ある日どこかで Somewher in time(1980年)
監督 : ヤノット・シュワルツ 原作・脚本 : リチャード・マシスン 製作 : スティーヴン・サイモン、レイ・スターク 撮影 : イシドア・マンコフスキー 編集 : ジェフ・ガーソン 音楽 : ジョン・バリー
出演 : クリストファー・リーヴ、ジェーン・シーモア、クリストファー・プラマー、テレサ・ライト 、スーザン・フレンチ、ビル・アーウィン、ゲオルク・ヴォスコヴェク、ジョン・アルビン
タイムトラベル+恋愛=切ないという方程式が俺の中で確立したのは、この「ある日どこかで」と原田知世バージョンの「時をかける少女」に依るところが大きいのだ。
原田知世の素晴らしさについては今更語る必要もないのだが、まあ、知世ちゃん版「時かけ」はSFであると同時に大林宣彦の手によるどこか懐かしい青春モノでもあり、その前の「転校生」やその後の「さびしんぼう」と比べても映画そのものとしては弱点だらけながら、
AKB48が研修生まで含めて束になってかかっても今だって絶対敵わないであろう、あの時代、あの一瞬の原田知世の神懸かり的な「魅力」だけで燦然と輝き、映画としてではなく「彼女の記録」として充分に成立しちゃっている稀有な映画なのだが
この「ある日どこかで」は主演の二人の上品さと、ストーリーの切なさでもって
いつまでも古びない素晴らしい「物語」の映画だと断言できるのだ。
原田知世の素晴らしさについては今更語る必要もないのだが、まあ、知世ちゃん版「時かけ」はSFであると同時に大林宣彦の手によるどこか懐かしい青春モノでもあり、その前の「転校生」やその後の「さびしんぼう」と比べても映画そのものとしては弱点だらけながら、
AKB48が研修生まで含めて束になってかかっても今だって絶対敵わないであろう、あの時代、あの一瞬の原田知世の神懸かり的な「魅力」だけで燦然と輝き、映画としてではなく「彼女の記録」として充分に成立しちゃっている稀有な映画なのだが
この「ある日どこかで」は主演の二人の上品さと、ストーリーの切なさでもって
いつまでも古びない素晴らしい「物語」の映画だと断言できるのだ。
当時在籍していた会社で、ロックや映画などの話をよくしていた先輩デザイナーのSさん(男性)に、もう切なくて堪らん素晴らしい映画だから騙されたと思って観てくれと勧めたら、「ジャンゴ の勧めるのは変なの多いからなあ」とか言っていたのに観てくれて、恥ずかしそうに「泣けた」と言ってくれたのも懐かしい想い出だ。
今出てるDVDのジャケットもSFの片鱗も見えない古典的なラブストーリー仕様だが、俺が結婚した時にそのSさんがお祝いでプレゼントしてくれたビデオも同じくSFとは思えない、上品な香りが漂ってきそうな、このパッケージだった。
今出てるDVDのジャケットもSFの片鱗も見えない古典的なラブストーリー仕様だが、俺が結婚した時にそのSさんがお祝いでプレゼントしてくれたビデオも同じくSFとは思えない、上品な香りが漂ってきそうな、このパッケージだった。
素晴らしいプレゼントだった。フォーマットがDVDに新しくなっても、あれは家宝だ。
この映画が好きな人は俺にとって信頼できる人だ。
Sさんにプレゼントされたんだよと、そのビデオを一緒に観て、グズグス泣いていた若き日の俺のかみさんもしかりだ(笑)。
見ての通り当時「スーパーマン」としてしか認識されていなかったクリストファー・リーヴが主演。
だが、実直さがそのままにじみ出る彼のベストアクトじゃなかったろうか。
「007 死ぬのは奴らだ」のボンド・ガールで他には「シンドバッド虎の目大冒険」とかに出てたことしか思い出せないジェーン・シーモアがヒロイン。
正直パッとした女優じゃないのに、この作品では輝くばかりに美しかった。
加えて監督はスピルバーグの「ジョーズ」の続編「ジョーズ2」とか「スーパーマン」のスピンオフ「スーパーガール」と、果ては知性のあるでっかい発火ゴキブリが人を襲う「燃える昆虫軍団」(笑)など、どうしてもBの線の映画しかとっていないイメージのヤノット・シュワルツ。
当時はこの監督の名前聞いただけで「ああ、ふーん」って感じの監督だったのだ。
だが、実直さがそのままにじみ出る彼のベストアクトじゃなかったろうか。
「007 死ぬのは奴らだ」のボンド・ガールで他には「シンドバッド虎の目大冒険」とかに出てたことしか思い出せないジェーン・シーモアがヒロイン。
正直パッとした女優じゃないのに、この作品では輝くばかりに美しかった。
加えて監督はスピルバーグの「ジョーズ」の続編「ジョーズ2」とか「スーパーマン」のスピンオフ「スーパーガール」と、果ては知性のあるでっかい発火ゴキブリが人を襲う「燃える昆虫軍団」(笑)など、どうしてもBの線の映画しかとっていないイメージのヤノット・シュワルツ。
当時はこの監督の名前聞いただけで「ああ、ふーん」って感じの監督だったのだ。
そんな布陣なのに、そう・・・奇跡的にといってもいいくらい、この映画は美しく切ない出来だった。
時は1980年。脚本家リチャードが、あるホテルに掛かっている肖像画の女性に会いたい一心で
1910年代初頭に自力で時を越えていく・・・と、端折って書いちゃうと乱暴な話なんだが
とにかく、ラフマニノフとジョン・バリーの素晴らしい音楽に彩られて
ロマンティックに、そして胸がかきむしられるほど切ない話が展開するのだ。
実は遠い未来から来た謎めいた相手。(これ大体男なんだよな)に、徐々に惹かれていく「過去」の女性。
しかし「時間」は「歴史」は、二人の間で大きな壁として立ちはだかる・・・。
そして時は流れて現在。男は自分が愛した女性がその後どうやって過ごしたか知ることになる。
幸せだったのか・・・その後独身を貫いていたのか・・・そして自分を忘れないでいてくれたのか・・・
こういうプロットは使い古されていると、わかっちゃいるけど切ないんだよなあ。
正直男側に都合がいい話ってのは認めざるを得ないが、それでも・・・だ。
クリストファー・リーヴはその後落馬事故で車椅子生活となり2004年に逝去、
ジェーン・セイモアやヤノット・シュワルツ監督もテレビに活動の場を移してその後劇場作ではあまり名前を聞かない。
あのリチャード・マチスンが原作・脚本だということも大きいが、とにかく素晴らしい映画だ。
ある日、「あそこで」この才能が集まって出来たこの映画が今でも輝きを失わずに自分の中に残っているのを想い出して少し驚いた。
この作品を愛する多くのファンが世界中にいて、日本でもファンサイトがあるのが嬉しい。
映画が素晴らしいのは「風」と「時間」を描けることだと誰かが言っていたが本当にそうだと思う。
2人が出会い積み重ねた時。
その何倍もの別れていた時間。
再び巡り合い、交差するほんの一瞬。
その全てが狂おしくも切なく迫る、「2人の時間」の映画なのだ。
人を想う溜息が、そっと形になったような映画なのだ。
地味で、SF的には弱点もある映画だけど、ラブロマンス映画が苦手な俺にしては、何度も観て、観るたびに泣けるという、まさに奇跡の一本。
まだ観たことがないという方は是非。損はさせない。
これを思い出させてくれたJINにはとりあえず感謝である。