今日想うこと | B級パラダイス

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健康優良不良中年が、映画、音楽、読書他好きなことを気まぐれに狭く深くいい加減に語り倒すブログであります。

久々の2連休。昨日は下の娘の携帯購入に。今日はこれまた久々の散髪と本当にゆっくり休めた。

そして今日、3月11日。あれから1年。

昨年は金曜日だった。ちょうど社内にいて客先に出る準備をしていたあの時間。
地震に敏感な静岡でもかつて体験したことの無い不気味な長い長い揺れに
社内にいた皆が「こいつはいつもと違う、変だ」と顔を見合わせ
この後ドカンと東海地震がついに来るかと思わず外に出て
立体駐車場や向かいのマンションがギシギシと軋む音を聴いていたのだった。

その後TVやネットの情報で東北に大地震があったことを知るが
外出しながら聞いたラジオではまだ被害の状況はピンときていなかった。
先から帰ると社員がテレビの前に集まっていた。
映し出されていたあの津波の映像。「あぁ・・・」という言葉しか出ない想像を絶する光景。

東北の知人はあまりいなかったが、東京の友人などをはじめ
電話で、メールで、遠く離れた知人の安否を問う。
このブログやゲームGAOSで知り合った顔も本名も知らない「仲間」の無事を祈る。

たくさんの方が亡くなり、街が無くなった現実。
そして追い打ちをかけた人災とも言える原発事故。

混乱と悲しみの中、それでも現状の収拾と復興に立ち向かう
人々の強さと暖かさに胸を打たれることも多かったが
図らずも露呈した「政治」の無能さや、これまでこの国が築いてきた「システム」の
歪みや硬直さ加減に辟易したものだ。

加えて義援金泥棒や風評による買い占め、福島からの避難者への謂れのない差別に憤りも覚え
何が「絆」だよと怒りも感じたこともまた多かった。

あの日を境に「日本が変わった」と思う人、多いんじゃないかな。
色んな事が、この国のシステムにも、そして一人一人にも突きつけられた気がする。

少なくとも静岡の人間は、東海地震という「絶対来る災害」の覚悟が強まったのは確かだ。
何としても生き延びてやろうと思っているが
地震そのものは天災なのだから仕方ないのだが
起きなくてもよかった原発事故やその後の対応など「人災」でくたばりたくは無いぞと思う。
それだけは勘弁してほしいものだと強く思うのだ。

家族といる時間の尊さをありがたさを改めて噛みしめた一年でもあった。
普通に生活していても子どもたちとずっと一緒にいる時間なんて
ほんのわずかなものなのだと自覚したのもこの一年だった。

まだ行方不明のままの方も含め、肉親を失うという喪失感は自分には実感できないが
思うだけで胸が詰まってくるのも確かだ。
無事だった方の生活も震災だけじゃなく人災で苦しんでいる方がまだまだ沢山いる事実。
こうしたことが他人事じゃなく、自分たちのすぐ隣にあることを
子どもたちと確かめながら過ごした一日。
これからもしっかり向き合っていかなければならないと改めて思ったのだった。