官僚とNHK | 佐原敏剛文学塾

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日本文学、海外文学を多角的に分析、批評する。名作といえど問題点は容赦なく批判する。

 テレビという麻薬が日本ほど見事に利用されているところは他にない。また、その中毒症状がこれほど蔓延しているところも他にない。レストラン、各種の店、観光バスの中、タクシーの中にまでテレビが備えつけられている。テレビ番組の相対的な質の高さを誇れる国は、あったとしても、きわめて少ない。だが、テレビが全世界的に文化を砂漠化しているとしても、その悲惨さの程度はかなりの差がある。皮肉なことに、NHKが、官僚ともっとも直接的につながる局でありながら、リポーターが社会的な問題について掛け値なしの疑問を投げかける、まじめな番組を放映することがある。それ以外は、NHK定食番組にみられるように疑似学術的で無害の、論争を注意深く避けた番組をはじめとし、風刺漫画に近い日本人好みの社会風俗を描くホームドラマがあり、そして頭が全く空っぽのショー番組までどの局にも揃っている。
 クイズ番組や素人のど自慢は外国のもの真似番組であるが、日本ではこの種の番組は愚神礼賛の域に達している。人気”スター”は大量生産され、その”キャリア”はめったに二年以上もたない。彼らは、単に有名であるがゆえに有名だという欧米諸国の芸能人現象の拙劣な戯画といえる。
 このような現象を国際的に評価する一般的な基準はない。しかし、欧米諸国のたいていのテレビ番組が平均精神年齢11.2歳の視聴者に合わせているとすれば、日本のテレビ番組は平均精神年齢8.9歳に合わせている。



 以上は『日本権力構造の謎』上巻、第6章 従順な中産階級 サラリーマン文化の演出者 影のメディア・ボス 363ページから364ページ目からの引用である。1989年、今から26年前に出版されている。私が23歳の時であり、当時、日本はバブル景気のただ中にいた。影のメディア・ボスとは電通のことだ。戦後日本は一から十まで幻影を追い続け、その幻影の中で空洞化形骸化への道を突き進み、最早先には何もないところまで来てしまった。海外の識者から見てここまで明らかなことが何故日本人には自覚されないのか。国際化の波に乗ることが現代日本人にはいまだに出来ていない。戦後日本を否定せよ。全ては幻影にすぎない。