奮闘のさまは、後の世の行く末を案じてのはずだが・・・。「雪風」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

博愛というばよさそうなものでも、いざ当事者となれば、とてもではないが感情も

冷静ではいられない。

ところが「どこぞの丘の上から」眺めている人にとっては被害の埒外だけに、理想

だけで文章やらで語るから顰蹙や軽蔑の対象と見なされる。

周囲を海に囲まれている日本に、母国を逃れての難民が存在するのは希少だろう。

それがどうしたことか難民申請してくるなんのが、また犯罪を犯していても、それらを

無視して「難民うんたら」で擁護してしまうメディアやお花畑脳の人の存在が、

なんとも口あんぐりとなってしまう・・・。

 

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「日本人ファースト」からの半年後、1年後、5年後を考える語る貧困問題」の解決を諦め、

「敵を設定してそれを叩いてスッキリする」方向にシフトした社会の行方

 | ハフポスト NEWS
貧困をどうにかすることを諦めた社会は、それを外国人のせいにして鬱憤を晴らす方向にシ

フトしたようである。どうせオオモトは改善なんてされないから、それなら誰かをぶっ叩い

てスッキリしようということなのだろう。雨宮処凛

2025年09月11日 9時0分 JST
これまでのこと、そしてこれから起きることを記録しておかなければ。  
日々、そんな衝動に強く駆られている。それくらい毎日のように、この国が少しずつ変質し

ているのを突きつけられることが起きているからだ。
まず確認したいのは、2023年、入管法改正案の話が出てくる前まで、この国には「クルド

人ヘイト」は存在しなかったことだ。日本に来るようになったのが30年ほど前で、23年時

点で3000人ほどと言われたクルド人。しかし、2年前まではSNSで誹謗中傷を受けるどこ

ろかその存在さえ知られず、知っていたとしてもさして関心も持たれず日本社会で暮らし

ていた。
もうひとつ、記録しておきたいこと。  
それは25年5月には、クルド人以外で外国人がことさら敵視されるような空気はそれほど

なかったということ。
もちろん、在特会などのデモはあった。が、そのようなデモに参加したりヘイトを撒き

散らす人々はごくごく一部ということは共有されていたのではないだろうか。そんなこ

の国で、「外国人問題」というトピックはあまり目にしないもので、ヨーロッパなど

「どこか遠い国の話」のものだった。少なくとも半年前、ことさらに「外国人が!」

と叫んでも白い目で見られたのではないか。
その中でも、例えば技能実習生などに対しては、同情の声が多かった。
時給300円でパスポートまで取り上げられて管理されるような劣悪な待遇には、多くの

日本人が心を痛めていた。
私自身、この問題を取材し発信してきたから肌感覚としてわかる。現状を知った人々は

彼ら彼女らの苦境に胸を痛め、構造を知れば知るほど受け入れ団体など「搾取にかかわ

る日本人」に「日本の恥」「こんなことをしていたら実習生たちは日本が大嫌いになっ

てしまう」と怒りを向けた。
外国人観光客に対するネガティブな声も、コロナ前まではほぼ目にしたことがなかった。
また、留学生に対して敵視する声など、少なくとも私は聞いたことがなかった。
難民については、多くの人がそもそもほとんど関心を持っていなかった。
それが今はどうだろう。
実習生については「失踪」などが問題視され、それが即「犯罪」と結びつくかのような

言説をあちこちで見かける。なぜ失踪するのか、どれほど劣悪な条件なのかといった背

景を見る視点はすっぽり抜け落ちているように感じる。
観光客を見るこの国の人々の視線も、大きく変わった。
コロナ禍以降の増加、また日本人にはとても手の出ないような値段のものを「安い」と

消費する姿を日常的に目にするようになったことが原因だろう。
それに対しては「日本人だってバブルの頃に同じことしてたじゃないか」と諌める声も

ある。が、現在50歳の私でさえ、景気のいい時は子どもだったので「いい時代」を経験

したという感覚はない。若い世代であればあるほど、「豊かだった日本」は遠い。
留学生については、「日本人ファースト」という言葉が出てきた頃、博士課程の学生への

生活支援に留学生も含まれることが問題視され、6月末、日本人に限定されることがあ

った。ごくごく一部のことでも「外国人優遇」「生活が苦しい日本人を差し置いて何を

しているのか」という声が大きな力を持つようになり、それによって実際の制度運用が

変わった最初のケースだということは覚えておきたい。
難民については、これまでの無関心と打って変わって「偽難民!」「国へ帰れ!」といっ

た言葉があちこちに溢れるようになった。特にクルド人がその標的となっているのは周

知の通りだ。
そうして前回書いた通り、この夏には「不法滞在者ゼロプラン」に基づく強制送還が急

増し(送還された中には日本生まれの子どもも含まれる)(中略)
思えばこの30年で何度も無差別殺人事件が起き、「無敵の人」という言葉が注目され、

最近では闇バイトで若者が殺人を犯す事態にまで行き着いた。
これから、さらに想像もしていなかったことが起きるだろう。 
それを私は、記録していく。人はすぐに忘れてしまうから。 

