【Brain Development第5弾】なぜあなたのエフィカシーは上がらないのか?〜不安と恐怖を捏造する幼年脳を解体し、日本人的エフィカシーを獲得する〜
Brain Developmentシリーズは、当初の想定を遥かに上回るような速度でパワーアップしながら、いよいよ第5弾に突入していきます。
第1弾では「現実化逆算ハッキング思考法」という、認知科学を自分の人生に導入していくための鍛錬を。
第2弾からは「幼年脳」という自分自身の内側に(無意識に)潜んでいる著しく抽象度の低い、人生を邪魔するマインドの癖をいかに書き換えていくかの基礎を固めました。
第3弾では、幼年脳に対する介入の基礎をもとに、一気に攻略していくための強烈な書き換え術を公開し、第4弾ではさらにレベルアップし、幼年脳を徹底攻略するための奥義として、新たなワークである「Reading瞑想」を、ついに解禁しました。
強烈な書き換えが、ここ数ヶ月で進んでいるクライアントさんは、多くいらっしゃいます。
多くのクライアントさんが、第1弾からこの「書き換えの最前線」であるところのBrain Developmentにご参加くださっています。
それぞれみなさんの書き換えの進捗具合はかなり凄まじいものがあります。
着実に人生そのものが、根底から書き換わっていかれているクライアントさんが多くいらっしゃいます。
自分がいかに幼稚か…
これを受け入れることは、容易なことではありません。
一方で、それを認めない限り、もうこの現実から、我々は一歩たりとも進めないのです。
DK WORKSで心身の書き換えを学ぶクライアントの皆さんは、自分の幼年脳と徹底的に向き合い、書き換えを徹底して真剣に行っていくことで、明らかに抽象度が上がり始めていらっしゃいます。
抽象度が上がるとはまさに、自分自身がどこまでも幼年脳であるということに絶望するということでもあります。
その、どうしようもない自分を感じることでもあるのです。
しかし、それを真摯に受け止め、受け入れ、その幼稚さを止めるということを強く書き込んでいけば、徐々に人生が変わり始めます。
すでに日常そのものが、変容を始めている方も少なくありません。
幼年脳の書き換えが進んでいけばいくほどに、無意識レベルのGoalが更新されていきます。
そうすると当然、他者との繋がり、いわゆる縁起そのものが、何かひとりでに、心地よいものになっていくことに気が付きます。
これまでうまく繋がれなかった人との繋がれなかった理由が明確にわかり、それは全て、自分の幼年脳によるところの仕業であることが掴めてきます。
あのイラつく人。
この腹立たしい人。
あの言うことを聞かない人。
このずるい人。
あの卑怯な人、怠慢な人、わがままで身勝手で傲慢な人…
自分の人生で出会う、そうした人々全てが実は、自分自身そのものであったということに気づき始めます。
まさに一人一宇宙であることを、肌身を持って感じられるようになってくるのです。
あの、自分が嫌ってた人その人がまさに、自分自身の内部表現をそっくりそのまま映し出す存在でしかなかったんだ…ということに気づき始める頃には、相当に人生が変わり始めるのです。
それを徹底的に認めていくことです。
認知科学的に言えば、これは紛れもない科学的事実です。
当然ながら、そうして幼年脳の書き換えによるところの感覚、感触が変わってくると、仕事やプライベートも、明らかな変化が出てきます。
例えば、仕事が明らかに変わります。
これまでと仕事の感覚も、会社に対する感覚も、上司や部下、同僚に対する感覚も、顧客やクライアントに対する感覚も、まるで変わってくるのです。
これまでいかに自分が甘えていたかが明確に観えるようになり、プロとして考え方全てが甘かったことに気付かされます。
そうしてさまざまなことを感じながら、仕事とは何か?という自分の中での定義が自然と変更、更新されてくるのです。
これまでは所詮仕事など「日銭を稼ぐためにやるもの」でしかありませんでした。
全て、自分のため。
あるいは、家族の生活のためにあるものであって、できればやりたくないもの。
