過去をトレースの沖縄「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

普天間の危険性からの移転のはずが、いつしかそんな問題を消し去って「基地問題」の

みに特化した反対運動を展開する沖縄だが、地元の「辺野古」と県代表の温度差は相当

で、今更ながらの詭弁の民意は、さて国防か「現世利益」の享受か・・・。


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【4月18日 AFP】安倍晋三(Shinzo Abe)首相と沖縄県の翁長雄志(Takeshi Onaga)知事

は17日、首相官邸で会談し、国と県が対立する米軍普天間飛行場(Marine Corps Air

Station Futenma、MCAS Futenma)の名護市辺野古への移設について協議した。

しかし約30分の会談で双方の主張は真っ向から対立し、両者のこう着状態はさらに深ま

った。
会談の冒頭、首相は沖縄県民の負担軽減に向けて「国としても一緒に歩みを進めてい

きたい」と述べた。しかし、一方では現行の移転計画が「(普天間返還の)唯一の解決策」

であるとの従来通りの考えを示した。
これに対して翁長知事は、ここ3回の選挙全てで「辺野古新基地反対という圧倒的な民

意」が示されたと述べるとともに、「沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない」と指摘

し、基地が建設された土地は、第2次世界大戦(World War II)後の米占領下で接収された
ものだと強調した。
翁長知事は報道陣に対し、沖縄県知事と沖縄県民は辺野古移設計画に明確に反対して

いることをバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領に伝えてほしいと安倍首相に要請し

たと語った。専門家の間では、安倍首相は訪米を前に沖縄県側と協議したという形を
整えたかっただけだろうとみられている。

(AFP BB News)

http://www.afpbb.com/articles/-/3045734





沖縄県名護市辺野古での米軍基地新設を阻止する翁長雄志知事の決意を、安倍晋三

首相は誠実に受け止めたのか。
単に聞き置くのではなく、訪米の際、オバマ大統領に直接伝えるべきではないか。
翁長氏が昨年十一月の県知事選で初当選を果たして以来、初の首相との会談である。
首相は、これまで会談実現に至らなかった非礼を、まずは猛省すべきだろう。
翁長氏は首相に「知事選、衆院選で辺野古移設反対の圧倒的民意が示された」
「私は絶対に辺野古に新基地は造らせない」と、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の
辺野古への県内「移設」を阻止する決意を伝えた。
昨年の知事選や、辺野古容認に転じた自民党元職候補が県内四小選挙区のすべてで敗

北した十二月の衆院選の結果を見れば、県内ではこれ以上の米軍基地新設を認めない

県民の民意は明らかだ。
県民を代表する翁長氏が、県民の意思を伝えるのは当然である。
首相は翁長氏に辺野古への県内「移設」が「唯一の解決策だ」と述べた。
方針を変えるつもりはないのだろう。翁長氏の訴えに耳を傾ける姿勢を示しただけで、
本格着工に向けた作業をこのまま強行するのなら、あまりに不誠実だ。
沖縄県民が米軍基地新設に反対する背景には、米軍統治時代に米軍用地を「銃剣とブル

ドーザー」で住民から強制的に収用した歴史や、在日米軍基地の約74%が今も沖縄に集

中し、県民が重い基地負担を強いられている現実がある。
首相に必要なことは、県民の理解を得て辺野古「移設」を強行することではなく、
辺野古「移設」の困難さを認め、政府の責任で代替策を検討することだ。
世界一危険とされる普天間飛行場を一日も早く閉鎖して、日本側に返還することは当然で

ある。
しかし、政府側が、辺野古「移設」を認めなければ普天間の危険性は残ると脅したり、辺野

古を拒むのなら沖縄県側が代替案を出すべきだと迫るのは、翁長氏の指摘通り、あまりに

も「理不尽」だ。
首相は二十六日から訪米し、オバマ大統領と会談する予定だ。その際、翁長氏が言及した
県民の率直な思いや苦難の歴史、沖縄の政治状況を伝えることも、首相の重要な職責では

