに確かに、見逃すことのできない強烈な「剥奪」が存在しているのです。
そしてその”剥奪”は、また違った”剥奪”によって、生み出されているのです。
母親がいい人であるということ、一生懸命に子育てしているということ、子供を心から愛しているということと「母性剥奪」は全く無関係なのです。
しかし一方で「愛情を注いでもらった」というその感覚そのものが、極めて致命的なバイアスが掛かった(スコトーマだらけの)見方だということ。
むしろ、「私は愛されて育ったから」という台詞が出る人ほど、我々プロから見ればその怪しさと危うさを疑わずにはいられません。
この辺りは、それそういうの抽象度に到達しないと、決して理解することができないような領域であることは事実です。
多くは、誰かに責任を転嫁するような不毛な議論へと発展してしまうことでしょう。
しかし、ポイントは、我々にとっての「母」という存在。そしてその「母」に対して我々は、DNAレベルでバイアスをかけ、自ら巨大なスコトーマを生み出す脳のカラクリをそもそもデフォルト設定で所持しているということです。
もちろん今回は、母性剥奪がテーマですが、当然ながら、お母さんを責める内容ではありません。
むしろ「母性剥奪」というテーマそのものは、人類レベルのテーマであり、この感覚が身体に入ってくることによって、お母さんたちも、子供たちも癒されます。(もちろん、お父さんも)
我々はDNAレベルで、お母さんに期待しすぎてしまい、理想化しすぎてしまう性質を持った生き物なのです。
人間は母に愛されなくてもなお母を慕う。母に愛されたいと望むから、ついつい母をそのように愛のある人間と理想化しがちである。しかしそれにもかかわらず、心の底を覗き込んでみれば、やはりその母を信用してはいない。母への不信感を心の底にこびりつけながら母を慕う。自分の心の底にある母への不信感に気がついていない不安神経症者もいよう。母を慕う気持ちがあまりに強いので母への不信感は抑圧される。母への葛藤があることは確かである。
(愛されなかった時どう生きるか?〜甘えと劣等感の心理学〜「加藤諦三」より引用)
こうして、「母性剥奪」という客観的事実を丁寧に学ぶと、我々が驚くのは、親との関係性が、自分の人生において、ここまで深いレベルで侵食してきているのか!という事実です。
20代後半や30代以降になってくれば、「親との関係」など、自分の人生には全く関係がないように感じます。
そもそも意識に上げられるレベルでは、そのようなものを感じることは薄まってくる方が多いでしょう。
しかし、そこにこそ、巨大なスコトーマが存在しているのです。
それは、自然と薄まっているというよりはむしろ、無意識的に我々が、必死に自分の無意識領域に隠蔽しようとしているという事実が浮かび上がってくるのです。
まず「母性剥奪が生み出す悪夢」について、徹底的に学ぶことによって、その事実が明らかになります。
徹底的に「実用例」を学ぶことによって、自分がいかに、母性を剥奪されていたか、その剥奪によって「脳」が壊されたか?について学びます。
場合によっては、「全て自分に当てはまる…」という方も多いでしょう。
これまで意識に上がらなかった部分を、意識に上げることによって、強烈にリアリティは揺らぐのです。
それが内部表現書き換えの基礎中の基礎であり、王道であり、全てです。
我々の心身を呪っているのはまさに、記憶すら曖昧な幼少期の頃に経験した、ありとあらゆる形での「母性剥奪」です。
そのアルゴリズムによって、心身の内側が「幼児的愛情飢餓感」が無尽蔵に生み出されて行く。
この幼児的愛情飢餓感こそが、内部表現の奥底、根幹に鋭く、深く、刻み込まれ、今もなお、我々がのたうち回って苦しむ全ての元凶なのです。
この幼児的愛情飢餓感が、自己無価値観や自己喪失感というアルゴリズムを大量に生み出します。
- 皆に認められなければという欲求の暴走・・・
- 他人からの目への過剰反応・・・
- 成功しなければという心根にあるhave to・・・
- 何か意味のあることをしなければという焦り・・・
- 誰かよりも劣るたびに落ち込む・・・
- 他者の失敗をどこかで安心する・・・
その他・・・
人間として生きて行く上で、極めて不愉快なアルゴリズムが、次々と発火し、暴走して行く。
そしてその演算は、いくら演算を繰り返しても、終わることのない無限地獄・・・