その程度のものだったかもしれません。
しかし、幼年脳と徹底的に向き合い、真剣に書き換えを実践し、丁寧にフィードバックをとり、アドバイス通りにワークを進めていくと、やがて仕事に対する感覚、感触が、明らかに変わってくるのです。
たとえどんな仕事だとしても、自分の今していることに、誇りを持てるようになってくる。
そして、未来が見えるようになってくる。
その仕事を通じて出会う人々に、喜びや楽しさ、発見や安心を生み出すことが、自分の喜びにも、繋がるようになってくる。
ただの歯車でしかなかった自分の存在がやがて、有機的な、人間的な何かとして、立ち上がってくる。
するとそこに、ある種現代ではなかなか出会うことの稀な、独特の存在感、生命感が、宿り始めることになる。
そんな存在感に、周りの人々はだんだん、反応し始めるのです。
この人に頼みたい。
この人と繋がりたい。
この人にお願いしたい。
この人と仕事がしてみたい。
徐々に周りの人々との密な連携を取れるようになり、選ばれるようになり、互いが互いを信頼できるようになり、鮮やかで美しい連帯が生まれ始め、そこには「今ここで働くことの充実」が、生み出され始めるのです。
当然そのような充実というのは、目には見えない「氣」を纏うものです。
そうした氣に人々は惹きつけられ、売上は伸び、顧客は増え、仲間は増えていく。
社会は繁栄していくのです。
これまでただ、嫌な作業でしかなかった「仕事」が、始めて自分の中で、全く違った意味を持って立ち上がり始める。
家族関係もまた同様です。
パートナーとの関係性や子育てに関しても、幼年脳のままでは一向にうまくいきません。
幼年脳のままでは、自分の煩悩を撒き散らし、他人を利用し、支配しようとし、思い通りに行かなければ拗ねて、ハブて、態度に出し、不機嫌になり、権利ばかりを主張し、被害者ヅラをして、相手をコントロールしようとする。
要求するばかりで、決して何かを、与えようとはしない。
こうしたことでは、家族関係も地獄のようになってしまいます。
しかし、幼年脳の書き換えが進むことによって、明らかに関係性が書き換わっていくのです。
すでに多くのクライアントさんが、こうした、これまでどれだけ学んでも解決できなかったさまざまな問題が、まるで不思議なほど解決に向かわれたり、その糸口が掴めたりということが起こっています。
やがてGoalが見え始め、Goalに誘われ始め、人生が不思議と、変わっていく。
そんな体験をされる方が増えていくことでしょう。
Brain Developmentシリーズというのはそのような意味で言えば、DK WORKSの過去の講座の中でも、書き換えの精度、深度、鋭さ、それら全てが圧倒的に抜きん出ていると言えます。(もちろん、毎年更新されていきます)
幼年脳の書き換えなくして、Goal達成というのはあり得ないのです。
逆に言えば、今現在、Goalなどが見えなかったとしても、幼年脳が徐々に書き換わっていくことによって、明らかに自分のGoal、未来、ある種の天命、宿命、使命のようなものが浮き彫りになってきます。
そこには、独特の安心感があり、世界との連帯感があるものです。
それは抽象度が上がらなければアクセスできない世界です。
それは自然と、自分に与えられるような感覚です。
そしてまた、その道に付き従って、直向きに、懸命に自分自身を磨くのです。
Brain Developmentシリーズによって、徐々に徐々に多くのクライアントさんが、抽象度を上げてくれています。
自分の中に潜む幼年脳が、いかにして自分のGoal達成を阻み、自分の人生を破壊し、他者を傷つけてしまっているか?が、意識に上がり始めていらっしゃいます。
こうして徐々に抽象度が上がってくれば、徐々にこれまでわからなかった世界のことが、だんだんわかるようになります。
なぜ自分は、これだけ頑張ってもエフィカシーが上がらないのか?
いつまで経っても、Goalに対する臨場感が上がらないのか?
Goalはあると口では言いながら、いつまでも行動に移せないのか?
