【正義と勇気】昨夜のアドリブトーク研究会では「正義」と「勇気」の定義を対話しながら深掘り | 【出口貴章(ターキー)のブログ】喋りで大切にしてほしいいくつかのこと

【出口貴章(ターキー)のブログ】喋りで大切にしてほしいいくつかのこと

CHANGE TALK,CHANGE LIFE
「話し方を変えたければ生き方を変えろ」
一般社団法人日本フリートーク協会代表理事
現役ラジオDJ
もっと自由に、もっと自分らしく、もっと自信を持って
小手先の技術(やり方)ではなくあり方にこだわって欲しい

正義と勇気


Change Talk, 

Change Listen and Life.

"話し方を変えたければ

 聴き方と生き方を変えろ"


「話がちゃんと”伝わる人”と

   話をちゃんと”聴ける人”を増やす」


「22世紀に人見知りを社会からなくす」


トークスキルだけにフォーカスした

自己満足的な解決法に疑問を投げかける

そもそも話し方に悩む人の大半は

“聴き手に原因がある”ことがほとんどです


約3000人の悩みに寄り添い気付いたこと


「話し方」だけを改善しても意味が無い

本当に改めるべきは「聴き方」と「生き方」


「聴き方」と「生き方」を変えれば

「話し方」は自ずと変わっていくもの


27年間現場で培った“DJ的逆張り思考”により

話し方、聴き方、生き方をフルイノベーション

一般社団法人日本フリートーク協会代表理事

Lifeskill Talk College 学長の出口貴章です


こんにちは!

今日は僕のブログに来ていただき

本当にありがとうございます!



あなたにとって正義とは?


正解はありません

人それぞれの思いや解釈

人の数だけ答えがあります


昨夜行ったLifeskill Talk College

アドリブトークを鍛錬する同好会

『夜のアドリブトーク研究会』で

お題のひとつとして投げかけた問い


『正義とは?』


というのも
昨日は台南市におけるある記念日


《正義と勇気の記念日》だと偶然知って
日本の坂井徳章さんに由来することもあり
今一度この「正義」というものについて
深掘りしながら対話を進めていきました

なんとなくボヤッとは理解しているものの
「なんだろう?」と改めて問われれると
それこそ「なんだろう?」となってしまう
そんな言葉が「正義」と「勇気」でしょう

記念日の由縁や詳しくはコチラ▶️▶️▶️ 


当然出て来た言葉のひとつがこれ
「正義の味方」という「ヒーロー」
こういうイメージは誰しも持つでしょう
僕でも戦隊ものは好きですから持ちます

ここで有名な例題をひとつ出しました


「五人の死より、一人の犠牲?」

制動不能となったトロッコ
そこにあなたが乗っている
辛うじて左右の操舵は可能
猛スピードでレールの上を走る

そこに間もなく分岐路が見えた
双方の先に作業員が作業をしている
右へのルートには五人の作業員
左へのルートにはひとりの作業員

それぞれの作業員は気付いていない
でもこのまま猛スピードで突っ込むと
どちらかの作業員は確実に死亡する
あなたはどちらにハンドルを切るか?

ここまでの究極の選択はないとしても
日々我々は大なり小なりの選択をする
時にはどちらかを選ぶことによって
どちらかを「犠牲」にすることもある

我々はその選択の「基準」として
どういうことを大切にしているのか
その道徳観や倫理観を深く対話しました

この映画も題材にしました


『THE ROCK(ザ・ロック)』

はじめてみた時は出演者のカッコよさ
そんなところに震えていたのは多いです
ところが歳を経て様々な経験を重ねると
このドラマのテーマこそ「正義」である

人それぞれの「正義(正しさ)」みたいな
それこそ「正義感」でなく「正義観」という
「正しさの尺度」は違って当然なんですよね
また同じくそれを投げかけている映画がこれ


