というわけで、土曜は早起き、両親に見送られて、娘の引っ越し手伝いに東京へ。
小さな頃からいつも車での移動だったから、思えば初めて家族4人で新幹線に乗っての移動なのだ。
しかしちょうど春休みでもあり、在来線から静岡乗換え、新横浜までも立ったまま(苦笑)。
その後の横浜線で町田、町田から小田急線で成城学園前までずーっと立ちずくめだったけど
個人的には約20年ぶりの横浜線と、当時勤めていた町田が懐かしくてちょっと感慨深かった。
上の娘はまだ小さかったけど、かみさんとよく歩いたこの街。
特に町田駅前の変貌には知ってはいたけどびっくりだった。
小田急の高架線化も15年ぶりくらい。
あんなに利用していたのに、離れれば離れるものだなあ・・・と。
そして30年前には自分が住んでいた狛江市。その隣、成城学園前にこうして縁が出来るとは。
現在から上の娘が生まれた20年前、そしてさらに学生時代と
下の娘が住むことになる成城学園前まで、新宿方面に向かうごとに時計が巻き戻っていく。
自分が学生だったのあの頃から30年。今、自分の娘がここに暮らすというのも
本当に不思議な気分だった。
午前中には不動産屋で鍵を預かり、いざアパートに。
築年数は古いが、リフォームしたばかりのアパートはとても快適そう。
家賃はあのクラスなら格安とはいえ、1DKだから俺のこの部屋よりよほど好い間取りだ。
広い台所が羨ましいったらありゃしない(笑)
午後には引っ越し荷物が届くというので、それまでにかみさんと買い出しに。
成城学園前とほぼ同距離に隣の祖師谷大蔵が。そちらへ歩いて行ってみる。
学生の頃はここで飲んで小田急線の線路の上を狛江まで歩いて帰ったものだった(笑)
「ウルトラマン商店街」と名打った祖師谷の商店街は人も多く活気づいていた。
この街に娘が暮らすのだなあ、とまた感慨深くなる。
自分が引っ越した時のようなたくさんの日用品を持ってアパートに戻るも
引っ越し荷物も電化製品も全然届かない。
ただ、松本や福島、千葉ナンバーなどの車が止まっては家族で荷物を降ろしていて
ああ、あそこの家族も娘さんを独り暮らしさせるのだなあと共感もって
ガランとした部屋から見下ろして時間をつぶしていた。
日が傾く頃、ようやく荷物が届く。
上の娘と俺は組み立て係(笑)。ベッドやらラックやら台所用のテーブルやら
ドライバー片手にえっさえっさと組み立てて配置する。
そのうちにテレビやPCの配線やガスの業者、夜になってようやく冷蔵庫やら洗濯機の
大物家電が到着して、ようやく運び込みが終了(笑)
まだまだ片付けは残っていたが何とか配置を済ませたので
昼間目星をつけていた商店街の洋食屋で夕食を済ませ
交替で風呂を済ませて俺と上の娘は床で、かみさんと下の娘はベッドで
眠りに着いたのでありました・・・
いびきが煩かったらしく何度もつつかれ、非難を浴びながら(笑)今日も早起き。
片付けとゴミ処分をしながら足りないものを買い出し。
特に衣装ケースが足りなかったらしく、かみさんと二人で
すっかり桜が開花した仙川沿いを歩いて20分のホームセンターに。
車で来た方がこれは楽だったと思いながらもえっちらおっちら
衣裳ケースやごみ箱を持って運びこみ、
天気が心配なので、一息つく間もなく今度は皆で食料品も買い出しに。
独り暮らしの先輩の俺としては、あれもこれもとつい言ってしまうが
かみさんが苦笑しながら、本人に任せなさいよとたしなめる(笑)。
上の娘は人の多さに「私は住めないなあ」などと言いながらも
しゃきしゃき、てきぱきと片付けをリードする。
主役の下の娘は疲れもある顔は見せてはいたが
不安や寂しそうな顔は全くなく、新生活の期待感でキラキラしてやがる(笑)。
そして夕方、下の娘に見送られて駅へ。
上の娘とかみさんはまた町田~新横浜に向かうべく下りのホームに。
俺は新宿~東京へで昇りのホームに。
改札口で3方向に。
下の娘の煌めく新生活の門出は、我が家の3重生活の始まり。
どんな具合になっていくのかわからないけど
俺の学生生活がそうだったように、何もかも初めてづくしの生活、
新しい出会いを重ねて、一歩踏み出す勇気と、流されずに踏みとどまる意地を持って
何より一人の生活をエンジョイしてもらいたいものだと思う。
郡山に戻った俺に、娘から感謝のメッセージが。
おいおい、いつの間にか大人になりやがって、泣かせるようなこと書くなよ(笑)。
大丈夫、思いっきり楽しい4年間にしておくれ。
ちなみに、自宅に着いたかみさん&上の娘も、俺も、そして下の娘も
今日はレトルトカレーで夕食を済ませたってのも爆笑だった(笑)。
また4人が集まるのはGWか夏休みか。
でも、改めて家族の絆の強さを感じることができた2日間だった。
門出に、乾杯。2日間我慢した酒をグビグビと飲む親父なのである(笑)