今までどれだけ学んでも、ありとあらゆる実践をしても結果が出せなかった理由が、明確にわかるようになるのです。
いよいよ、幼年脳を克服し、抽象度が上がってくることによって始めて、Goal達成のための「エフィカシー」という概念を情報空間から使役できるようになるのです。
それがBrain Developmentシリーズ第5弾。
題して
「なぜあなたのエフィカシーは上がらないのか?〜不安と恐怖を捏造する幼年脳を解体し、日本人的エフィカシーを獲得する〜」
です。
相当に相当に、面白い内容になっています。
2026年の現在では、多くの人々が「コーチング」というような言葉を受け入れ、学ぶ人も増えてきました。
それだけ、現代における日本人というのは、「心の拠り所」を失っている。
だからこそ、こうした理論やメソッドに、とにかく縋り付きます。
あるいは、占いやスピ系に、同じように縋り付く。
新しい自己啓発に手を出していく。
いかに生きるべきか?という拠り所を失ったまま、どこかに依存せざるを得ない…
現代の我々を覆い尽くしている空気感はそんな、精神的な支えを失ったまま、日々をどう生きたらいいかがわからないまま、生活に追われるという「精神の拠り所を失った人間」の大量生産…
それだけ、戦後を生きる我々日本人というのは「どう生きればよいのか?」というある種の伝統的な指針を失っているのです。
一人の人間として、拠って立つ思想、考え方、方針が、生き方、あり方が、まるでない。
目の前にあるのは資本主義という”システム”だけ。
収入や肩書きや学歴、社名やブランドといった「記号」によってしか、我々は他者を判断できなくなってしまっている。
その資本主義を、ある種狂信的に信仰する他、生き方がわからない。
金さえあれば、有名になれば、肩書きがあれば、全ては解決する。
「能力さえあれば、資格さえあれば、技術さえあれば」という極めて疑わしい資本主義信仰を盲目的に信じて生きる他、日本人が生きる指針が、見当たらない。
そこに、人間としての誇りも、気高さも、崇高さもない。
ただ、自分と自分の周りだけが得をすればいい。損しなければいい。
そういう世界。
だからこそ、これほどまでにコーチングは一定以上の人口に膾炙したのではないかとDK WORKSは推察します。
DK WORKSはすでに、コーチング的な、マインドの使い方的な指導を始めて、早いもので20年が経過しました。
もちろん、Goal設定に関しても、更新に関しても、そして当たり前のように、エフィカシーに関しても…
もはや、何人のクライアントに指導してきたことでしょう。(小学生からプロ野球選手、70代のクライアントまで、セッション数は1万セッションを超えたあたりから数えてませんw)
しかし、その中でやはり多いのが…
「エフィカシーが上がらない」という、どうしようもない現実です。
懸命に理論を学び、実践を学び、ワークをひたすらにやり込んでも、一向に「Goalに対する自己能力の自己評価」であるところのエフィカシーが、上がっていかない…
とにかく上げろと教えられるが、一向に上がっているようには感じられない。
そもそも、やったことのないことに対して「自分はできる」なんて到底思えない。
何かそれは、嘘をついているようで…
どこかそれは、ペテン師のような気がして…
猿真似のように、自信ありげな態度の人をエフィカシーの高い人だと思い込んで、必死でそれらを真似してみたのはいいものの、結局のところ、どこか空虚な、虚しい自分しか残らない。
欧米の人々のように、必死に身振り手振り、自信ありげな真似をしているその様子はまるで、必死に近代人になろうと奮闘する日本人のそれと被ってみえます。
古き良きものを嫌悪し、新たな、欧米的なものに次々と飛びついて、伝統や風土、風習を蔑んでいった過去…
その、日本的なものを無差別に捨て去ろうという精神は、令和になった現代もなお、ありとあらゆるところに息づいてしまっています。
もちろん、自分達にはない新たなものを取り入れようとする日本人のそのある種の寛容さというのは、目を見張るものがあります。
どんな文化でも、出来うる限り受け入れ、興味を持ち、理解しようと努め、自分達のものにしていくその素晴らしさを否定したい訳ではありません。
しかし、自分達にないものを受け入れるということは、自分達に合った形で、自分達の息遣い、呼吸感、間合い、身体性、精神性にフィットする形を、徹底的に吟味しなければならないのです。
ただ、外から入ってきたものを真似するだけでは、心身に取り入れることはできないのです。(いやもちろん、初めのうちは「真似」から入ることはとても大切です。しかしそこからの発展なくして、血肉化はないのです)
