小倉百人一首 | 東京湾岸の外猫さんと寄り添って

東京湾岸の外猫さんと寄り添って

あの大震災・原発事故以来、命の存在に敏感になって

そんな私のそばに、健気に生きている外猫さんがいました。

猫さんたちの幸せは、私たちの幸せにつながります。

猫さんたちに優しい社会は、人にも優しい社会。

日々の外猫さんたちとのふれあいを綴ります。

日付は変わりましたが、火曜日の5月27日は、小倉百人一首の日だと朝のラジオで言ってました。

藤原定家が親友の求めに応じて、天智天皇から順徳天皇までの時代の和歌百首を撰んで書写して嵯峨の小倉山荘の障子に貼ったことを、定家の明月記に記された1235年の5月27日を記念して、この日が定められたとか。




家を出てから二週間を過ぎた家猫ナンチュー君を思う自分の心を詠むに似た、シンパシーのにじむような歌があるかなと思いながら出社して

帰りに、いつものように公園の猫さんたちに給仕して、ふたりが食べている間に、白チビ姫のお墓のお掃除をしました。

植えたカサブランカは、まだスクスク伸びて、花は咲きません、家の庭の紫陽花さんの方が早いかもしれません。



お掃除を終えて、ふたりの元に帰ると




食事を終えてくつろいでいます。今は、家猫として迎えられないので、せめてもの憩いのひとときをどうぞm(_ _)m

その後、激安の無乳糖ミルク19円を大人買いして帰宅、試合途中のサッカーと甲子園の藤波投手のラジオを同時に観戦しながら、爆睡して

携帯の着信音で眠りから目覚めて、電話に出たら、昨年退社した元職場女子からの近況報告

彼女の話は1時間以上に及ぶので、思い出したかのように、電話対応しながら、ナンチューなき我が身重ねる歌を撰んでいた未熟者ですf^_^;

有明の つれなく見えし 別れより
暁ばかり 憂きものはなし (壬生忠岑)


嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る (藤原道綱母)


ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる (藤原実定)


思ひわび さても命は あるものを
憂きにたへぬは 涙なりけり (道因法師)


嘆けとて 月やは物を 思はする
かこち顔なる わが涙かな (西行法師)


わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわく間もなし (二条院讃岐)


来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ (藤原定家)





どこででもいい、どの空の下でもいいから
無事にいてほしいと祈る未熟者

職場女子の会話は、いつものように日付を越えたのでした。

f^_^;