その演算を終わらせるために、ありとあらゆることをやろうとするが・・・
むしろ、演算を増やせば増やすほどに、その演算は増大して行く。
計算量爆発。
そうして、Goalとは全く関係のない領域で、我々はいつまでも、のたうち回っているのです。
何をやっても、どう足掻いても、新しい考え方をいくら導入しても・・・
演算は終わることはありません。
そうして、心身の内側に、もはや意識に上げることすらできない「内的葛藤」を無限増殖的に、さまざまな形で、生み出していくのです。
母性剥奪によって真の自己から疎外された子供は、他人の上に自分を置くことで自分の安全を確保しようとする。他人よりすぐれていることによってのみ、自分の安全は保たれると感じる。(自己喪失感)自分の安全を確保する野心や名声に固執する。それらが自分の無力感や孤立感を、一時的には解消してくれるからである。
(愛されなかった時どう生きるか?〜甘えと劣等感の心理学〜「加藤諦三」より引用)
母性剥奪による内的葛藤というアルゴリズムは、確実に心身を疲弊させ続けます。
蝕み続け、削り続けます。
そしてそのアルゴリズムは、休まることがありません。
そうして時が経つと、ありとあらゆる身体(心含む)症状として、物理空間に現れるのです。
葛藤の未解決な人は、誰にでも好かれようとする。小さい頃好かれたいと願いながらも心の底に両親から拒絶された記憶を持ち、葛藤を生じ不安になる。その不安から逃れるために、誰にでも好かれたいと願うようになる。
(愛されなかった時どう生きるか?〜甘えと劣等感の心理学〜「加藤諦三」より引用)
こうした母性剥奪による内的葛藤が、裏側で承認欲求の暴走を生み出しており、我々を現状に、雁字搦めにするのです。
誰からも好かれたい、愛されたいというような大量のFakeGoalを生み出すのです。
そういった意味で「承認欲求」の克服など、決して簡単ではないのです。(簡単に考える方々は多いですが)
自分自身の根源的な部分に触れなければ、決して書き換えることはできないのです。
さらに言えば、当然ながら、内的葛藤を抱えた人が、人間関係を構築しようとすると、明らかに不健康な関係性を結ぶような縁起を形成してしまうのです。
内的葛藤の未解決な人が他人と親しくなっていくと、そのままその人がさらに自己喪失していく。かつて両親との関係で従順を求められ、自分自身の感情を失ってしまった、あのパターンに陥っていく。葛藤のある人が他人と近づけば近づくほど、自分の感情を信頼することが許されない昔のパターンに陥っていく。自分自身の感情と疎遠になることによってしか維持できなかった両親との関係を経験したものは、他人と親しくなることを心の底で恐れている。
(愛されなかった時どう生きるか?〜甘えと劣等感の心理学〜「加藤諦三」より引用)
内的葛藤が未解決の人々は往々にして、他人を嘲笑するような人間に囲まれることになり、自分自身もその一因になります。
他人への嘲笑し、軽蔑を共有することによってしか、他者との連帯感を感じられないのです。
あいつはダメだ、あの人はもうダメね、と言った具合に、他者の落ち度を嘲笑うことによってしか、交流できないのです。
あるいは、自分の価値を認められない。(自己無価値観からの一時的逃走)
しかし、本人たちはそれが、非常に正義に満ち溢れており、さらに言えば、教養に溢れているように感じるのです。
これは明らかに間違った形のセルフエスティームであり、Fakeでありながらも、一時的には、誰かを評価し、嘲笑し、軽蔑することによって、楽になれるように感じるのです。
日頃ずっとずっと、水の中で息を止めていて、誰かをダメだと嘲笑する時にだけ、息継ぎができるような感じです。
一時凌ぎでしかないのですが、一時凌ぎをしているうちに人生を終える人は大勢いらっしゃるのです。
自分の内部表現内に蠢いていて、苦しい、辛い「幼児的愛情飢餓感」や「自己無価値観」「自己喪失感」を、必死に晴らそうとする代償として、こうして人間関係すら、歪んで壊れたものになります。(そしてそれがホメオスタシス化すると、人間関係はこういうものだという感覚になってしまいます)
内部表現書き換えに関して、真にプロとして活躍したければこの「母性剥奪」という衝撃的な内容を徹底的に抑えなければ、その先に進めないのです。
