呼ばれてる?
何回聞くねん!(笑)
Change Talk,Change Life.
"話し方を変えたければ生き方を変えろ"
22世紀に「広辞苑」から"人見知り"を無くす
技術を追求しない喋りの講座「語り塾」塾長
フリートークアドバイザーのターキーです
昨日の続きです
昨日のブログはコチラ➡️◆◆◆
今日は明智光秀探訪乙訓編の《後編》です
ここは真言宗恵解山勝龍寺
細川藤孝と細川忠興の居城勝龍寺城
そこから南へ歩いて5分ほどのところ
住宅地の中にひっそりと佇んでいます
明智光秀とは直接関係はありません
ここに古くから伝わる鐘楼があります
様々な合戦に翻弄され続けた梵鐘
今鐘楼にあるのは三代目だとか
初代の梵鐘は大阪府能勢町真如寺にある
勝龍寺のために鋳造された梵鐘
それがなんと大阪府に現存している
なおかつ大阪府の重要文化財になってる
そんな数奇な運命に翻弄された梵鐘です
現在鐘楼にある三代目の梵鐘
初代の鐘が鋳造された日付を見て驚愕
元應元年(1319)5月10日
そしてボクが訪れた昨日は...
令和元年(2019)5月10日
なんと偶然昨日がジャスト700年!
これを読んだ瞬間鳥肌が立った
完全に昨日この場所に呼ばれた
そう思わざるを得ないでしょ?
そうなると...
大阪府能勢町にある初代の梵鐘
真如寺まで会いにいくしかないよね
これでほったらかしはあり得ないよね
勝龍寺の敷地内に春日神社もありました
奈良の春日神社と同じ祭神のようです
由緒書によると2度拝殿が焼失している
そのうちのひとつが山崎の合戦のようです
山崎の合戦によって拝殿が焼失した...
山崎の合戦の激戦地は小泉川沿い
最初は明智光秀軍が優勢だったようです
やがて秀吉軍に押されて軍を退くことに
光秀は最終的に勝龍寺城まで下がりました
その途中にこの春日神社があるのです
合戦により拝殿が焼失したということ
つまりそれは火を放たれたということ
勿論火を放ったのは秀吉軍のほうです
ということは春日神社が激戦地になった
つまり光秀軍は春日神社でも粘っていた
本陣ではないにしてもここに陣を敷いた
そういう可能性が高いと思われるのです
今後光秀ブームがさらに高まるでしょう
様々な古文書や史料も発見されるでしょう
なので山崎の合戦に関する光秀の動向
これからも新説が浮上してきそうです
なので意外にもこの春日神社
最終陣地となる勝龍寺城の直前の地
光秀の家臣たちの様々なエピソード
そして光秀の葛藤もあるに違いないです
そういう意味でこの春日神社は注目です
ここが最終陣地となった勝龍寺城跡
明智光秀の三女玉(のちのガラシャ)
城主の細川忠興へ輿入れをした城です
光秀は娘婿の城を最後の砦としたのです
勝龍寺城の西隣にある沼田丸
ここからも天王山がよく見えます
この景色を光秀も見ていたのです
山崎の合戦では何を思っていたのか?
この写真は勝龍寺城の北門跡
ここから光秀は敗走したと伝わる
秀吉の包囲網を破り東へ向かいます
小栗栖の竹藪で落武者狩りに遭った
光秀の最期はこう伝えられています
恐らくこれは秀吉の作り話だと考えます
信長を討った以上武勇伝にはならない
逆に敵である謀叛人に仕立てあげている
後世の人に光秀がいかに悪者だったか
それを語り継がなければならない
だから江戸時代の歌舞伎などの演目
光秀を三日天下と軽視する内容なんです
だからこその勝龍寺城からの行方
明智光秀はどこに向かおうとしたのか?
目的地はどこだったのでしょうか?
「居城である大津の坂本城に向かった」
現代に伝わるのはこういう説ですね
息子である秀満が坂本城にいましたから
合流すれば軍を立て直すことも可能です
ただですね...
小栗栖には織田信長勢力の一派
飯田氏という地元豪族がいました
信長の警護役とも言われた豪族です
飯田氏を光秀が知らないわけがない
だからこそ小栗栖を通ったという説
まして農民の落武者狩りに遭ったとか
ボクには作り話としか思えないのです
そのときの時刻は深夜で真っ暗闇です
農民が光秀の顔を判別出来たのか?
そもそも農民は光秀の顔を知っていたのか?
現実的にかつ冷静に考えるとおかしな話
ここであくまでボクの大胆仮説です
伊賀に向かおうとした?
理由はふたつ
天正伊賀の乱があった反信長勢力の地
伊賀には光秀の強力な味方が大勢います
ここの反信長勢力と合流しようとした
そういう選択肢も考えられませんか?
あとは...
距離的に少し遠くはなりますが
この時岡崎にいた武将と合流したかった?
ムフフ...
この時岡崎にいた武将とは?
本能寺の変があった直後
堺から伊賀を越えた人がいますよね?
あくまでひとつの可能性です(笑)
勝龍寺城跡北側の神足(こうたり)神社
陸上やサッカー選手からの信仰が厚い
「神足」が「足の神様」と捉えられてる
なので選手たちの絵馬がたくさんあります
ここにも勝龍寺城の遺構があります
土塁と空堀の跡が残っているのです
でも雑草がボーボーで全然分からない
光秀のブームが高まっているのですから
しっかり手入れしときましょうよ!!
長岡京市の光秀に纏わる場所
捻挫した足首のリハビリも兼ねて
ゆっくりと散策をしていました
次は天王山から見下ろしましょうかね
今日も読んでいただき
本当にありがとうございます
明智光秀の生まれかわりターキーでした
また明日ね