文化、宗教、伝統、そこに息づいている精神性…
我々は、我々の全く気付くことのない無意識レベルで、あらゆる先達たちが築き上げてきた伝統と風土、その精神に守られており、それによって育まれ、生かされてきたのです。
そこに、新たなものを取り込もうとするとき、それはどうフィットさせていくのか?どう取り入れていくのか?に対する深い吟味が必要だということ。
雑になってしまってはいけないのです。
高い身体性とI.Qを伴って、必死に情報空間を動き回り、欧米由来のコーチングにおけるところのエフィカシーを「日本人にとってのエフィカシーとは何か?」という形で、もちろん、理論とは矛盾のない形で、歪めたりせず、しかし、自分達はそれをどう取り入れるべきなのか?を、徹底的に考え抜かなければならないのです。
なぜなら、我々日本人の感覚的には「自分がやったこともできたこともないことをできると思う」というような文化、風土、精神性を、そもそも持ち合わせていないのです。
むしろ、そのような心持ちは「思い上がり」であり「傲慢」であるとさえ言われる…
その”大いなる勘違い”を日本人は「恥ずべき行為」とさえ判断するのではないでしょうか。
そんな精神的な感覚が、どこまでも深く心身に刻まれているとしたら…
当然、エフィカシーという概念に対する無意識レベルの拒否反応が出るのは当然です。
自分の力量を客観的に評価することができず、現実を見る力がなく、できもしないことをできると言って、嘘っぱちを並べ立てている…(いやもちろんこれはエフィカシーではないのですが笑)
そのような感覚を、日本人の多くが持っているのではないでしょうか。
それよりは、謙虚であり、控えめであり、静かであり、和を重んじることを是とするのが、我々日本人であり、そこに突然、驕り高ぶった「自分にはできる!」という新たな思想は、到底うまく取り込むことができない…
持っている気質と、理論が、乖離してしまっているのだろうとDK WORKSでは考えます。
エフィカシーという概念がどれだけ有益で、優れているとしても(実際に優れていますが)それを懸命に自分に取り込もうとする行為はだんだん無理をきたし始める…
この自分の気質と理論の乖離から生み出されるのは、結局のところ自分ではない何者かになろうとする虚しさ、ここではないどこかに行きたいという寂しさしか残さない…
20年、常に試行錯誤を繰り返しながら指導してきた現場感覚として、そんな身体感覚、肌感覚を持っていらっしゃる方が非常に多い印象を持ちます。
なので、無意識レベルではどこかでエフィカシーを毛嫌いし、受け入れ難い概念として拒否しまうのです。
小林秀雄氏も、全く同じようなことを語っています。
彼がみたのは、必死に近代化しようとする日本のその「さもしい」姿でした。
近代人たれという要請を、文壇人は、学者のやうに、新知識の到来と気楽に受け取れなかったし、又、政治家のやうに、これを行動にかまけることも出来なかつた。言つてみれば、近代的自我とは、何かといふ問いを、剥き出しの感受性で迎へざるを得なかった。(小林秀雄「正宗白鳥の作について」より引用)
小林秀雄をはじめとした天才的な少数の文壇人は気づいていたのです。
その情報空間に、これまでの伝統と風土、精神性、培ってきた歴史から完全に逸脱した形で、まるで暴力の如く入り込んでくる「近代」という情報。
その情報と、日本人の持つ精神性、身体性は、果たしてフィットしていくのか?という疑問。あるいは、どのように取り入れれば、うまく融合していくのか?という視点。
学者や政治家たちのように、いかに効率よくそれを取り入れるか?ではなく、日本人がどのように近代を受け入れていけばいいのか?というある種の「塩梅」はどこにあるのか?
自分達の気質を完全に無視した形で無差別に取り入れていけば、やがてその「近代化」が、日本人の精神性そのものを内側から破壊してしまうだろうということに、彼は1946年の段階で気づいていたということです。
そのまま傍若無人に近代化を進めていけばその先、日本人はおそらく、自分自身を喪失し、精神を喪失してしまうだろうと。
既に気づいていたのです。
これを天才と言わずしてなんと言えばいいでしょうw
もちろん、近代化の全てを否定している訳ではありません。
むしろ日本という国が生き残るために、近代化は必要不可欠なものでした。
しかし、その、日本人が生まれ持った気質、精神性を完全に無視した形で、近代化を進めてしまっていいのか?何か大切なものが、破壊されてしまうのではないか?