なぜならば、クライアントの書き換えにおいて、この部分が、コアになるからです。
そしてこの「母性剥奪」は一世代前の「母性剥奪」から生み出されており、岡田尊司先生の言葉をお借りすればまさに「人類の負の連鎖」なのです。
剥奪は剥奪を生み、世代を超えてまた、剥奪を繰り返して行くのです。
我々の世代にできることは、我々自身が真に、心と身体に向き合うことによってこの剥奪の螺旋から降りることです。
この負の連鎖を克服することは(=自分が癒やされることは)全人類に対する貢献になるのです。
この辺りの議論を丁寧に学ぶことで、我々自身が思わぬ角度から、思わぬ方向から、ありとあらゆる形での「母性剥奪」というアルゴリズムに苦しんでいるという事実が、観えてくるのです。(あるいはすでに、お子さんがいらっしゃる方は、全くあずかり知らない間に、次は剥奪する側に回ってしまっていたことに気づけるのです)
この母性剥奪から生み出される内的葛藤とは、具体的にどういったものかについても、徹底的に学んでいきます。
すると、
「言語化できないようなレベルの苦しみ、痛み」
「どうしようもないと思っていた自分の性質」
「まるで突破口が見出せない課題」
などが、自然とするすると、解決されて行くのです。
これが、内部表現書き換えの凄まじさです。
子供が(自分自身が)思いもよらぬ母性剥奪を食らった時、どう心身が反応し、その代償として、どのような傷が生み出されるのか?
どのような代償反応が起こるのか?
そして、その内的葛藤から生み出されたありとあらゆるアルゴリズムが、実際に自分の人生とどのように関連しており、どのように影響しており、どのような「縁起」を生み出しているのか?
この辺りを学ぶと・・・
全人類的にこの「母性剥奪」というキーワードが、当てはまることに気づかれることでしょう。
我々人類が抱える問題のほぼ全ての根源にはこの母性剥奪が関与しているという、驚愕の事実を突きつけられることになります。
結果として、母性剥奪がセルフエスティームの成熟を大幅に妨げ、しかし、ほとんどの人々はそれに気づけないという現実。
気づけないからこそ、亡霊のような「自己無価値観」や「自己喪失感」を、必死で追いかける人生になってしまう。
我々は自分で自分の首を絞めることになってしまうのです。
そして、これらありとあらゆるアルゴリズムは、直接的に「脳」にダメージを与えるのです。
このダメージを受けた脳と身体は当然繋がっており、我々は心(Goalを達成したい)とは裏腹に、身体はいうことを聞かない状態になってしまっているのです。
端的に言えば、扁桃体の過剰活性であり、前頭前野が稼働できないような状態が常態化します。
抽象度は上がらず、I.Qも上がらず、新たな技術も習得できず、新たな知識も、身体に入ってこない。
愛されたい、理解されたい、承認されたい、褒められたい…という幼い頃に置き忘れてきた満たされていない愛情欲求だけが暴走し・・・
その暴走が人生を支配してしまう・・・
これは当然ながら、頭で理解できたとしても、暴走を意識的に抑え込めるものではありません。(意識的に抑え込めば、どこかで違う形で、必ず代償があります。タバコをやめたら食欲が暴走して太るのに似ています)
当然そのようなアルゴリズムが心身を暴走し続ければ、精神的に不安定になるだけでなく、実際の疾患としても、さまざまな形で、現れてきます。
抑鬱状態が常態化する。
こうした深い深いレベルまで、徹底的にそのアルゴリズムを覗き込まなければ、我々にとっての内部表現書き換えなど、全く観えてこないのです。
はっきり言って、濡れ手に泡です。
ほとんどの書き換えが、ただ内部表現を掠めるだけの、労力の割に書き換えが進まないというような弱いものになってしまうのです。
ここまで徹底的に内部表現が破壊されていたのか…
まずは、その事実を受け入れることです。
しかし、多くの人々はここで途方に暮れるのです。
「じゃあ、どうしろというんだ」と。
ちなみに「毒親」という表現そのものが、極めて抽象度の低い表現であり、幼稚な言語表現であることはお分かりいただけると思います。
自分がボロボロに破壊された事実を知った時、抽象度の低い人間は当然ながら、親に対する恨みにフォーカスをスライドさせるからです。
あいつらが悪いんだと。
それが「毒親」という言葉の真意と言っていいでしょう。