※全文はソースで↓
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_68c0ef42e4b059d8ed3669a7

 

 

 

<独自>性犯罪再犯クルド人が控訴 傍聴女性はトルコ語で擁護「人を殺したわけで

はない」「移民」と日本人
2025/8/30 08:00
さいたま地裁=さいたま市浦和区

埼玉県川口市内で女子中学生に性的行為をして有罪となり執行猶予中に、別の少女に

再び性的暴行をしたとして不同意性交の罪に問われ、さいたま地裁で懲役8年の判決

が言い渡されたトルコ国籍のクルド人で無職、ハスギュル・アッバス被告(22)が

判決を不服として控訴していたことが30日わかった。
また、川口市で無免許で車を運転し10代男性2人を死傷させながら逃走したとして、

無免許過失運転致死傷と道交法違反(ひき逃げ)の罪に問われ、同地裁で懲役5年

の判決が言い渡された同市在住でトルコ国籍の当時18歳のクルド人少年も、判決を

不服として控訴していたことが判明した。いずれも今後、東京高裁で審理される見通し。
一方、7月30日に開かれたハスギュル被告の判決公判の閉廷直後、被告のクルド人親

族とみられる外国人女性が叫んだ言葉は「人を殺したわけではない」など被告を擁護

する内容だったことが、傍聴関係者の話でわかった。
民族服姿でスカーフをかぶった初老の女性は、トルコ語で「人を殺していない。

なぜそんな罰を与えるのか」と大声で叫んだといい、職員から「発言をおやめくだ

さい」と制止されても「誰も殺していない。懲役8年を与える必要はない」などと叫

び続けたという。
ハスギュル被告はその声に呼応するように、刑務官が腰縄をつけようとした際に抵抗

して頭突きするなどした。


https://www.sankei.com/article/20250830-DEEWAO7QKNBBTOK5VQAKHKWRVY/

 

 




紀伊國屋書店の本町店(大阪市)が同店の公式X(旧ツイッター)で「おすすめの

新書」として「おどろきの『クルド人問題』」(新潮新書、石神賢介著)を紹介した

ところ、「ヘイト本」だなどと埼玉県鶴ヶ島市の福島恵美市議(無所属)らが抗議し、

こうした批判を受けた紀伊國屋側は謝罪、投稿を削除した。同書の一体、何がヘイト

なのか、福島市議と産経新聞との書面でのやり取り全文は以下の通り。
「悪質な印象操作」
ーー「おどろきの『クルド人問題』」のどの部分をもって「ヘイト本」と投稿したのか
「私が当該書籍を『ヘイト本』と断定した理由は複数あります。まずタイトルです。