だからこそ、小林秀雄は「近代的自我とは、何かといふ問いを、剥き出しの感受性で迎へざるを得なかった」のです。
京都大学大学院特定准教授でいらっしゃる浜崎先生のまた、同じようにおっしゃいます。
たとえば、江戸の儒学や武士道的な価値観を担っている言葉で、レンガ造りの銀座の街や人を描写したらどうでしょうか。あるいは、落語に出てくる熊さん八つぁんの言葉(町人言葉)で、銀座のカフェで男女がおしゃべりする様子を描写したらどうでしょうか。「似つかわしくない」というより以上に「不自然」な感覚が大きくなってしまわないでしょうか。しかしだからこそ、近代化した社会を適切に描く言葉を作り出さなければならない、さもなければ私たちの社会を私たちが把握することはできない…そう考えて、彼ら文学者は、自分達の社会と人間とを描く言葉を作り出そうと努力したのでした。(浜崎洋介「小林秀雄、吉本隆明、福田恆存ー日本人の「断絶」を乗り越える」より引用)
我々が「エフィカシー」という一つの概念を自分の血肉にするため、身につけていくためには、極めて慎重で、緻密で、それでいて大胆でもある、ある種の日本人的なエフィカシーに対する洞察を矛盾のない形で展開し、取り入れていかないことには、実現できないだとうとDK WORKSでは考えます。
むしろ、雑に学び、雑に取り入れ、雑に猿真似をして仕舞えばそれは、まるで自己免疫疾患のように、自分が新たに取り入れた思想によって、自分を痛めつける結果になってしまいます。
「自分はできる!と思えない自分は、ダメなんだ」というように。
そのような自己免疫疾患を起こしている方は、非常に多いように推察します。
我々は、我々自身の精神のあり方や文化、「我々とは何者か?」を忘れた形で、エフィカシーという概念を取り入れたところで、むしろそれは、自分の足を引っ張る情報でしか無くなってしまうということです。
もちろんこれは、エフィカシーという概念を否定している訳では毛頭ありません。
エフィカシーは、現代日本人に絶対に欠かせない重要な概念になってくることでしょう。
いやむしろ、エフィカシーという概念を真剣に考え抜くことで、我々は我々自身の「生きるという手応え」を、思い出せるのではないかとDK WORKSでは考えています。
我々が、我々の生き方に自信を持ち、確信を持って生きるとき、我々は我々の喪失した何かを、取り戻せるだろうと思うのです。
しかし問題は、この日本人的な精神のあり方に、矛盾のない形でどうフィットさせるか?
小林秀雄がいうところの
「日本人的エフィカシーとは、何かといふ問いを、剥き出しの感受性で迎へざるを得ない」
のが、現代、令和の、我々の課題ではないかと思うのです。
我々は新しいものが好きです。
便利なものは、有益なものは、取り入れてみたいものです。
それが自分の、他者の人生をよりよくしてくれるものなのであれば、積極的に取り入れたいものです。
それは決して悪いことではありません。
しかし、そこにはまさに「剥き出しの感受性」を伴って、その新たな概念を慎重に、丁寧に迎え入れない限り、その新たな技術や知識が、自分の中で駆動してくることはないのです。
失われた30年というのはまさに、そのような「精神」のあり方そのものが生み出した日本の自己喪失であると言えるでしょう。
ということで、今回はまさに「日本人にとってのエフィカシーとは何か?」が大きなテーマとなります。
前半では、ある意味で「欧米から輸入された概念」としてのエフィカシーを、我々のI.Qが足りなかったことによって、これまでどれだけ雑に扱い、理解が及ばなかったか?を徹底的に見直していきます。
この前半を学ぶだけで、いかに自分がエフィカシーという概念の表面を撫でただけに過ぎず、全く理解などに及んでおらず、幼年脳の仕業によって、概念を捻じ曲げ、都合よく解釈し、また、取り入れる上での丁寧さがどれほど不足しているか?
これが理解できるだけで、面白いことにエフィカシーは上がっていくのです。
エフィカシーとは、遥か遠くからやってきた一英単語ではなく、もっとずっと我々の身体に根差した、我々の心と身体と歴史に搭載された情報であることが、身体を伴って理解でき始めることでしょう。
遠くの世界の、全く新しい概念などではなく、実は我々日本人にも、このエフィカシーの感覚は存在していたということに、気が付くのです。
そして中盤では、エフィカシーをより深く理解するために、逆説的に「エフィカシーの低い状態とはどういう状態か?」を徹底的に考察します。
逆の状態を丁寧に洞察していくと、驚くほどエフィカシーとは何か?が掴めるようになるのです。
Goalに対する自己能力の自己評価が低い状態(エフィカシーが低い状態)とは例えば、Goalへの不安が心身の内側に蔓延っているような状態でしょう。
こんな未来を掴めると嬉しいけれど、到底できる気がしない。
できそうにないから、やる気が起こらない。
むしろ、やりたくない。
おそらく失敗するだろう。
簡単に結果を出すことはできないだろう。そんな挫折を味わうのは恐ろしい…
誰かに評価されるのが不安…
バカにされるのが不安…
そんな状態ではないでしょうか?