『路上のソリスト』

個人的にロバート・ダウニー・Jr出演作
「最高の作品」だと思っている映画です
もちろん単なる「憧れ」などという
表面的な感情は一切入れずに評価してです

この映画も「正義とは?」を深く考える
同時に今自分が「良かれ」と思ってする行動
これが本当に「正義」を果たしているのか
「自己満足」になっていないかを問う内容

そこで昨日の夜アドで出た話題で
自分が「正義」だと思っての行い
時にそれが人の役に立たないことも
つまり「迷惑」となる可能性もある

それがこれ


度々問題となる被災地への救援物資
全国から集中的に届く数多く救援物資
中には送り主の「要らなくなったもの」
そんな中身もあったりするそうなのです

つまり…

「気持ちはありがたいんだけど…」

そういう行いです

正義の味方であるウルトラマンも
怪獣を地上でやっつけるために
街のビルなどを壊してしまいます
また倒した怪獣を放置して帰ります

僕は子どもながらにその光景を見て
「確かに悪を退治しているけれど
   本当に人のためになっているのか」
そんなことをうっすらと感じていました

仮に本来の「正義の味方」であるならば
壊れたビルを「修復」するなどの責任も取り
倒したデカイ怪獣を持ち帰り「処分」する
ここまで考えて当然ではないでしょうか
(いわゆる正義の味方の割に詰めが甘い)

目の前の問題を小手先だけ解決すること
それが本当に「正義」といえるのだろうか
そんな問いを僕から投げかけていきつつ
改めて自分の中にある「正義観」を考えた

なので昨日我々が考えていたことは…


『正義の味方』ではなく『正義の観方』

こういうことになります

そして続いて投げかけた問いは…


『勇気とは?』

これもまた普段定義を曖昧にしていること
改めてこうして問われると「なんだろ?」
その答えに困ってしまう問いのひとつです
実際「明確にこれ」と答えは出てきません

アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で
「勇気」を定義していたことが腑に落ちた 
アリストテレスは「勇気」をこう伝えている


これをアリストテレスは「中庸」と言う
決して「中途半端」ということではなく
「バランスのとれた程よいところ」
そんな意味合いがピッタリではないだろうか

「無鉄砲と臆病の中間」

実は「ニコマコス倫理学」を読んでいて
思いついたシチュエーションがこれです
つまりは僕が考えている「勇気」がこれ


「交差点の右折」

車の運転で大きな交差点の右折待ち
無鉄砲だと対向車と衝突する可能性
臆病だと後続の車に苛立ちを与える
そんな中でアクセルを踏むことが勇気
僕はアリストテレスの「中庸」をそう捉えた

先日のブログでもお伝えしましたが
チャップリンの映画『ライムライト』 
作品のなかでチャップリンはこう語る


だからこそ

今年度専門学校の最後の授業で
「自信がない」そう呟いたある学生
そこで僕はこう伝えたのでした


昨日の夜のアドリブトーク研究会
そこでもそんな話しを少し交えて
日頃我々が使っている言葉「勇気」
これを改めて考えなおしていきました

と同時に

無鉄砲と臆病の中間にある「勇気」
果たして日常生活でどんな場面か
ともすれば気付かない「勇気」もある
大きなものや小さなものに至るまで

つまりこういう「勇気」というものは
選ばれし者が持てるマインドではなく
日常我々も気付かずに「発揮」している
そんな勇気も実はあるのではないか?

昨夜はそんなことを深く深く掘り下げ
色んな体験を語り合いながら対話した

「正義」や「勇気」なんていえば
よく口にはするかもしれないけれど
改めてこうして意味や解釈を考えると
いかに日頃ボヤっとしたままかが分かる

朝のアドリブトーク研究会は瞬発力
夜のアドリブトーク研究会は思考力
同じようなことをしているようですが
「目的」と「ゴール」は全く違います

特にこれはメンバーによっても変わる
メンバーが変わると解釈も新しくなる
すると従来の自分の固定観念が覆る
つまり新しい自分をも発見出来るのです

あなたにとって
「正義」とは?
「勇気」とは?
答えはありません
でもちょっと考えてみてください

今日も読んでくれてありがとう
ほいじゃまた明日!