ないのか。
首相が寄り添うべきは日本国民たる沖縄県民である。県民や知事の声に耳を傾け、
まずは辺野古での作業を中止すべきだ。それが沖縄県民の信頼を回復するための第一歩

である。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015041802000150.html
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返還前は「復帰運動」で盛り上がり、普天間の危険に移転となれば、一気に独立を言い出

す「やから」が湧いてきて、県知事選の反対派当選で勢いづくも、統一した民意ではなく、

経済問題等も複雑に絡み、「基地建設阻止」のみがクローズアップ。

果ては「琉球独立画策」と相成り、どこぞの影響に晒されているのを「民意」とする姑息さ

が、地元メディアが煽り立てる。

この地元メディアのその昔の「側面的援助」を受けていたアメリカに対して、恩を忘れてたて

つく構図は、どこか「恩知らずの民族行動様式」と良く似ていて、ウンザリしてしまう。



こういった妄想で煽り立てるのは、さてバックボーンを失った時は、以下のような有り様へ

追い遣りたい圧力なのだろう。踊りまくった後には「人権皆無」の中狂が伸してきて・・・。


026 2015/04/15(水) 02:37:11 ID:f4SdPOH3SY
<沖縄左翼のお花畑思想>
いずれ韓国・日本を見捨てて沖縄駐留米軍はグアムに引き揚げる。
そのタイミングで沖縄は独立宣言をする。
中共は琉球政府の要請で人民解放軍を沖縄に派遣して駐留する。
人民解放軍の指導の基、琉球人民は理想的な社会主義国家建設に従事する。
めでたしめでたし。
が、駐留人民解放軍の経費はすべて琉球政府の負担だから、沖縄県民は貧困にあえぐ末
路だなあ。
地場産業もほとんどない沖縄だから、日本政府から見捨てられたら食って行けないだろ
うにww
現在、毎年3,500億円程度の沖縄振興予算が日本政府から払われているが、これがゼロ
になる。
毎年注ぎ込まれている振興費は、沖縄県民の腹を満たすことに使われてパーなんだ
なww
振興費を使って、沖縄県になにか資産的なものが残っているんか?

少しばかり経済からなにから自立する気概がある者は、援助というものの有り難味も分かる
だろうが、それ以外は「盲目的従属」を強いられてしまう危惧を持たなければ、以下の画像の
惨殺の犠牲者となりえよう。



日本には「喪失世代」というのが存在して、それらが青春時代、それこそ「懸命に戦ったが
敗れた」というそれなりのリアル体験があり、それが今に繋がってイから「言うことは当時の
思いの発露」でしかなく、「時代は変わる」のは頭で分かっていながら、口から出る言葉は、
その昔のままの陳腐さ加減。その典型が、以下のような作家のありようだろう。

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日本の世界的な作家、村上春樹氏(66)が
「日本は相手国が『もういい』というまで謝るしかない」と強調した。
村上氏は17日に報道された共同通信のインタビューで、
「歴史認識はとても重要だから、しっかりと謝罪することが大切だ」とし
「相手国が『すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、分かりました、
もういいでしょう』というまで謝るしかない」と述べた。
続いて「謝ることは恥ずかしいことではない」とし
「細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実だから」と付け加えた。
村上氏が異例にもインタビューに応じてこのように強調したのは8月の戦後70年談話
(安倍談話)で「侵略」 「植民地支配」「お詫び」という言葉を避けようとする安倍首相
に覚醒を促したと解釈される。
また村上氏は「日本が経済大国で、韓国も中国も途上国という時には、その関係の中で
いろんな問題が抑え込まれていたが、韓国、中国の国力があがってその構造が崩れ、
封印されていた問題が噴出している」と診断した。


http://japanese.joins.com/article/197/199197.html
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何に対しての「謝罪」なのか、生まれてもいない時代を偲ぶ姿勢はそれはそれで立派だが、