タイトルに『クルド人問題』とあります。現在起きているのは、クルド人による問題

ではなく、クルド人に対する日本社会の問題です。それを『クルド人問題』としてし

まえば、タイトルだけしか読まない人は、クルド人に何か問題があるように誤認して

しまいます。クルド人に対する偏見や差別を助長するタイトルです。次に帯です。

帯には積み荷を積んだトラックの写真に添えて『え⁉トラックが僕を追って来る!』と

いう文言があります。いわゆる『クルドカー』を指しているのでしょうが、『クルド

カー』と批判されているトラックの多くは過積載ではありませんし、ドライバーが

クルド人かどうかはほとんどのケースで確認されていません。第3章『クルドカーに

追われる』を読みますと、『コンビニの駐車場に、いまにも積み荷が落ちそうな巨大

なクルドカーが停まっていた。荷台の側から撮影していると、背後から大声で叫ば

れた。ふり向くと作業着を着たクルド人だった』と記述がありますが、著者がドラ

イバーをクルド人であると確かめた様子がありません。『日本人でも、誰にでも優

しくできる天使のような人もいれば、親を殺すような残虐な犯罪者もいる』『日本

人と結婚して在留資格を持ち日本社会に馴染んでいるクルド人もいれば、無免許

運転でひき逃げをするクルド人もいる』と続きます。クルド人が『無免許運転で

ひき逃げをする』人たちであるとの印象を与えますが、著者が出会ったトラック

ドライバーがクルド人であるとは確かめられていません。クルド人に対する悪い

偏見を助長する表現です。『おどろきの「クルド人問題」』という書名の書籍で帯

に『え⁉トラックが僕を追って来る!』とあるのですから、最低限、クルド人が乗

ったトラックに追いかけられたエピソードが必要ですが、この書籍はそうではあ

りません。悪質な印象操作です。また、追いかけられたのは著者がドライバーを

盗撮したことがきっかけです。自分でトラブルになるきっかけをつくっておきな

がら、追いかけられたことを『え⁉』と恐怖体験として語るのは、書き手として

誠実な態度ではないでしょう。第2章『ニホンジン、シネ!』も問題です。これは

NHKによって音声解析がなされ、『ニホンジン、シネ!』でないことが確認されて

います。著者は『それがたとえ「セイシンビョウインヘ、イケ!」だったとしても、

よいわけではなかろう』と書いています。しかし、この発言をしたクルド人男性

が撤回し謝罪したことには触れていません。また、この発言があったヘイトデモ

の具体的な内容に触れておらず、一方的にクルド人が日本人に対して『シネ』と

言い放ったように読めます。これもアンフェアな印象操作と言えます。著者は川

口市に一定期間滞在したようですが、そこで出会った『クルド人』がクルド人で

あったと読めるのは『ハッピーケバブ』とみられるケバブ屋のくだりくらいです。

他は伝聞とネットで集めた情報です。見た目だけでクルド人だと判断するのはク

ルド人であっても難しいと聞きます。また著者も認めているとおり、トルコ人の

すべてがクルド人ではありません。一般的な日本人は中東の人にあまり馴染みが

ないため、クルド人かそうでない人かを見分けられる日本人はほとんどいないで

しょう。著者や著者がインタビューした地域住民はどうやってクルド人だと断定

したのでしょうか。無理です。にもかかわらず、『クルド人問題』とタイトルにつ

け、クルド人にトラックで追いかけられたかのような表現をしています。クルド

人に対する差別の扇動であると私は受け止めます。クルド人はトルコにおいても

日本においても、大変に弱い立場にあります。日本では約2年前からにわかにク

ルド人差別が激化しています(これは産経新聞さんにも一定の責任があると私は

捉えています)。そういった状況の中でクルド人をことさらに危険視・問題視さ

せる当該書籍は差別を扇動する効果を持ち、やはり『ヘイト本』だと断じざるを

得ません」
(略)

※全文はソースで

産経ニュース 2025/9/2 13:55
https://www.sankei.com/article/20250902-GIPIHXQVABFXPBJ4S763UTIPMA/

 

 




 ヘイトスピーチや差別にあらがう「大阪NO HATE街宣」が8月31日、市民

有志の主催で大阪駅前で開かれ約500人が参加しました。
参加者が「外国人は優遇なんかされていない」「立ち止まって事実を確かめてほしい」

とデマを事実で打ち消すビラを配布。市民も次々とマイクを握りました。ヒップホッ

プアーティストで移民2世のJ‐Rawr(じぇいろあ)さんは、日本で生まれ育ち

ながらも差別やリスクにさらされている現実を語り、政府はデマにあらがうべきだと

訴えました。國本依伸弁護士は「ヘイトスピーチをなくすのが議員の仕事。それをさ

せるのが私たちの仕事」、作家のアルテイシアさんは「格差・競争、差別・ヘイト、

戦争へとつながる歴史を絶対に繰り返していけない」とそれぞれ訴えました。
日本共産党の辰巳孝太郎衆院議員がデマやヘイトとたたかう決意を表明。清水忠史

元衆院議員は差別を見逃さずに声をあげ、自民党政治そのものの転換が必要と大い

に訴えていこうと熱弁をふるいました。山添拓参院議員も駆けつけ、立憲民主党の

尾辻かな子衆院議員や社民党の大椿裕子前参院議員らも訴えました。

2025年9月2日(火)

大阪でノーヘイト街宣/差別抗議に500人/市民有志が主催/山添・辰巳氏ら参加:

しんぶん赤旗
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik25/2025-09-02/2025090204_01_0.html
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いろいろな記事を並べてみたが、この当事者不在の論調は如何ともし難く、

とんだ「トンデモさん」の存在に、その昔の闘いで奮戦した人達は、それらの

事象にいかほどの思いが宿るかとなれば・・・。

こんな世にするために、戦っていたのかと、なりそう・・・。

幸運艦とつとに名の残る「駆逐艦」の映画となれば、相成りそうではある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪風」 二十五年公開作

第二次戦争中に「沈まない駆逐艦」として、つとに名が売れた「雪風」の物語。

艦長が五代目の寺内をモデルにしているのだが、そこに架空の人物を当てて「雪風」

の奮闘ぶりと、追い詰められていく様と、その後の大阪万博とを相互に写して、その

当時の気概と「敗戦からの立ち直り」においての日本人の奮闘と勤勉さとを讃えるか

の構成は、これまでの自虐的戦争映画の「げんなり加減」と一線を画している。

史実のエピソードも織り交ぜて、古来の武士道の様を見せつけたり、艦長の操船の様を

堅実に描いている。

もっともモデルの艦長とは、あまりに違いがあり映画だなぁと納得させられるのだが、

エピソードに日本人らしい精神性として、沈没した敵の艦船からの脱出した敵は撃たない

とかに、残虐だったはずの日本兵と一線を画して、もっとも今でも残虐な中狂の「やらせ

日本兵」のお笑いとは、自分達がざんこくだから、こうあるべきのステレオ思考がない

のは、過去の人へのリスペクトと映った・・・。

 

 

 

 

 

同じ海軍のエピソードにも、こういったものもある。

 

 

 

 

 

戦後生まれでも、成長の過程で知識と意識が「守る」の・・・。

 

 

                  といったところで、またのお越しを・・・。