「ロッキーの法則」というものがある。
映画の出来の良し悪しは別として、ロッキーシリーズの最初に観た作品が、その人にとって「一番燃える一本」であるという法則だ。
まあ、かつて若い頃、映画研究会の仲間と話した時のヨタ話ではあるのだが、その時も年齢が近いこともありほとんどが1か2ではあったのだが、2つ下の後輩で3を最初に観た奴はやはり3が燃えるということで法則化したのだった。しかし、その後社会人になってこの話題を出した時に4を最初に観た奴はやはり4が燃えるということで、法則の正しさを実感、そして先日仕事で一緒になった若いカメラマンが「自分は5が最初で一番燃えるんです・・・」と申し訳なさそうに言ったことでこの法則の正しさを確信したのだった(笑)。
これもその法則通りになるのは確実な1本だ。
クリード チャンプを継ぐ男 (2015) CREED
監督・原案・脚本:ライアン・クーグラー 製作:ロバート・チャートフ、アーウィン・ウィンクラー、チャールズ・ウィンクラー、ウィリアム・チャートフ、デヴィッド・ウィンクラー、ケヴィン・キング=テンプルトン、シルヴェスター・スタローン 製作総指揮:ニコラス・スターン 脚本:アーロン・コヴィントン 撮影:マリス・アルベルチ 編集:マイケル・P・ショーヴァー、クローディア・カステロ 音楽:ルートヴィッヒ・ヨーランソン 音楽監修:ゲイブ・ヒルファー
出演:シルヴェスター・スタローン、マイケル・B・ジョーダン、テッサ・トンプソン、フィリシア・ラシャド、アンソニー・ベリュー、グレアム・マクタヴィッシュ
中学生の俺が胸を熱くした「ロッキー」。あれから40年。昨年ようやく観た「ロッキー・ザ・ファイナル」で納得のラストを味あわせてもらっただけに、スピンオフの話を最初に聞いた時は「おいおいおい」だったけど(笑)、郡山では上映が無く福島まで1時間かけて行った甲斐があった、聞こえてきた評判通り素晴らしい一本だった。
アポロの息子、アドニスの自分探しの物語であると同時に、周りの人が皆いなくなった孤独なロッキーが生きがいを見つけるストーリー。
ロッキーもかなり不器用だか、アドニスもまた同じ。
かつてのロッキーが最後までリングに立つことで、ただのチンピラじゃない自分を証明したかったように、自分の存在が「アポロの過ち」ではないことを示したかったアドニス。
「アポロ・クリード」というもう一人の伝説の男を間にしながら、かつて伝説だった男と、伝説の陰にもがく青年。この不器用な男2人の通い合う「想い」が愛しかった。
ミッキーにやらされた鶏を捕まえるトレーニング。
片腕だけのプッシュアップ。(俺も昔まねしてやったなあ・・・)
灰色のフード付トレーナーでの街中でのランニング。ついてくるガキたち。
一瞬だけ写るロッキーの家の水槽の亀。
「母」の想いがこもった星条旗のデザインのトランクス。
「ファイナル」で出てきたエイドリアンの墓。その隣の新たな墓・・・
そこここでほのかに聴こえる「ロッキー」の劇伴のメロディが切なく、
そして、ここで来たか!というあの音楽の高揚感!
様々なシーンにかつてのシリーズへのオマージュを捧げながら、「アドニス・ジョンソン」が「アドニス・クリード」として生きていく決意を丁寧に描く演出は凄く好感が持てた。
監督のライアン・クーグラーが持ち込んだ企画であり、ストーリーとのこと。
これはまるで1作目のスタローン自身のようではないか。(あ、また金儲けのためにスピンオフなんか企画しやがってと一瞬でも思ったことは素直に謝ります(笑))
シリーズに寄りかかることなくそれでいて溢れる愛情と敬意を示す真面目な演出と、主役のアドニスを演じるマイケル・B・ジョーダンの澄んだ目と佇まいが、また相性が良くて本当に気持ちよく物語に浸れる1本だった。
生真面目だけではなく、初のプロ試合の2ラウンド長回しなどビックリだったし、クライマックスのチャンプ戦でのテンポのいい編集、最後にあのフィラデルフィア美術館の階段を持ってくる「わかってる」感は、ちょいと緩んだ涙腺と共に脱帽ものだったな。
あのままの不器用さでアドニスをサポートするロッキーの姿がかつてのミッキーの姿とも重なり、重大な病を知っても「願いはまた妻と会うことだ」と言う「老い」直面しているロッキーの40年を、ついつい自分にも重ねてしまって、号泣こそしないもののグっとくる場面の多かったこと!
「スターウォーズ/フォースの覚醒」もそうだったけど「あの頃」夢中になった映画、その登場人物の「その後」の姿にはついつい涙腺緩んでしまうなあ。
フォントが同じか調べてないけど、かつての1作目同様のシンプルな原題も嬉しい一本。このままシリーズにしても文句言いません(笑)
ロッキーを知っている人には尚更。知らない方にもオススメの「グッときて燃える」1本。
自分も以前のようにもう少し体鍛えます!(笑)