小説は現実より奇なり | 佐原敏剛文学塾

佐原敏剛文学塾

日本文学、海外文学を多角的に分析、批評する。名作といえど問題点は容赦なく批判する。

 今日はスマホの機種変のデータ移行をして貰う為にドコモショップまで予約をした上で行ってきた。約二時間かかってデータの殆どは移せたが、アマゾンやフェイスブックその他移せなかったアプリもある。今日は風呂と洗濯の日なのだがどうにも億劫で動く気になれず、一時過ぎになってコーラを買ってきて飲みながらブログを更新している。明日は施設へ行く日なのだがこの調子だとまず、行けない。

 こんな極端な夜更かしは酒を飲んだ日以外にやらないのだが、どうにもやりきれない。風呂に入るのは後にしてカップ麺でも買ってきて食べようかと思う。今日はエイプリルフールだ。小説家なのだし、嘘の一つでも書ければいいのだが真面目過ぎて書けない。今、ブログを書く気になったのはほんの気晴らしに書きたくなったからで、それ以上の理由はない。

 一日二十四時間をどう使うか。生活保護で暮らす者たちにとってこれだけは自由である。金はないが時間はある。ただしその時間は矢のように飛んでいく。従って夜更かしするしかなくなる。正直な所瞼が少し重くなっていてこのまま風呂には入らずに寝てしまおうかとも思う。こうして書いていると中学高校時代、試験勉強で深夜まで勉強していたことを思い出す。あの頃は本当によく頑張っていた。

 ただ、私は他の人間とは違うという気がしていた。即ち作家向きの性格であると。現実に対してより空想の世界に生き甲斐を感じていた。風変わりな事が好きだった。風変わりといえば私は高校時代に三島由紀夫の『青の時代』に関心を持ち、最初の方だけ読んだが難しくて投げ出してしまった。今なら読めるに違いない。『青の時代』は普通の作家が書くものと違いどこか変わっていた。その三島由紀夫の作品を最近連続して四冊読んだ。

 『美徳のよろめき』『宴のあと』『愛の渇き』『音楽』の四作で四年ほど前か『沈める滝』も読んだ。短篇集の『岬にての物語』は途中で挫折し、放り出してどこかへ紛失してしまいなかなか出てこない。上に挙げた作品の中では『宴のあと』が一番健全で面白かった。三島作品の登場人物たちは変わり者が多い。そこが面白いと高校時代の私は思った。

 『仮面の告白』『金閣寺』『永すぎた春』はもうかなり昔に読んだ。『金閣寺』が断然面白かった。短篇集『真夏の死』も同人会の読書会で取り上げられ、表題作のみ読んだ。しかしエンターテインメントに比較するとどれもがやや退屈である。その代わり読後感は充実している。二時になった。そろそろ書くのは止めよう。この後カップ麺を食べるか風呂に入るかはまだ分からない。気長にやろう。