映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」
この作品の中でも描かれているように
問題は決して吃音自体にあるのではなく
周りの人の理解不足がそもそもの問題です
果ては障がいを持つ人に対しても同じこと
今はまだ「サポート」という表現だけど
それは人間ならすべての人に当てはまること
誰でも人間には得手不得手があるものです
出来ないことは出来る人に助けてもらい
また自分も誰かの出来ないを助けていく
純粋に「困った時はお互いさま」の精神
ここに障がい者や健常者という枠はない
つまり
すべての人間に言えること
ラジオでもそういうことをお話して
吃音症の人を取り巻く我々の社会を介し
改めて「普通って何だろ?」を考えました
同志社大学SDA室
『同志社大学スチューデント
ダイバーシティ・アクセシビリティ支援』
略して「SDA室」と表記します
ラジオでは【SPLASH TOPIX KYOTO】
コーナー名こそ言いませんでしたが
時間的にはその位置づけでお話しました
昨日僕がお邪魔した『映画のつどい』
見えない人や聞こえない人も参加出来る
見えない人には「音声ガイド」があって
聞こえない人には「パソコン要約筆記」がある
パソコン要約筆記は講演の時でしたが
映画の時は「字幕」がちゃんと出ていた
音声ガイドはいわゆる「実況中継」です
映画の映像がどんな内容かが言語化される
そのパソコン要約筆記や音声ガイド
ボランティア組織の『京都リップル』
そして
『同志社大学スチューデント
ダイバーシティ・アクセシビリティ支援室』
こちらの方々が尽力してくれました
まずは本当にありがとうございます
中でも『同志社大学SDA室』のメンバー
第一部では講演でのパソコン要約筆記
第二部においては講演での手話通訳
在学中の学生の皆さんが担当してくれた
でもこれはこういう時だけではなく
普段の「学生生活」でも行っている
学生の皆さんが同じ学生に協力する
全学的協力体制を推し進めているのです
詳しい目的や活動内容は▶️▶️▶️
こういうことを「普通に」
それこそ「当然のこと」として行う
しかも学生同志による「互助の精神」
これがベースだと知り感銘を受けた
弱者に対して「してあげる」ではなく
「困ったときはお互いさま」の気持ち
極めて前向きで温かい「おせっかい」
これが「映画のつどい」のテーマです
先程も言いましたが「してあげる」でなく
誰にも得手不得手があり出来ないことがある
我々はそれを「補い合って」生きています
それはキャンパスライフでも全く同じこと
なので「同志社大学SDA室」の取り組み
最前列で学生の皆さんがパソコン要約筆記
客席からは背中しか見えませんでしたが
その背中が本当に頼もしく見えましたから
「障がい者サポート」という言葉や表現
以前から何となく違和感を抱いていました
もちろんサポートをする行為にではなく
助け合いは人として当然のことだからです
その思想こそが「普通」になって欲しいし
「当たり前」と思う社会になって欲しいです
何か特別なことではなく「当たり前の風土」
そうならないものかとずっと思っていました
そんな時に「同志社大学SDA室」の取り組み
今後我々が見据えていかねばならない未来
その未来を若者たちに見せてもらった気がした
それが本当に嬉しい気持ちでいっぱいになった
コロナ禍でマスクを着けるのが当たり前
我々はそれを『ニューノーマル』と言った
でもコロナのような一時的なものではなく
未来永劫続く『スタンダード』であって欲しい
「SDA室」の若者たちが社会を担う20年後
それが世の中の「スタンダード」になり
誰もが特別なこととは思っていない社会
そんな社会を本当に実現したいと思った
だからこそ
この取り組みは広げていくに値するし
社会に浸透させなければいけないこと
僕が出来ることはまずラジオでお話する
同志社大学の取り組みをお伝えしました
『映画のつどい』自体もかなり有意義でした
でも僕にとっては「SDA支援室」を知った事
その取り組みをされる学生さんに会った事
これらが本当に素晴らしい時間にしてくれた
なので改めてお礼をお伝えしたい
この機会を作ってくださった以下団体
誰もが「普通に」授業を受けるために
誰もが「普通に」学生生活を送るために
これからもこのスタンダードを考えたい
そして考えたことを行動に移したいですね
こんなことを番組で深く語っています
生放送を聴き逃した方は再放送をぜひ
5月12日(日)18:00-18:54