"名探偵"の哀しみ 「冬のオペラ」 | B級パラダイス

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鹿児島出張前後から2冊読了してました。

ちと遅れたけどまずは・・・「冬のオペラ」 (中公文庫)  北村 薫 (著) から。

 
「人知を越えた難事件を即解決。身元調査など、一般の探偵業は行いません」と
大真面目に看板を掲げる「名探偵」巫(かんなぎ)弓彦。
物語は勤め先の二階に事務所を構えたこの名探偵=巫が気になるあまり
押しかけ助手・・・いや彼の「記録者」を志願した「わたし」=姫宮あゆみの視点で語られます。
この探偵巫は「名探偵にはなるのではない、名探偵は存在であり意志である」と言い切る
それだけの推理とそれを裏付ける幅広い知識の持ち主。
すなわち事件を俯瞰しただけで「真実が見えてしまう」真の名探偵であるが故に、
物書き志望のあゆみはその事件の記録者をワトソンよろしく志願するのだが
世の中そんな事件はそうそう転がっていないので(笑)、
「名探偵」は日々の生活のためにビア・ガーデンのボーイをしながら
コンビニエンス・ストアで働き、新聞配達までしてアルバイトで生計をたてているのが
そこはかとなく哀しくて笑わせてくれます。
 
そんな彼に、あゆみは「名探偵が解決すべき事件」を捜し
結果、偶然彼女が遭遇した日常の奇妙なトリックを巫が即座に解決する
東京での『三角の水』、『蘭と韋駄天』2編を序章に
舞台を雪の京都に移しての表題作『冬のオペラ』が収められた連作短編であります。

前二編は北村薫のデビュー作である「空飛ぶ馬」のような手触り。
すなわち、最近こういう女性いるのかなあ・・・というくらい背筋の伸びた若い女性が
たまたま遭遇する不思議な事件(犯罪になる1歩手前)を飄々とした探偵が解決する
軽いタッチの中に普通の人々の「欲」にかられた醜い面が垣間見える構成です。
 
ここで報酬を度外視(というよりもらうことができないほど事件にならない)する
名探偵巫のスタンスとスキルの高さを見せておいて
表題作『冬のオペラ』では哀しくも残酷な物語が展開します。
 
以下ネタバレです
 
あゆみが京都旅行で遭遇してしまう事件では前作』『蘭と韋駄天』で登場する
理知的で魅力的な大学講師の女性「椿さん」が重要人物となります。
大学で発生した殺人事件。不可思議な死体の状況・・・
あゆみが密かに巫と恋人同志になればいいのに・・・と思うほど素敵なこの女性が
実はやむにやまれぬとは言え人を殺めてしまった犯人であったのですが、
あゆみはそうと知らず「名探偵に相応しい事件だ」と巫を京都に呼んでしまいます。
結果、巫が奇妙な死体の状況、時間的なトリックを 解決すること
=椿さんの犯罪が露呈するという、あゆみが想像だにしなかった哀しい結末が待っています。
 
前2作は犯人の欲望の醜さを見せ、最後だけは寧ろ醜いのは被害者の方であるこの妙。
しかし犯罪者には情に流されず毅然とした態度をとる巫とそれを良しとする椿さん。
椿さんは巫の探偵としての力を信じているが故、彼の登場で自首を決意し
巫もまた、彼女の殺意に至る状況に充分理解を示している・・・。
「探偵は犯人を一番理解するものです」
二人は互いの理解者であることを納得したまま、物語は哀しく幕を閉じます。
 
一番犯人であって欲しくない人が犯人であるという真実に辿り着く探偵ってのは
古今東西多いような気がしますが、
登場人物と同じく背筋の伸びた北村薫の文体でもって
この物語もセンチメンタリズムに流されず、潔い大人の余韻を残してくれます。
たまたま今日BSで観た「悪魔の手鞠唄」の若山富三郎の雰囲気がまさにこれっすね。
 
それにしても北村薫の書く女性って魅力的なんだけど
これって女性だから書ける描写だと思ってたら、男性だと知って驚いたものでした。
男性の「憧れ」だからこそ魅力的なのかもしれないけど、
女性から見たらどうなんでしょうねえ。是非読んだ方いたら聞きたいものです。
 
名探偵巫弓彦をシリーズで読みたいと思ったけど、残念ながらこれ以外には無いみたい。
北村作品まだの方は是非手にとってください。損はさせませんぜ。