無意識的に、凄まじい恨みと憎しみを抱えた言葉なのです。(なのでDK WORKSでは全く使わないのです)
というか、その言葉を使うこと自体が、その人の抽象度を下げてしまうのです。
親を恨むなどというような低次元のレベルではなく、「母性剥奪」というのは、本来は人類レベルで向き合わなければならない課題なのです。
我々が、率先して立ち上がらなければならない課題なのです。
一人一人が、自らの心に手を当て、身体を意識に上げ、向き合わなければならない問題なのです。
そうすることによって、人生は善いものに変わって行くのです。
母性剥奪は母性剥奪から生まれており、親もまた、その凄まじいアルゴリズムに苦しんでいるからです。
なので、どこを恨んでも仕方がないのです。(最後は生命の起源を辿ってアメーバを恨まなければならなくなります笑)
ここまで理解が進んで、我々が気づくことは・・・
むしろ、人類をリードしてきた先達たちはこの、人間の「苦の元凶」に対して、ある技術を使って、積極的にアプローチしてきたのです。
それが、瞑想です。
先達たちは瞑想を使って、自らの心身と向き合い、自らのアルゴリズムと向き合い、自らを書き換え、自らを鍛え上げてきたのです。
より良い人生を送るために。
より良い人類にするために。
自分だけでなく、他者もまた、より善い人生を送ってもらうために・・・
この世界をよくするには、外側に語りかけることではなく、まずは自分自身の内側に潜む、ありとあらゆる葛藤と、一つずつ決着をつけて行くことなのです。
その苦しみを一つ上の抽象度から、書き換えて行くことの決定版みたいなものが、瞑想なのです。
本来瞑想は、「マインドフルネスで生産性向上!」なんていう次元の低いものではないのです。
人類そのもののレベルを上げる可能性のある癒しの技であり、強烈な内部表現書き換え法であり、自らの中に潜む、言語化できないようなありとあらゆる「苦」を克服する方法なのです。(その結果として生産性が向上するのは当たり前です)
DK WORKS自体も、やっとここまできて「瞑想」ということを取り上げることができるまでになりました。
元々は、15歳くらいからずっとこの瞑想には慣れ親しんできましたが…(そして、この偉大な力の恩恵に預かってきましたが)
この度、満を辞して初めて「瞑想」を、DK WORKSで本格的に取り入れていきます。
その名も「セルフエスティーム瞑想」
我々の心身の根幹を癒し、書き換え、Goalを達成できる心身にして行く「セルフエスティーム瞑想」
瞑想初心者でも、入りやすく、わかりやすくデザインされたワークを、今回は特別にレクチャーしていきます。
まずはこれを、1日5分から、初めてもらいたいと思います。(間違っても、1時間などやらないように!)
そこから、心身の使い方が、明らかに変わり始めます。
我々の内側でのたうち回っていたありとあらゆるアルゴリズムが”観える”ようになってくるのです。
当然ながら、第4弾でレクチャーした「縁起的体感」に関しても、より高いレベルで、その体感を感じることができるようになるでしょう。(Rich脳も同様です。いかに自分がPoor脳だったか…が、これまでとはまるで違うレベルで見えてくるのです)
情報空間というものの臨場感が上がり、いやむしろ、そこの影響が、ものすごく物理空間に影響を及ぼしているんだ…という情報空間の凄まじさを身体で理解できるようになります。
ありとあらゆる方向に、この瞑想法は効果を表すことでしょう。
ビジネスはもちろん、恋人、夫婦、家族関係、子供との関係、選手、部下、教え子、クライアントとの関係・・・
結果として、当然ながら、生産性など当たり前のように、飛躍的にアップするのです。
そんなことは当たり前で、むしろ、無意識レベルで諦めていたありとあらゆることが、次々と達成されて行くようなイメージ。
内部表現の根幹から、全てがひっくり返るようなイメージ。
そんなふうに捉えてもらえたらと思います。
今回の第5弾もまた、是非、お楽しみに!
楽しみながら、最強の癒しの技、書き換えの技を、人生に取り入れましょう!
【マインド・ボディ・コーディネーションシリーズ第5弾】内部表現を根幹から書き換えるセルフエスティーム瞑想の導入~母性剥奪が生み出す悪夢と希望~
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