10月22日投開票の衆院選で、宮城県内の小選挙区に立候補を予定する民進党の5人は30日
にも「希望の党」に公認申請をする。
ただ、希望側は憲法改正や安全保障の姿勢によって候補者を選別する方針で、これまでの主張
を控える立候補予定者も出てきた。これまで積み上げてきた野党共闘に背を向ける姿勢は「賭け」
なのか、「変節」なのか。
宮城2区から立候補を予定する鎌田さゆり氏は、民進が希望に合流すると伝えられた28日以降、
毎日昼に続ける仙台市内での街頭演説で、憲法改正や安保に極端に触れなくなった。
前日までは安倍晋三首相を指して「憲法を改悪して再び海外へ戦争に出かける憲法に作り直し
をする」などと批判。しかし、28日以降は「大義なき解散」への批判などに力点を移した。希望へ
の配慮にも映る。
ほかの予定者からも希望の方針に沿った発言が相次ぐ。5区の安住淳氏は「前から憲法改正に
賛成」。
3区の一條芳弘氏は「憲法を絶対変えちゃいけないとは思わない」、4区の坂東毅彦氏は「すべて
反対という立場ではない」。
県連代表代行の桜井充・参院議員も「(先に合流した)細野豪志さんですら、安保法制に反対
だった。どこをもって(希望が)『よし』として下さるのか非常に難しい」と低姿勢だ。混乱し、惑う民
進の予定者たち。
自民党県連幹部は「選挙のためだけに動き、その後はどうするのか何一つ示していない。
展望のない希望はやがて絶望に変わる」と切り捨てた。
(※詳細・全文は引用元へ→ 朝日新聞 17年9月30日09時31分 )
http://www.asahi.com/articles/ASK9Y5SY1K9YUNHB00Y.html
【特報】希望「外国人参政権反対」踏み絵に 突然浮上、排外主義あらわ
永田町で忘れ去られていた外国人地方参政権問題が突如、激しく揺れ動く政局のど真
ん中に現れた。小池百合子東京都知事率いる新党「希望の党」が民進党出身の公認候
補と結んだ「政策協定書」の項目の一つに「外国人地方参政権反対」が盛り込まれたのだ。
関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文送付を中止したことからも分かるとおり、小池氏に
は排外主義的な言動が目立つ。日本にも本格的な極右政党が誕生してしまうのか。
(池田悌一、大村歩)
以下ソース
東京新聞 2017年10月5日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017100502000131.html
「ダイナソー・ファイター カンフーVS.巨大恐竜」 九十七年未公開作
この映画の原題は、一丁前だったがさすがに流通させる会社としたら、とてもではないが
まともな題などで通用するような内容でないからこそのB級らしさの邦題で、一応の良心の呵責
を見せているみたいである。
そう視聴した者なら、この邦題からの「トンデモ加減」をもって興味がありとなって、見終われば、
いつもの台詞が飛び出すし、自虐的笑いも起きるすさまじいポンコツである。
ターミネーターに恐竜、そしてカンフー・アクションを掛け合わせれば、素晴らしい映画の出来上がり
のはずの思惑もシナリオの破綻と演出のまずさと予算のなさが、ポンコツ作り出しの・・・。
それでも予算の支出を回収しなければならずの販売と、映画の裏を読みながらの鑑賞とは、
さすがにトホホだし、時間の無駄使い・・・。
とはいえ、見たものは見た者として、内容と批評もしなければ、それこそ時間の無駄使い・・・。
近未来、人間はサイボーグの奴隷となっている。
その奴隷が脱出して地球に逃れる、それを追ってサイボーグと飼っている恐竜とともにやって
くる。その場所がロスとなってくるのだが、そもそもの空想科学の時代感は、出演者の衣装
にもなく、まして恐竜には首輪である。
出演者の数も揃えられずで、いやギャラが払えないからの学芸会映画らしさは、ホームレスを
登場させても、なにより演技以前だから、恐竜に食われるというのに緊迫感ゼロである。
サイボーク゜も強力な武器を持っていても、相手が奴隷となれば、合わせてカンフーで対決
するし、廃工場みたいな舞台では空きのダンボールを極端に持ち込んで、そこをかき分ける
なんて意味なしのシーン・・・、いやそれを言えばすべての場面が意味なしになってしまうし
そもそもこんな映画、作る動機も理解できないってなことになる。
にしても原題の理想はさて・・・。
その原題つながりな映画というものもある。
こちらは日本のアニメなのだが・・・。
「FUTURE WAR 198X」 八十二年公開作
東西冷戦の中、ちょっとしたことで戦闘の火ぶたが切られて第三次大戦に突入、終末論的展開
となって核攻撃が勃発して、日本もその標的となって宇宙を巻き込む人類存亡の危機。
上の映画と違って、予算もそれなりの映画だから、戦闘場面や核攻撃被害の様などもリアルな
アニメ映像となっていて、悲惨な様はアニメとはいえ、迫力がある。
ただ、制作する段階で組合を持つ東映動画が、制作を拒否したりと外注に頼んでのものとなって、
すったもんだで結末も転向してしまって、人類の英知は滅亡を阻止したなんてので仕舞うのだから、
この当時のメディアや労働組合の被害妄想はひどいもので、「未来的予測映画」も戦争はいやの
感情論で横槍を入れてしまって、変な結果へと導くなんて・・・。
だから戦争の端緒からの前半のすごさと、危機的状況の解決の後半とでは、リアルな雰囲気が
一気に緩慢な描写となって、主人公が無敵になって苦笑しか出なくなる・・・。
これが労働組合や苦情、いや九条信望者との妥協の結果としてみれば、言論弾圧を旨としない
はずのものたちの「表現の自由」の様は、まさに偏狭なナショナリズムの体言ではある。
折角の反戦的描写としての悲惨さの未来警告も、とんだものへと変質して・・・。
ただアニメの作風が、ちょつと違和感のある出来なので、入り込みには時間がかかって、
その分だけ後半の緩慢な描写に萎えてしまうという残念な映画に仕上がってしまって、地球的
危機の警鐘を鑑賞者に考えさせるなんて側面は皆無になって残念としかいいようが出来・・・。
上の実写映画よりは、より壮大で危機的煽りも優れているのは、予算と制作者の意識の違い
が時を経ても色あせぬものと、最初から色あせた学芸会の違いの似た原題の相違は甚だしい。
現代では、アニメの危機的状況に置かれてしまった日本となり、そこにある危機なんてのも、労働組合
や苦情・・・、九条信望者では、ミサイルを止められない実情を国民は、より肌で知ることなった。
そこでこんな動画の「防御力」の組織の映像は、抑止力としてある程度効果がある・・・。
にしても「解散総選挙」の裏にある「いざとなったときの政権体制」を考えれば、盤石でないものは、
崩される・・・、なんてのはこれまでの諍いの歴史が物語っているのでは・・・。
といったところで、またのお越しを・・・。