敵 | 佐原敏剛文学塾

佐原敏剛文学塾

日本文学、海外文学を多角的に分析、批評する。名作といえど問題点は容赦なく批判する。

敵とは何か。戦う相手は究極のところは自分自身である。世界戦争が起きた前世紀に於いては格好の標的が存在し、人類はそれに向かって撃ち続けなければならなかった。嘗てない男性的な時代だった。非情という言葉が時代のキーワードの一つになった。局地戦が戦争の舞台となった現代に於いて、少なくとも日本ではそうした敵、即ち逆説的に生命の昇華を可能にするものが存在しない。ハードボイルドの新人が出てこなくなったのにはそうした背景がある。しかし、神風特攻隊は最後に自分自身をその敵に選んだのではなかったか。その精神がある限りは書けるのだ。私は戦争を賛美しているのではない。あくまで現実の人間存在を追求していく場合、避けて通ることが出来ないのが敵の存在であると言いたいだけだ。従って現代の戦いは孤独でなければならない。馴れ合いの中では生きる証は得ることが出来ない。仮想敵は女だ。女とじゃれあっていたら文学は書けない。最近の若手はその根性がないのだ。撃ち抜く事が不可能な動く標的を撃ち落とせ。生きる為に戦い、戦う為に生きる。目的を掲げ、それに向かって全力を傾ける。人間はそれを手にするまでは諦めないのだ。