この「エフィカシーが低い状態」を丁寧に考察していくことによって、やがて我々は、「エフィカシーとは一体なんなのか?」ということに、たどり着くことができます。
我々日本人が、エフィカシーという新たな概念を、どのように我々の身体に、精神に、沿わせれば良いか、その呼吸感に、その肌に、合わせればいいか。
それが、わかるようになるのです。
そして、当然ながらまさに、エフィカシーというのは、幼年脳であるままでは到底達することのできない領域であることがわかります。
例えば、こんなご相談は多いです。
「Goalはあるけれど、不安な気持ちが拭いきれません。これはエフィカシーが低いということは理解していますが、どうやってこの不安を払拭し、同時にエフィカシーを上げればいいのか?」
というような内容です。
それに対して、例えば映画「ひゃくえむ」ではこんなふうに語られます。
結論から言うと不安は対処すべきではない。人生は常に失う可能性に満ちている。そこに命の醍醐味がある。恐怖は不快ではない。安全は愉快ではない。不安とは君自身が君を試す時の感情だ。栄光(もくてき)を前に対価を差し出さなきゃならない時、ちっぽけな細胞の寄せ集め1人。人生なんてくれてやれ。
(魚豊「しゃくえむ」より引用)
カッコ良過ぎますね。
まさに「武士道」的な、生きる上での美しさを感じざるを得ません。(かと言って現代人に武士道に返り咲けとは言いませんw)
そして、この言葉が日本人の心を打つということは…
ここに大きな大きなヒントが眠っているのです。
不安は対処すべきではないのです。
でも、不安をとにかく払拭したい。
とにかく不安を感じたくない。
不安から逃げたい。
不安を感じないようにするためなら、なんでもやる。
不安を取り除くことそのものが、Goalになっている…
でもそれは所詮、Fakeでしかない…
人生の終盤に入って、気づき始める。
自分は一体、なんのために生きてきたのか?と。
ルータイスみたいなこと言いますね〜。ここで使われる「逃げる」は、現実を「変える」という意味です。
不安を取り除くために、学歴に依存し、会社に依存し、肩書きに依存し、人生を浪費していく。
不安を取り除くためなら、誰かを蹴落とす。
誰かを騙す。
誰かから平気で奪う。
でも、奪っている感覚すらない。
それは当然の権利だと嘯く。
誰かが劣っていれば、心のどこかで安心する。
その不安を受け入れる度量、身体性、精神性がないばかりに、生き方を持たぬばかりに我々は「人生の本質」を致命的に失うのです。
我々現代人は確実に、ある重要な”精神的な何か”を見失っているのです。
それをエフィカシーという概念を活用することによって、我々は我々自身の中に、大切なものを取り戻したいのです。
それを取り戻さない限り、我々に未来もGoal達成もないのです。(残るのは恐怖と不安と打算と自分さえ良ければいいという狭い人生です)
ただ、のっぺりとした”どうしようもない現状”だけが、だらだらとゆっくりと衰退しながら続くのみなのです。
緩やかに、静かに後退し、減退していくだけです。
じゃあ、どうすべきか?
だんだん後半に近づくにつれ、エフィカシーというものの我々日本人的なあり方が、観えてくるはずです。
そしていよいよ後半は、Goalへの不安と同じく「Goalへ向けた恐怖とは何か?」についても、深く考え抜くことで、我々が本質的に何を恐れ、何から逃れたいと切望しているのか?が観えてきます。
その恐怖から逃れることだけが、人生において最も重要なことになってしまい、人生に生きる意味を失ってしまう。
そして逆に言えば、逃げても逃げても、つきまとってくる…
その影に恐怖しながら生きなければならない。
どう生きればいいのか、わからなくなってしまう。
そうした「生き方の喪失」こそがまさに現代に生きる我々が、陥っている「病」だと言えるでしょう。
ルータイスの言うところの「精神性のGoal」とはそういう意味でしょう。
ルータイスはバランスホイールの中でも、最もこの精神性のGoalを重視しました。
むしろこのGoalが、他の全てのホイールに属するGoalに影響を及ぼすのです。
なぜなら、他のGoalに比べて一段上の抽象度に位置するのがこの、精神性のGoalだからです。
しかし、実際にはこの精神性のGoalということについて、真剣に取り組む人は稀です。
このGoalについて悩む人も、考え抜こうとする人もほとんどいないでしょう。(逆にDK WORKSのクライアントさんたちは、この精神性のGoalがいかに重要かに気づき始めています。非常に良い兆候です)
Goalへ向けた恐怖…
それはつまるところ、なんなのか?
