度を越した「悪い冗談」だと思いたいニュースを、インターネットで読んでしまいました。

65年前の今日、広島に原子爆弾を投下したアメリカの爆撃機「エノラ・ゲイ」の元機長の息子が、オバマ政権が広島の平和記念式典にアメリカの大使を派遣したことに不満を述べたそうです。「日本に対する無言の謝罪と受け取られかねない」と。また驚くべきことに「原爆投下により戦争終結が早まり、多数の命が救われた。我々は正しいことをしたのだ」との父の生前の主張を改めて述べたそうです。

「自由の国」では、いまだにこんな狂った洗脳がまかり通っているんですな。

狂ってますな。

でも、いろいろ考えているうちに、こんな狂った奴の主張なんてどうでもよくなってきました。

一発の銃弾でも人は人を殺せる。

一本のナイフでも人は人を殺せる。

そういった意味では、一本のナイフも、一発の銃弾も、一発の原子爆弾も「殺戮兵器」という次元においては皆同じなのかもしれない。

だけど、そこには大きな違いがあると僕は思う。

地球の支配者気取りの人間同士が勝手に殺し合うだけなら、まだいいのかもしれない。

でも、一発の爆弾、一発の大量破壊兵器というものは、その場にあるすべてを奪います。

そこにあるすべての自然。

そこで生きるすべての命。

すべての夢。

すべての笑顔。

我々人類の歴史は「やっちゃいけないこと」の積み重ねな気がする。

僕たちは、一体いつまでこの地球で生かせてもらえるんだろうか。

手遅れかもしれない。

いや、まだ間に合うかもしれない。

古代インダス文明の遺跡からは、一切の武器らしきものが見つからず、

見つかったのは食器とか、子供の遊び道具ばかりだったそうです。

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すべての人の心に花を。

こんな日だからこそ。