その時代の蛮行を歴史の事実と照らし合わせることなく、相手が言っているからの「素直」

さが、政治利用出来る。

これはその昔の「政治利用された学生」という構図に当てはまり、その事実には「見たくな

いものは見えない」若気の至りを自省出来ない「団塊の一部」の哀れさが漂う。

そして反体制というものが席巻した七十年代の残渣と見るものだが、その上の一昔の日帝

残渣には不信がない「ノンポリぶり」には、新興宗教に見られる「現世利益追求」という、身も

蓋もない「個人主義に侵された花畑脳」が垣間見えてしまう。


で、現世利益という甘い言葉に縋るとなれば、反体制の生き方もより現実味を帯びて、

受け入れやすいし、「死して尚、精神性は伝授される」を否定して、醜く生きる選択は、まるで

「健康のためなら、死んでも構わない」逆転の発想の狂気があるようで・・・。

そんなことを映画にすれば、それこそ宗教の現世利益以外考えられない世代の憐れさが

漂う「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」という映画に凝縮される。





http://nicotter.net/watch/sm14681476

「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」 八十五年公開作


こういった映画を作るとなれば、アートシアターギルト関連と相成り、ハチャメチャな一応

の喜劇というジャンルの「ブラック・コメディー」と相成る。

主人公は落ちぶれのホステスと池沼の仲間と「じゃぱゆきさん」とか原発従業員とか、それ

らの生き様に、狂信する「波の上共和国」を夢見る年寄りとかを絡めて、沖縄の底辺に生きる

現状を接写して、社会問題の提議と批判をちりばめて・・・。

出だしの「コザ事件」から逃れたホステスうんたらからして、沖縄の置かれた境遇を組み入れ

それに原発問題も絡めてと、当時からしてそれなりの社会批判を取上げて、底辺にいる者の

哀愁と狂気じみた行動様式に、中間搾取をもっとも得意としている「ヤクザ」を絡めて、表現の

自由を満喫しているかの暗さが漂う映画に仕上がっている。

原発従業員もロマと同じように、転々と各地を流れて、結果的に金銭で放射能で死んだことに

してなど、その墓場から甦る場面を出しての奇抜さも笑いに転嫁させようとしているのだが、

如何せん現実的な場面にファンタジィー的展開しても、どこかズレを感じてしまって、笑うに

笑えない。

まぁ「沖縄の返還前のアメリカの圧制」に対する憤懣とかは分からぬではないが・・・。

で、この映画「波の上」の場末感に、やはりにやりとしてしまう。

返還前に沖縄に行った当時の「波の上」の噂に合致して、そうだろうなぁとは思うが、社会風俗

の中で生きる「女達の逞しさ」も、やはり「肉体の門」の女達と被り、新鮮味はない。

ただ単に「生きずらい世の中」で題名の「現世利益追求」の弾けぶりだけが印象に残っただけ

やっぱりアートシアターだなぁと・・・。

いまは福島のこともあるし、原発従業員という者達の境遇と放射能問題とかでは再評価され

るかも・・・。

発端の「コザ事件」、当時は地元メディアは「コザ騒動」という言い回しで、アメリカとの小競り

合いでなく、騒動という身内の「らんちき騒ぎ」的取り扱いなのは、当時のメディアの位置関係

が垣間見えて、やはり「時代は変わる」としんみりする。


http://www.henoko.uchina.jp/surround.html


リンクしたのは名護市辺野古区のもの。

ここのホームページを見ると、アメリカの基地で潤った村が浮き彫りになって、産業のない

土地に「基地」も生活の糧のありかを思い知らされる。


なにより映画で描く女性達の生活の糧が、「男のストレス解消」のそれなのに、批判をしなが

らそれでしか生きられぬ人々の哀愁が漂う。




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                           といったところで、またのお越しを・・・。