何が我々をそこまで、恐怖させているのか?
それが観えたとき明確に、エフィカシーの上げ方、育み方が観えてくるのです。
エフィカシーを上げるとはまさに、ツマミを捻って数値を上げるなどというやり方ではなく、その瞬間瞬間の気分の話でもなく、真っ直ぐに”生き方”そのものであることが理解できることでしょう。
そうした、我々の精神に根差した形でのエフィカシーというものを真摯に考え抜いて初めて、自分の脳と心、身体の内側でエフィカシーという生き方が駆動してくるのです。
それは静かな、でも、確かな手応えです。
そこには焦りもない。不安もない。恐怖もない。いや、ゼロではないにせよ、そうしたネガティブ・セルフトークに惑わされない自分という、確信を感じるようになるのです。
もちろんそのあり方、生き方が完成することはないでしょう。
一生涯をかけて、我々が磨き続けていくべきものであると言えるでしょう。
そうして自分自身の磨き方を学び、明確に実践し、自らの人生の全てを使って、エフィカシーを刻一刻と築き上げていくという行為そのものが、エフィカシーの高い人だというということ。
そして、その鍛錬の中にこそ、実は「幸せ」があり、「喜び」があり「成長」がある。
生きる喜びが隠されているということも、同時に理解できるようになるのではないかと思います。
本質的には、エフィカシーの高い人というのは、エフィカシーを上げるために何かをする訳ではないということが、わかってくるのです。
それは、自分の生き方そのものに謙虚に、懸命に付き従って生きるという行為の中に、喜びと楽しさがあることを知っているのです。
ここまでのレクチャーで、相当にエフィカシーが身体に入ってくるはずです。
違和感なく、自分がどう生きれば、人生が善いものになっていくのか?
それはエフィカシーという概念と矛盾せず、傲慢に陥ることなく、でも現状の外側にGoalを設定する。
人生を開いていくための力を引き出すことができるようになります。
そこまでレクチャーを受けつつ、身体に取り込みつつ、今回の瞑想ワークもまた、極めて強烈です。
今回のテーマは・・・
1つ目が
「エフィカシーを上げてGoalとの縁起を繋いでいくために幼年脳を駆逐する」瞑想
そして2つ目が
「Goalはあるけれど、行動できない自分を変える」瞑想
の2つ。
これは、第4弾から導入し始めた「Reading瞑想」という技術を使って、より心身の深くにアクセスしていき、書き換えます。
このワークは第4弾からスタートしていますが…
非常に強烈に、心身を書き換えてくれます。
楽しみにしておいてください。(そして、徹底的に取り組んでみてください)
無意識レベルを納得させること。
無意識レベルの了解を得ること。
無意識レベルを徹底的に厳しく指導、鍛錬すること。
その意識が重要です。
ということで、第5弾も、盛りだくさんの凄まじくおもしろい内容になっています。
【Brain Development第5弾】なぜあなたのエフィカシーは上がらないのか?〜不安と恐怖を捏造する幼年脳を解体し、日本人的エフィカシーを獲得する〜
お楽しみに!
【Brain Development第5弾】なぜあなたのエフィカシーは上がらないのか?〜不安と恐怖を捏造する幼年脳を解体し、日本人的エフィカシーを獲得する〜
■日 時
2026年5月27日(水)19:00~21:00(21:30まで質疑応答が可能です)
■場 所
Zoomによるセミナー(リアルタイム受講or録画受講)
■受講料金
36000円(開催日以降は165000円で販売)
■支払方法
銀行振込 or paypal
■募集資格
ブログ読者、メルマガ登録者













