●真に孤独な者のみが、真の意味で連帯できる。
チームワークや、他者との関係性について、経営者の方や教員の方、スポーツ指導者たちから様々なアドバイスを求められます。
もちろん、チームワークが良いというのは非常に素晴らしいことだとは思うのですが、逆説的に、そもそも本当の意味でのチームというのが、今この世の中にどれだけ存在してるの?とも思います。
馴れ合いが良いこととされるのが「チームワーク」なのであれば、本当にそんなことしたいの?と思いますし、烏合の衆の中で生きていきたいのであれば、なんとなく楽しくやっとけばいいじゃんと静かに思います。
それはそれで良いところもありますし、それはそれで楽しいものですし、そのようなコミュニティなりの幸せのかたちも存在します。
ただ、僕自身はそのような組織なりチームなりというのは非常に苦手です。(趣味なんかは別として)
ですから、その辺りはきっちり使い分けた方が、実際の被害としては最小化できます。逆にそこに理論的な整合性が見えないのであれば、気づけばドロ沼に足を突っ込んでいたりすることがあります。
組織というのはそもそもゴールの共有が必要でしょうし、そのゴールのないチームを僕自身はチームとは認識していません。
スポーツであれば勝利でしょうし、企業であれば利益を上げることであったり、社会に対してより大きな機能を果たすことでしょう。
そこには統治と市場のそもそもの原理が存在します。(市場であるべきものが統治であったり、統治であるべきものが市場であったりするからこそ、ぐちゃぐちゃになり崩壊するのです)
そのような理論や概念も無しにして、チームを率いると、手痛いしっぺ返しを食らいます。中には人生そのものも壊れてしまう方は普通にいらっしゃいますし、二度とコミュニティに戻れなくなる方も多くいらっしゃいます。(30代、40代、50代に「隠れコミュ障」は明らかに存在します)
では、チームとは何か?真の連帯とは何か?仲間とは何か?と考える時、どのような視点が重要でしょう?
シンプルに言えば、「誰の力も借りることなどできないのだ」ということを心と身体性を持って理解している人間同士しか、真に連帯することなど不可能ということかと思います。それは絶望という形であったりするでしょうし、自分の才能と能力の限界を身に沁みて感じたことがあるといった形だったりするかもしれません。
過保護による弊害と全く同じです。親からの過剰な介入によって子供が成長しないのと全く変わりません。
誰の力も借りることができないのだという立場に立った時、人は始めて成長するのではないかと思います。
誰も助けてくれず、勝負どころでは自分自身すら全く当てにならないという恐怖を知って初めて、我々は少しだけ使える者になれるのではないかと思います。
そういう意味で言えば、「真に孤独な者のみが連帯す」という高橋和巳先生のお言葉が、綺麗に見えてきます。
自立した個人同士がある設定されたゴールの下に集まり、連帯することで、初めてチームとして機能します。
そこには、仲の良さと言ったボンヤリとしたものも必要なければ、統治の論理もほぼ必要ないのです。(細かく言えば、誰かによって統治されるのではなく、ゴールによって統治され、リーダーもそう言った意味では、一つの機能として存在するだけです)
孤独に道を追求してきた者同士が、共有されるゴールによって一つの共同体となることがチームであり、チームすらも「ゴールありき」という事です。
ですから、優秀なチームというのは個性派だらけなのです。そして、謎めいた友情ごっこはなく、馴れ合いもないのです。ゴールが達成されれば(あるいは終了すれば)解散となり、一切の干渉がなく、自分の能力や才能を追求することのみに真に集中できるのです。
孤独の中で強烈なゴールを持ち、考え、試行錯誤を繰り返し、他者を圧倒するなんらかの技術なり知識を有した者が始めて、連帯できるのです。
そこに機能を提供できるか否かが重要であり、機能が不足していれば、そのコミュニティへの参加は許されないのです。
チームと言えば僕自身が思い出すのは、オーシャンズシリーズです!
この映画には様々な名言がありますが、ルーベンのこの一言が、オーシャンズシリーズを物語っているのではないかと思います。
「お前らはイカれてる。他にもお前らみたいに、イカれた仲間が必要だ」
そういえば最近オーシャンズ8が公開しているそうですね!ダニエル・オーシャンがいないオーシャンズ?なのでしょうか?と思ったら、あのダニエル・オーシャンの妹なのですね!!(納得w)
彼らの誰1人として欠けることがあれば、「大金を頂く」というゴール達成は不可でしょう。
彼らそれぞれの「手仕事」そのものが互いに化学反応を起こすことで、一見無理難題に思える関門を鮮やかに突破していきます。その様は痛快ですし、見事で、それぞれが美しい仕事です。
そういう意味で言えば、ゴールもなく、知性も知識もやる気も能力もない人間が集まっても、何も達し得ないことは明白です。
そのような理論や概念を基に考えれば、自分がどのようなチームを率いており(あるいは属しており)、また、どのような場所に立っているのかが見えます。(見えれば介入が可能です)
理論があれば、観測が可能なのです。
理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。
(アインシュタイン)
そういった意味で言えば、DK WORKSという一つのコミュニティは、かなり孤独な者たちの集まりと言えます。
クライアントさんたちは皆、それぞれに強烈ななにかを持っており、前向きであり、学ぶことに真摯であり、非常に謙虚であり、そして日々孤独の中で自らのゴールを見出し、それらを達成している人たちです。
あなたも孤独だとしても、むしろそれでいいのです。そうやって、自分自身のゴールに対して愚直に進んでいれば、そのうち必要とされるようになります。そして、優秀で美しい仕事をする仲間に出会えます。
彼らと共に仕事を遂行することそのものが喜びとなり、もはや報酬は副産物でしかないことに気がつくでしょう。
ですから、孤独に勝手に、一人で独走すればいいのです。現状のコンフォートゾーンの人々に、理解される必要など、どこにもないのです。あなたに、ゴールがあるのなら。


