劇の追求が突き当たる壁 | 佐原敏剛文学塾

佐原敏剛文学塾

日本文学、海外文学を多角的に分析、批評する。名作といえど問題点は容赦なく批判する。

小説を書くということは自らの精神世界を観念の劇の中に展開してみせる行為である。劇の内部で書き手の精神は錬磨され、イメージは飛翔する。物語を紡ぎ出すにつれ作者は夢幻の境地に紛れ込み、自由自在に活動する。創作のモチベーションとは日常生活の中で普段使わないイメージを喚起し、それを追求し、整然とした布置結構により別次元の世界を構築しようとする欲求である。この行為が日常化すると書き手はスランプに陥ることが必ずあるのである。必ずしも若さを失ったからという理由だけでスランプにはならない。非日常が日常になってしまうと作家は追い詰められてしまうのではないだろうか。三島由紀夫が自決した時がそうだったのではあるまいか。太宰治の入水も同様ではなかったか。現に四十歳を過ぎてからも書き続けている作家がいる以上、それは余りの仕事にかける情熱が必然的に起こした悲劇ではなかったろうか。そう考えてみると芸術は恐ろしい。旺盛な好奇心が仇となって作家は気も狂わんばかりの孤独地獄に堕ちる。筆を一時期折ってしまう作家は少なくない。かの江戸川乱歩がそうであった。あの猟奇趣味を極限まで極めれば無理もないであろう。