人生初のワンマンライブへ向けた「思いの丈」


〜長文失礼〜


これはあくまでも「僕、個人の考え方」なんだけど、バンドのボーカリストというものはただ歌が上手に歌えりゃいいというものではなく。


歌唱はもちろん、MC、パフォーマンス、そして時には生き様などすべての面で人を楽しませないと、ダメだと僕は昔から思ってて。


ボーカリストがMCをしないバンドも中にはいるけど、僕にとっての身近なロールモデルはレコード会社時代の担当アーティストだったオーケンと、プロレス仲間の水戸くんでした。


彼らのように、人を惹きつけるMCが出来るようにならないと、気軽にバンドのボーカルにはなるべきではない。そう思ってた。


だから42才の時、NUM42を結成して20年ぶりにバンド活動を再開した時も、自分はあくまでもベーシストとして、ボーカルはIN-HIのシモジくんに頼んでやってもらいました。


そして、シモジくんが都合によりバンド活動を続けられなくなった時に初めて、僕は僕なりの方法でやってみようかなと思い、自らをボーカリストにコンバート。


その後「NUM42」から「NUMBER.42」に3文字追加(笑)して改名。それまでのカバー専門バンドから今度はオリジナル曲をやるようになって。


ただ、当時の僕には何故か日本語歌詞がどうにも照れ臭くて、NUMBER.42の1stアルバムは全曲「なんちゃって英語歌詞」だったんだけど、2ndアルバムで臨時加入したボーカリスト・宮原えーちゃんのために楽曲提供の感覚で書いてるうちに、メキメキと(笑)日本語で歌詞が書けるようになって、3rdアルバムではまた再び自分がボーカルに戻って…


つまりあの日、シモジくんがボーカルを快く引き受けてくれたからこそ、僕は42才でバンド活動を再開できて、「シモジくん脱退」がボーカリストへの道を切り開いてくれて、更にえーちゃん臨時加入のおかげで日本語歌詞を書けるようになったという、今にして思うと本当にラッキーに転がり続けたこの展開。


そしてそれから時は経ち…


「相棒」ゴーツくんとの出会いは大きかった。本当にいいタイミングで彼は僕のボーカルをとにかく褒めてくれた。


ナミジンの声って周波数的に何かあるし、なにより僕はナミジンの歌を、これからもずっと聴きたいと言ってくれた。


ちなみにそれまで、自分のボーカルをバンドメンバーに褒められた経験が一度もなかったもので、そらあもう素直に嬉しかったし、根拠のない自信(笑)もつくというもの。


僕は迷わずベースはゴーツくんに任せて、人生最後の活動をボーカリスト一本でやって行こうと決めました。


そんな僕の音楽活動の集大成が暴動天国。

今までの「すべての出来事」に感謝しつつ

一生青春、そして、前進あるのみ。


さて!

人生初のワンマンライブまであと6日!


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